宇多田ヒカルさんのデビュー曲
Automatic が街中に流れていた
1999年
私にとっては
激動な1年間でした
1998年から1999年になる
年越しの2年参りに
生まれて初めて家族以外の人と
初詣に行ったんですよね
それが今のダンナさんです
本当に不思議なご縁で
2人で初詣に行くことになり
年越しを一緒にしたんです
1999年のバレンタインデーに
付き合い出しました
看護師の国家試験を受けて
看護専門学校を卒業しました
卒業を機に
5年間勤めた診療所を辞めて
病院に転職しました
国家試験の合格発表の日は
アメリカに卒業旅行に行っていて
帰国してすぐに
成田空港の公衆電話から
同級生に連絡をして
合否を確認しました
同じクラスで勉強していた全員が
合格していて
晴れて正看護師になりました
転職を機に
アパートを借りて
一人暮らしも始めました
一人暮らしは私には向かないな
と 思った頃に
ダンナさんと結婚することになり
あれよあれよと言う間に
結婚式場と日程が決まり
両家の顔合わせや
親戚への挨拶まいりが終わり
付き合って3ヶ月目に
入籍をしました
アパートを引き払って
家電を友だちにあげて
ダンナさんが一人暮らしをしていた
今住んでいるマンションに
移り住みました
その後すぐに娘ちゃんが
お腹にいることが分かりました
新しい職場に
妊娠中の夜勤
ダンナさんとの新しい生活
慣れない毎日に
ツワリも始まり
とにかく眠くて仕方がなかったのを
覚えています
入籍する前に決めていた
結納と結婚式をして
妊婦服を着て
北海道へ新婚旅行に行きました
1999年の年末には
娘ちゃんを出産しました
2000年の年明けは
産科のベッドで迎えました
本当にビックリするくらい
色んなことがあった1年間で
色んな場面で
宇多田ヒカルさんの歌声が
流れていた記憶があります
あの年の
選択と行動が
今のしあわせに
繋がっているんですよね
そんな思い出の曲が入っている
宇多田ヒカルさんのベストアルバムを
息子くんからプレゼントしてもらうなんて
感慨深いですね
何かがちょっとズレていたら
娘ちゃんも息子くんも
私の子どもとして
生まれてきていなかったかも
しれないんですよ
若い頃から
卵巣機能不全とか
子宮が小さいとか
骨盤の形が悪いとか
色々と言われてきて
自分の子どもは産めないのかな
子どもは欲しいから
バツイチ子持ちの人と結婚しよう
と 思っていたのに
バツイチでも子持ちでもない
ダンナさんとの結婚が決まり
しかもお婿にきてもらって
娘ちゃんと息子くんを授かって
2人のお母さんになれました
一生懸命子育てをして
本当に幸せだったし
充実していました
母の日は
お母さんにしてくれて
どうもありがとうの日
なのかもしれませんね
娘ちゃん
息子くん
どうもありがとう♡