こんにちはニコニコ

 

 

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改めて、自己紹介

 

 

 

 

 

母との確執のことを書いてきて、当初思っていた以上に長くなってしまいましたが、今日で終わります。

お付き合いくださって、ありがとうございます。



 

 

 

わたしは、あるとき実家に帰れなかった時期がありました。

前回書いたこの出来事です。



 

 

 

 

その後、わたしも少し冷静になり、さすがに母もかわいそうだったかと思って、お正月のタイミングで帰省しました。

 

 

 

 

 

母とはぎこちない部分もありましたが、いつものように大量のお節を創る作業に忙殺されて、そのおかげで必要以上に気にすることがなく、助かりました。

 

 

 

 






そして・・・

時は流れて、それから数年。

この数年の間で、わたしは結婚し、引っ越しし、ヒカルが生まれ、そのまま幸せになると思っていましたが、夫がアスペルガーで、そして尊大型で、かなりのモラハラを受けていて、精神的にも肉体的にも限界になっていました。

 

 

 

 

母が

 

 

 

 

無理せず帰ってきたら良い

 

 

 

 

と言ってくれたことが、これほど心強かったことはありません。

 

 

 

 

もし、

 

 

 

 

そんな恥ずかしいこと。

やめなさい。

一度結婚すると決めたのだから、二度と戻ってこないで。

 

 

 

 

そんな風に言われていたら、わたしはもしかしたら、もうこの世にはいなかったかもと思います。

 

 

 






なので、やっぱり母には感謝しています。








それでも、母とわたしの間には、消せないしこりがあると、感じています。








 

 

数か月前、実家に帰省したときに母に聞かれました。

 

 

 

 

 

ねぇ、茉莉花。

茉莉花がいっとき、家に寄り付かなくなったとき、あったじゃない。

あれ、何でだったの?

どうしてなの?

 

 





 

と。

 

 




 

 

そうか、母もずっと気にしていたのかと思うと同時に、わたしはカウンセリングで自分の内面にある母との確執の本質を見ることができたので、今であれば伝えられるかも知れないと思い、話しました。

 

 

 






 

あんな・・・

 

 

あのときは、一生懸命仕事頑張ってるのに、周りと比べらるのが嫌やってん。

誰が結婚したとか

誰に孫ができたとか

そんな話、わたしに言うたところで、何が言いたいん?って思ってた。

 

早く結婚しなさいっていう言葉さえ言われなかったものの、そうやって言われることが凄い嫌やった。





 

 

 

そんなの!

お母さんたち、茉莉花をずっと応援してきたじゃない!

茉莉花の決断を、ずっと優先したじゃない!

 

 




 

そうやね。

でも、その結論に至るまでに、わたしはずごいエネルギーを要したよ。

それに、何でわたしだけ?って思っていたよ。

 

 

だって、妹たち見てよ。

わたしには21時や23時の門限があったのに、妹たちにはまったくなかったやん。

 

 


何でわたしにだけ厳しいん?

そんなんおかしいって思った。

 

 





 

それはお姉ちゃんがもう門限の設定をなくしたからであって・・・

 

 




 

そうやね。



じゃあさ、何でわたしだけおばあちゃんの話を聞かないとあかんかったん?

お父さんに対しての愚痴を聞かないとあかんかったん?

2人とも、わたしにとっては大事な2人やったのに。

お母さんからの言葉で、すごい嫌な気持ちになったよ。

 

 

 

それがずっと嫌やった。

妹たちには言わず、わたしだけが聞かないとアカンの、ずっと嫌やった。

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、やっと母にそう伝えることができました。

 

 

 

 




 

30年の

月日を経て、

やっと。

 

 

 

 











母は、








それはそうかもやけど…




それは悪かったかもやけど…





だって、あのときは茉莉花しか話す人がいなかった。










そう言ってきました。








30年経っても、

まだ同じことを言うか、

と思いました。







こっちはやっと本心を伝えられたのに、なのにまだ、そんなことを言うのか、と思いました。







わたしだけ聞くのが嫌だったと言っているのに、わたししかいかなったと…







わたしはそれに縛られてきたのに。







わたししかいないということで、わたしは自分自身に、母の話を聞かなければならないという鎖をはめて、それにずっと苦しめられてきたのに。







それがあって、わたしは、わたしだけが我慢すれば事なきを済むという発想をずっと無意識にしてきたというのに。







それにより、自分の本当の感情をずっと押し殺して、母の話を聞いてきたというのに。









30年も。











「それは悪かったと思うけど…」









けどって何?









悪かったと思ってるけど、それは仕方ないことだったの?










それが6歳の小さな女の子にどんな苦しみを与えていたか、想像したか考えたことはないのだろうか?と思いました。







…残念ながら、ないのでしょうね。







わたしは、そのとき、言いかけて、喉元まで出かかった言葉を飲み込みました。






母に聞いてみたいことがあったのです。







わたしの姪っ子はちょうど6歳です。







もし、妹の旦那さんが、夫婦間のトラブルや、お姑さん(わたしの母のこと)を、愚痴っていたら、どう思うか?と。






その行動について、どう思うか?と。







それを実際にしていた自分についてはどう思うか?と。









でも、わたしはそれをしませんでした。










それは、何となくキラークエスチョンになってしまうだろうなと思ったからです。








言われて苦しめられることがわかっているわたしが、わざわざ人を傷つけるかもということを言ってどうしたいんだと思いました。







母を咽び泣かせることになるかも知れない。





その姿を見れば、わたしは満足するのだろうか?と。






いや、それはわからない。






わからないのに、むやみに人を傷つけるのは、やめる方がいいと思いました。







なので、喉元まで出かかりましたが、言いませんでした。







ただ、結果的に聞けば良かったと、ずっとそう思ってるから、今回母が来ることになったときにとてもモヤモヤして苦しんだということもわかっています。











随分このことで悩みました。








やっぱり、言おうかとも何度も思いました。









でも、そのときにふと、「おかえりモネ」での台詞に助けられたのです。









戻って

たまるかと

思った









という言葉です。









わたしも、やっとここまで来た。









尊大型のアスペルガーの元夫のモラハラに苦しめられて、傷つけられ、すったもんだで離婚し、離婚後もたくさんの行政手続きに忙殺され。







やっと日常の穏やかさを感じられるようになった。








なのに、色々と悩むことで、またくよくよしていた自分に戻るの?








いや、

戻ってたまるか








そう思えました。








母には思うこともあるけれど、それを思っていたところで苦しいのはわたし。







嫌な気持ちも伝えた。








そもそも、嫌な気持ちに、気がつくことができた。








それで、良いよね。
















そうやって、わたしは今回のことに自分の中でそっと折り合いをつけることができました。








自分の気持ちを、自分で穏やかにして、自分で良しと思える状態にしようと…






すぐには難しいかも知れないけれど、そうやって努めていこうと、そう思いました。








ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
















 

 

 

 

 

 

 

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