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1年ぶりの面会交流にまさかの義母同伴
あの義母とまた会うことになるのかと思いつつ、当日は元夫とは目も合わせず、言葉もほぼ交わさずで、マシンガントークをしていたのは、義母ただ一人でした。
※本来なら「元義母」なんでしょうが、わたしにとって、何か「義母」という単語が彼女そのものを表しているので、このブログの上では今後も「義母」と示させていただきます。
その義母から・・・
ヒカルに、服をプレゼントしてもらったのですが。
いただいておいて、こんなことは言うべきではないとわかっているのですが。
今、ヒカルは2歳です。
そのヒカルに対して、120のサイズの服を買ってきました驚
ちなみに正しいサイズは90です。
30センチも違う・・・
何で、また120?!とびっくりしました。
そのビックリな表情と、半ばドン引きしている顔を歓声を上げてとりあえずその場は喜んで、うまく隠すことが自分、お疲れさまって感じです。
確かにね、1年も会っていなければ、どれくらいのサイズなのかはわからないかも知れません。小さいよりは大きいサイズと思うかも知れません。
でも、2歳のサイズって、大体どれくらいか、ネットで調べれば簡単に出てくるし(義母は自撮りして、FacebookやInstagramにも載せる人でスマホ音痴ではない)、それこそ買いに行ったときに店員さんに年齢を言って、サイズを聞くことだってできるでしょう。
わたしも子育て経験皆無の中で、友人に出産祝いをすることになったとき、姪っ子たちへのプレゼントを買うとき、年齢を伝えて、店員さんにおおよそのサイズを教えてもらっていました。
そういう、簡単と思えることが・・・当たり前と思うことが・・・
できないのも、想像力の欠如という特性が影響していることなのでしょうか。
120って。。。
使うの頃には、もらったことを忘れそう。
義母といただいたものを母と見ていて、母も
「何でまた?!120って6~7歳よ?ヒカル、まだ2歳よ?何で?!」
と訝しがってました。
「知らん・・・そういうの、調べることができない人なんちゃう?店員さんに聞くとかも、あんなにしゃべるのに、そういうことは聞けないとかさ。聞く発想がそもそも生まれてこないとかさ。」
そんな会話をしました。
母は、5日間いてくれ、その間、わたしをゆっくりお風呂に入らせてあげようとか、朝も少しでも多く寝させてあげようとか考えてくれ、自分は早く起きて朝ご飯の支度をしてくれていました。
帰る日には何品もおかずを作ってくれ、わたしがしばらく料理をするのが楽になるよう、家を出発する間際まで動いてくれていました。
それだけでなく、細かいところまでは掃除が行き届いていなくて、それを気にしているわたしを見かねて、その部分の掃除もしていってくれました。
やっぱり、母は母だな、と思いました。
わたしも色々思っていたことはありましたが、少しずつ自分の中で消化できて整理できて、穏やかな気持ちになっていきました。
その証拠なのか・・・
わたし、ヒカルを寝かしつけするときに一緒に寝落ちすることってほぼないんです。
ヒカルを寝かしつけてからも家事があるし、貴重な数時間の一人時間ですし。
なのに、
母の滞在中、
毎日
寝落ちしてました。爆
誰かがいて、一緒に対応してくれていることにプレッシャーが和らいでいたのでしょうね。
毎日23時頃、母が寝ようとするタイミングで
あ、またやってもーた。
と寝落ちに気付くというオチでした。
今回、1年ぶりの面会交流でもまた強烈なインパクトを残した義母と、そして、やっと少しずつわたしも過去からのしこりに向き合うことができて、自分の中の気持ちをおろそかにしないというとても大事なことに気が付けて、少しずつ、少しずつ、自分が整っていっているような気がします。
まだまだ揺さぶられることもあるし、今回、かわいい盛りのヒカルを目にしたことで、これからコンスタントに面会交流を求められる可能性も高く、それに対しては戦々恐々なのですが・・・
PTSDですって、診断書もらって、どうにか会わない方法を取るとかできないかなとか考えちゃうんですけどね。
養育費ももらっているし、公正証書に原則月1回とも記載して、面会交流の大事さを記載した海外の本とかも読んだりもしたんですけどね。
やっぱり嫌なものは嫌だし、今回の面会交流を迎えるにあたって少なからず不安になったし、終わったあともしばらく動悸があったりしましたしね・・・
それに、ヒカルのあの夜泣き。
それが結構きつかったりもしたので、ヒカルにも負担ならば、自分を、ヒカルを守るために、策を考えなければなと思います。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。