立ち上がれ、シオンの民よ! | misaのブログ

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富士山麓に古代に存在していた「富士王朝」についてまとめて参りましたが、今回にてひとまず最終話となります。

「宮下文書」をまとめた徐福に関しては、日本の至る所に徐福伝説が残っています。

徐福は、二度にわたって日本に来ていますが、一度めに上陸したのは若狭湾で、籠神社の奥の宮・真名井神社の境内には古代の磐座が残されています。

7年という歳月の間に、徐福たちは丹後に拠点を築き、磐座を中心に神殿を建設していたようです。

それが後の「籠神社」になりました。

二度めの航海でぐるりと回り込んだのは九州北部の「吉野ヶ里遺跡」の近くだったようで「金立神社」がその名残りとなっています。

その後、熊野などにも訪れ、徐福が引き連れて来た人々によって、その辺りに物部王国が作られていきました。

そして、徐福は蓬莱山を目指し、富士山周辺に住み着くのです。

徐福が連れて来た技術集団によって、「家基津」には、農業・医薬・養蚕・鋳物の技術や職業が伝わっていきました。

ちょうどその頃、たまたま竹内宿禰が阿祖谷に滞在しており、徐福に非常に興味を持ち学問を教わりに行っています。

そして、息子を「羽田(はた)」と改称させました。

徐福の子孫らは、「秦氏」を名乗っている事は有名です。

この秦氏とは一体何者なのでしょうか。

現在の考古学では、今からおよそ1万2000年前から日本で縄文時代が始まり、それはおよそ1万年続いたとされています。

月からの水がもたらした大洪水が起こったのが、1万2000年前と云われているので、生き残った人々が日本列島にいたのでしょう。

日本列島のごく最初の人口は約2万人からだんだんと26万人にまで増えていきましたが、今から約3000年前頃になると、逆に7万人に減少するのです。

これは、気温の低下とそれに伴う食料不足によるものと考えられています。

それが、紀元前5~3世紀頃になると人口は急に増加し、紀元前2世紀には60万人に達したと推計されています。

この時代に一気に人口が膨れ上がった要因は、大陸からの大量移民があったからという説があります。

日本列島に元々いた先住民たちは、アイヌや琉球民族のように顔の彫りが深いのに対し、大陸から新しく流れてきた人々はのっぺりした顔つきでした。

紀元前300年から紀元後700年までの千年間に、日本列島に来た渡来人は、100万人を超えるとも云われています。

ちょうど、その紀元前3世紀頃に、徐福は童男童女3000人を率いて日本に渡って来たのでした。

徐福は、神農の子孫だった為、神農が訪れたという蓬莱山に関心が向いていたのかも知れません。

徐福の後にも次々と渡来人がやって来ています。

日本には、「ハタ」とつく苗字も多いし、日本人って元々漢民族なの?と思ってしまうかも知れませんね。

いえいえ、そうではないのです。

実は、日本人のルーツは、古代イスラエルにあったのです。

日本の先住民族のアイヌは、カナダの先住民と遺伝子的に非常に近く、九州の熊襲もインカ人と遺伝子がほぼ一致していると言います。

北米インディアンのホピ族は、ユト・アステカ語を話していますが、これが古代ヘブライ語と非常に似ている事が分かっています。

彼らのルーツも、また、彼らと同じ遺伝子を持つアイヌや琉球民族もまた、古代イスラエル人の末裔と言えます。

その後にやって来た渡来人の秦氏についてはどうなんでしょう?

今から3300年ほど前に、巫女でもあった王妃ネフェルティティは、戦乱が生じるという不吉な情報を受け取ったため、エジプト王朝をそのまま別の土地へ移すことにしました。

ピラミッドとスフィンクスのエネルギーの源泉でもあった契約の箱アークを持ち出し、先導をしたのがモーセでした。

モーセがエジプトの民を引き連れて、最初に訪れた地がイスラエルでした。

その頃イスラエルは、ダビデ王の息子ソロモンによって統治されており、アークはソロモン神殿に安置されることになりました。

その後12支族が争いを始め、2支族と10支族に分裂してしまったのです。

その二つの勢力のうち、10支族が所属していた勢力は、その後アッシリアという強大な帝国に捕虜にされてしまい、さらにその後、アッシリアは「スキタイ」という騎馬民族に滅亡させられてしまいます。

しかし、アッシリアの捕虜になっていた10支族は「スキタイ」という騎馬民族と仲良くなったため、滅亡を免れ、スキタイの中にまぎれて騎馬民族となり、シルクロードを通り朝鮮半島を経てやがて日本へとやって来ることになります。

2支族の方にいたイザヤは、契約の箱を守るよう頼まれ、海洋系のルートを通り、やはり日本へ辿り着いたのでした。

つまり、中国から日本へ渡って来た騎馬民族は、古代イスラエルのDNAを持った人々だったのです。

神農も秦の始皇帝も徐福も神武天皇も、みな同族なのです。「契約の民」だったのです。

驚くことに「君が代」はヘブライ語で解釈する事が出来るのです。

立ち上がれ、神を讃えよ
神の選民 シオンの民
選民として 喜べ
人類に救いが訪れ
神の予言が成就する
全地あまねく 宣べ伝えよ』

古代イスラエル・12支族のDNAを持つ私たち日本人は、いよいよ立ち上がる時が来たように思えます。

縄文に学び、意識を変えることです。

そんな折に、古代富士王朝の「不二阿祖山太神宮」の復活は、何かとても意味があるように思えます。

世界の要・富士山を護るために!!

パドメユキさんが、節分の日に太神宮に行かれたそうで、きれいなお写真を載せて下さっています。

パドメユキさんのブログ

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昨日の朝の富士山も凄かった!

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「富士王朝シリーズ」をお読み下さり、どうもありがとうございました。