私の額に梵字が浮き出した件!! | misaのブログ

misaのブログ

遊びに来てくださって ありがとうございます!












26日朝の富士山↓


8月26日は、播磨陰陽師の血を引く由佳さんと、てっちゃん、キクマリさんと私の4人で奈良の神社を巡る予定でした。


橿原神宮前駅でてっちゃんの車に乗り込み、近くの道の駅で由佳さんと合流しました。


すぐさま、てっちゃんのフタが取れたと言う橿原神宮あたりの神社に向かうのかと思いきや、「今日はそこじゃないみたい」と由佳さんが言うのです。


私は、てっちゃんみたいに(松果体?の)フタが取れて、見えない金色の鳥が見えるようになりたかったので、この4人旅を計画したのでした🤣


何処行こう??


由佳さんは、皆んなが集まってから行き先を決めようと思っていたようです。


私からみなさんへのお土産は、伊豆の「ワサビ塩」だった事から、海・塩と言うワードがあがり、和歌山県にある『塩竈神社』に行くことになりました。


え?奈良じゃなくて和歌山なの??


和歌山県は今年4月に西海岸と熊野詣に行ったばかりでした。


結局、奈良は空氣を吸っただけとなりました🤣


塩竈神社に向かう高速道路の途中、『丹生都比売神社』の看板がアピールしてきました。


丹生都比売神社は、昨年の6月にパートナーと高野山に行く途中でも、看板が目に止まり予定にはなかったけど参拝して来た所でした。


そしたらそこは、私の過去世と、てっちゃんの過去世が関係している神社だと、そのあと分かったのでした。


だから、何となく帰りにそこに寄るのではないかと言う予感がありましたが、これから行く『塩竈神社』の事を調べていたら、『丹生都比売神社』の名前が出てきて、鳥肌が立ちました😱


そうそう、この旅は私のフタを取る旅でもあるので、まずは車内で由佳さんが、私の首の後ろの「ぼんのくぼ」と額の「第三の目」を繋いでくれました。


すると、眉と眉の間が少しへっ込んだ感覚があったのです。


そしたら、キクマリさんが「あっ、misaさんの額に文字が見える!」と言い出したのです。


由佳さんが、それは梵字かもと言いました。


いや〜ん、これから一体何が起こるのでしょう!フタ開くかなぁ?


『鹽竈神社』は元々『玉津島神社』の祓所だったとの事なので、まず最初に『玉津島神社』を参拝しました。



風鈴まつりをやっていました。




玉津島神社はそんなに広くないので、さくっと参拝出来ました。


そして、『塩竈神社』の方向へ歩いていくと、変わった岩肌に遭遇!



これは、『結晶片岩』と言うものだそうです。


『結晶片岩』とは、地下深くで高い温度と圧力を受けることでできる変成岩です。


黒雲母・白雲母・角閃石などが規則正しく配列することで、片理と呼ばれるしま模様となるようです。



荒れた岩肌が伽羅(きゃら)=香木に似ている事から「伽羅岩」とも呼ばれているそうです。


『塩竈(しおがま)神社』


私は、仙台の塩竈神社に行ったことがありますが、和歌山にもあるのですね!



『塩竈神社』は、結晶片岩でできた『鏡山』の南面に鎮座しており、拝殿は、海風により自然に形成された洞窟の中に造られていました。



2012年に、樹齢200年以上の『和合の松』が折れてしまって、再生させたのだそうです。



こちらは、かつて『浜降り神事』の際に神輿(みこし)が奉置される場所であったため輿ノ窟(こしのいわや)と呼ばれていたそうです。



浜降りとは、毎年9月16日に『丹生都比売神社』の神輿が、紀の川沿いをはるばる玉津嶋神社まで渡御し、翌日に『日前(ひのくま)神宮』へと御行してゆく神事をいいます。


神輿が玉津嶋神社で一晩奉置されるところが興ノ窟だったそうです。


わぁ、今年4月に『日前神宮』と『国懸神宮』を参拝しましたが、『塩竈神社』はそこから車で15分の近い所にあったとは!



このほこらの中に神体の鹽槌翁尊(シオツチノオジノミコト)が祀られています。



由佳さんが、ここの神様はめっちゃパワフルでやる氣に満ちていると言うてました。



龍神さまが寄ってきました。


『塩竈神社』は、人の邪氣がなくて、いい感じの所でした😊




ランチを何処で食べようかと探したら、すぐ近くに『あしべや夢ごてん』と言う変わった店名を発見!行ってみました。



そしたら、すご〜く素敵なお店で、しかも何食べてもめっちゃ美味しい💕



お腹も心も満たされました😍


そして、もう次に行く所はここしかありません!!


『丹生都比売神社』↓


『丹生都比売(にうつひめ)神社』は高野山の守り神を祀っており、高野山と深い関係にある神社です。


この『外鳥居』は、神仏習合が盛んだった神社によく見られる両部鳥居で、両部とは密教の金剛界・胎蔵界のことで高野山との縁の深さの一端が窺われます。



外鳥居の少し先に朱色の太鼓橋である「輪橋」が見えて来ます。


通常は神様が渡られる神橋ですが、こちらの輪橋は神様のおかげをいただくために参拝者も渡ることが出来るようになっているのだそうです。



タイマーを10秒にしてシャッターを押したのですが、私は橋の上まで辿り着けず💦 てっちゃんに代わってもらいました😊


四角い小嶋↓は、弘法大師の逸話にも登場する『善女竜王』が祀られているのだそうです。



振り返って撮影した『輪橋』↓


中鳥居↓


楼門の前で↓



4つの本殿と若宮↓


第1殿に丹生都比売大神、第2殿に高野明神、第3殿に大食都比売大神、第4殿に市杵島比売大神が祀られています。


鎌倉時代には行勝上人により氣比神宮から大食都比売大神、厳島神社より市杵島比売大神が勧請され北条政子が社殿を寄進しました。


丹生都比売大神(丹生明神)は、天照大御神の御妹神(稚日女命/わかひるめのみこと)とも言われています。


「丹」は朱砂(水銀の原料)の鉱石から採取される朱を意味しています。


平安時代の初期、密教の根本道場の地を求めていた弘法大師の前に、丹生都比売大神の御子神とされる高野明神が黒と白の犬を連れた狩人に化身して現れ、高野山へと導きました。


若宮には、平安時代末期から鎌倉時代初期の真言宗の僧、行勝上人が祀られています。


しかし、今回の目的の場所は、神社ではなかったようです。


てっちゃんは、最初から神社の敷地の西側に引っ張られていました。


丹生都比売神社境内の西側には、神仏習合の名残がみられる一画があるのです。



この一画には、『御影堂』や『多宝塔』の跡が残っています。


神仏分離以前には、不動堂や護摩所など、仏教関係の建物があったようです。



『丹生都比売神社』は大峯修験、葛城修験とも関わりが深い神社であることがわかります。


ここは、かつて当たり前であった神と仏が共存する神仏習合の姿だったのです。


ちなみに、明治の神仏分離までは「天野社」と称していたものが、この時から「丹生都比売神社」になったのだそうです。



『多宝塔』は、10世紀中頃建立され、本尊として大日如来を祀っていました。


『御影堂』は、北条政子によって、女人禁制で高野山に登れない女人のためと、夫 頼朝の菩提を弔うために1211年に建てられ『弘法大師坐像』を安置していました。



ここで、北条政子は義理の息子・貞暁と会ったのだと思います。


建保6年(1218)の上洛の際に、政子は熊野詣を行ない、さらには高野山の近くを訪れていた。


今は亡き身内の菩提を弔うための旅だったものと推察される。


夫の源頼朝は落馬事故で命を落とし、嫡男頼家も自らの実家北条家によって惨殺されていた。


政子は密かに高野山を訪れ、ある人物と対面していた。


その人の名は、貞暁(じょうぎょう・ていぎょう)。


亡き頼朝の忘れ形見の男子で、齢7歳で京の仁和寺に入室した人物である。


頼朝、政子の次女である三幡と同じ文治2年(1186)に誕生した貞暁はこの時32歳。

修行先を仁和寺から高野山へと変えた後も、初代鎌倉殿・頼朝所生の男子として一目置かれる存在だった。

当時の高野山は、女人禁制であったため、政子が訪れたのは、高野山への道中にある丹生都比売神社だ。

かつて、頼朝と御所の侍女との間に生まれた貞暁のことを政子は徹底的に忌み嫌っていた。

そのため、貞暁は、鎌倉殿頼朝の男子として生まれながら、政子をはばかって誕生を祝う儀式も行なわれず、本来であれば有力御家人が乳母になってもおかしくない立場でありながら、7歳で京に行くまで政子の目に触れないよう、爪に火をともすように生きてきたのである。

その貞暁になぜ政子が会いに来たのか?

この段階で30代前半の貞暁は鎌倉殿の後継者として遜色のない立場にあった。

高野山に残る伝承では、政子は貞暁に将軍職を継ぐ氣がないか尋ねたという。

貞暁の答えは、「否」。

真偽のほどは定かではないものの、政子とのやり取りの中で、短刀で自らの眼球を潰したという話も伝わる。

貞暁にしてみれば、今さら、権力闘争の末に頼家や阿野全成や多くの御家人が誅殺される魑魅魍魎の鎌倉などに戻りたくはなかっただろう。

政子が、貞暁と対面した翌年、実朝が甥の公暁に暗殺される。

そして、承久の乱を経た貞応2年(1223)、政子の援助もあったのか、貞暁は、院主を務める一心院に『寂静院』という一院を建立する。

『帝王編年記』によると阿弥陀三尊を本尊とし、その胎内には父頼朝の鬢髪を納めたのだという。

貞暁との対面の際に政子が持参したものであろうか。

実朝が亡くなった後は、初代鎌倉殿頼朝を父とする唯一の男子となった貞暁。

「鎌倉法印」あるいは「高野法印」と称されて、いっそう崇敬を集めたという。

なお、政子は丹生都比売神社に社殿や金銅琵琶(重要文化財)などを寄進している。

参詣の折には、政子の切実な祈りに思いを馳せてほしい。


<抜粋終わり>


こちらも併せてお読みください。)


私は、高野山とご縁の深いてっちゃんがこの貞暁さんの生まれ変わりだと直感しているのです。


ちなみに、由佳さんによると、てっちゃんは過去世で私のだったこともあるそうです。


この神社を訪れた事で、なぜ私が毎年高野山に行くのかも分かってきました。


そして、ここには変わったものがありました。



『脇ノ宿石厨子』↓


内部には修験道の開祖といわれる『役行者』の石像が安置されているそうです。


そして、何だかとても不思議な異次元の石碑のようなものが!


光明真言曼荼羅碑↓


中央下より時計の針の進む方向に梵字で光明真言が刻まれており、1662年に建立されたそうです。


その時、キクマリさんが光明真言を唱え出しました。なぜかこれだけ覚えたのだそうです。


『光明真言』

オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン


由佳さんも、そうそう、それ!と言って一緒に真言を唱え始めました。


そしたら、『光明真言を唱えるとmisaさんの額に梵字が出るよー!』と2人が言うのです。


なんそれ!😱


光明真言曼荼羅碑の下には、千手観音・阿弥陀如来を表すキリークと、不動明王を表すカーンが刻まれています。



左側のカーン↓


ちょうど、私の守り本尊は千手観音なのです。


お不動さんが後ろに居るとも言われた事があります。




額に現れた梵字は、キリークなのか?


額の文字は、『ろ』みたいな感じなのです。


あるいは、かな?とか。



それとも単なる氣のせいか??


私の過去世とてっちゃんの過去世の人物が会った場所でのめっちゃ不思議な出来事でした。


でも、あまりにも時代にそぐわないようなハイカラな曼荼羅碑だったから、異次元に行って来たみたいな感覚になりました。


2箇所を訪れただけなのに、めちゃくちゃ満足で有意義で達成感のある1日でした。


『琵琶お守り』も購入して来ました↓



てことで、第二弾の旅も行く事になりました💕


次は何が起こるかなぁ?