癒し 天使たちのことば -5ページ目

癒し 天使たちのことば

日々降ろされる霊天上界からのメッセージと共に、
心癒される言葉や、励まされる言葉をお届け致します。


霊言の口調と霊的なことについて


コメントで、霊言の口調について、の質問がありましたが、この事については以前から何度かご指摘を受けていたかと思いますので、ブログの本文で、私の今の心境でわかり得る範囲でお答えさせていただきます。

確かに、霊媒師によって違いもあるでしょう。
霊媒師の悟りの度合いや、この世的な知識や様々な条件によって変わってくるでしょうね。
また、話す相手(質問者)によってもかなり口調は変わってきます。
また、話す内容によっても変わってくるでしょう。
様々な要因が考えられますが、大事なのは「何を言わんとされているか」だと思います。

霊的には、概念で降りてきますので、それをこの世的に翻訳する形で言葉が浮かび上がってくるものなのです。そのような状況であると言うことを、ご理解頂ければ、様々な状況もご理解頂けるのではないかと思います。

更には、皆様も人とお話しされる場合、相手によって話し方が違うと言うことはしょっちゅうあると思います。友人に話すときと、先輩に話すとき、子供や先生、会社の社長、お店の店員さん、魚屋のおじさん等、様々な方と話をされるとき、やはり話し方(口調)は変わってくるのではないでしょうか。
まだありますよね、その時の状況によっても変わります。雑談の時、仕事の時、結婚式での挨拶、卒業式での挨拶、お葬式の時の挨拶等、様々な状況で話し方も変わってきます。
また、同じ様に雑談していても、初めて会った方、二回目、三回目でも違うでしょう。
複雑に、この口調と言うものは変わるのではないでしょうか。方言もありますよね。

要するに、生きている人と話すのと同じなのです。
ただ違うのは、霊的な存在は、人(霊媒師)の体を借りなければならないと云う事です。
そこで、「何らかのフィルターがかかって来る」と云う事です。
しかし、このフィルターの部分を必要以上に大きくとらえすぎると、また間違う事もあります。


(ここから少し話は変わりますが、霊的な事について少し話させて下さい。)

要するに、「霊的な存在が、なにを言おうとしているのか」これを読み解かなくてはなりません。その時に仏法真理を正しく学んでいる方は、それを定規として、その霊的存在がどの様な方であるかを見分ける必要があるでしょう。
その事により、霊媒師が変わったとしても、その霊的な存在がどの様な方であるのかが、おおよそわかって来るのではないかと思います。

その時に求められるものは、この世的になりますが、やはり最低でも研究員の資格を取る必要があります。主の定められた、一定の定規に自分自身を乗せて見る必要があります。
そこからが、悟りへのスタートでしょう。研究員の資格を取らないと云う事は、かなり慢心があると云う事です。ここは主の御言葉に素直になり、研究員の資格をとりましょう。
あくまでも、この世的な資格にはなりますが、その知識、その姿勢もまた大事なのです。

「幸福の科学で、正しく学び、正しき心の探究を続けている方は、霊的状況が現れたとしても、大丈夫なのです。他の怪しげな宗教とは違い、幸福の科学は安全であるのです。それだけの教えがあると云う事です。」

過去にも、霊的な状況でおかしくなった職員さん達が居られたと聞いていますし、見ても来ましたが、日々に正しく学び、日々に正しき心の探究を続けている人は、そう易々と魔に翻弄され続ける事は難しいのではないでしょうか。一時的に魔からの攻撃にさらされる時もありますが、仏法真理を正しく学んでいて、また、日々に正しき心の探究をしていて、魔に負け続けると云う事は逆に難しいのではないでしょうか。
幸福の科学は、そう云った意味で安全なのです。
またその様な方は、霊的にも守られている事を忘れてはいけません。
主の教えを、他の教えと一緒にしてもらいたくはありません。
主の教えは、最強であり、最高であるのです。また、主の弟子が心を謙虚にし、主と共に歩む時、大いなる光に包まれている事も忘れてはならないでしょう。

霊的なものは危ない、と云う方が大多数だと思います。
確かに、私も魔からの攻撃を何度となく受けました。また、これからもあるでしょう。しかし、主の弟子であり続け、また、主の教えがある以上、私は負ける気がしません。
もし、その様な状況が来たとしたら、私の学び不足や、慢心や油断等で心が見えなくなった時でしょう。しかし、悟りへの目標を高くして進んでいる以上、必ずや軌道修正できるものと信じています。

主の教えについても、様々な解釈があり、また多方面に教えが拡がっているので、異論が出ると思います。しかし、それらの総べてのことは、その人の価値観や置かれた立場や状況等で見ているので、意見が違う事がおきるのです。
同じ教えを学んでも異論が出てしまうものですが、研究員と云う一定の学びを得た人達では、この意見の差も、学んでいない人に比べて少なくなって来ると思います。
しっかりと正しく学ぶ事が大切なのです。正しく学んでいれば、主の教えに対して、そう大きく解釈が違うと云う事は無いでしょう。教えに対して、意見が大きく違う場合は、学びが不十分であると言わざるを得ません。

また、「正しき心の探究」と言いますが、この「心」が理解できない方と、何と無くでもいいが心を理解できる方との意見の違いがあります。
同じく研究員であったとしても、この「心」が分からないと、主の教えが抽象論に見えるものですが、心が分かり始めると、主の教えはとても具体的になって来ます。ここに大きな違いが出て来るのです。
その違いゆえ、法友と話をしたり、職員の方と話をしたりしても、その方がどちら側の方なのかが、何と無く解ってしまいます。そんなに違いが出て来ます。

「心」と云うものが分かり始めると、精神世界に自分自身が入った事が分かると思います。これは、はっきりと分かります。今迄とはまったく違った様に、見え始めて来るのです(心で)。
精神世界への参入、この経験が未だの方は、出来るだけ自分自身の心を知る事に努力される事をお勧め致します。主の教えが、具体的に見えて来るのです。自分自身が見えて来るのです。是非、お勧め致します。

活動を通じて、心のあり様を見つめるのもいいでしょう。精舎での研修で、心の発見をされるのもいいでしょう。自分はどの様な存在であるのか、見つめて行く事でも見えて来るかもしれませんね。
様々な方法を主はお教え下さっています。トライしてみては如何かと思います。

一人でも多くの方が、幸福の科学で研究員となり、正しく心の世界へと参入され、守護霊との会話や、より悟りを高めて、高級霊界との交流を経験される事を祈念してやみません。

主の願われる理想社会の建設には、正しく霊的交流が出来る方達の存在が欠かせません。一人でも多くの方が、霊的世界を実感され、主の導きに従って力を合わせ、新時代を切り開いて行きたいものです。

僧団には、正しく審神者が出来る体制が必要になって来るのではないでしょうか。
難しいかもしれませんが、やはり審神者体制を作らなければならないでしょう。
これだけの法が説かれ、一定の時間も流れた今、霊的な交流が出来る方達が増えています。
その方達が、正しく悟りを伸ばして行く為にも、いつまでも弟子による霊的な事を否定する僧団であってはいけません。矛盾しています。
審神者体制がとられないのであれば、どこまで良くて、どこからがいけないのか、はっきりと線引きをする必要があると思います。霊的になると、僧団から弾圧を受ける今の状況を何時までも続けていいとは考えにくいものです。

総べては「霊的なものは危険である。」と云う事から始っている様ですが、しかし、「主の教えを正しく学ぶ者には、安全である。」という考え方もあるのではないでしょうか。
現在は、弟子達が、悟りを上げ、霊的になったらそれをひた隠しにしなくてはならない様な事態であります。そこに魔が忍び込んで来ます。
もっと、明るく、もっと自由に出来ないものかと思う次第です。
主の教えの下での自由、伸び伸びと悟りを高め、伸び伸びと伝道し、伸び伸びと救済にと、自由に活動が出来る僧団でありたいと願うものであります。

KU


ランキングに参加しています。
クイックの応援ろしくお願いします。

         
理想実現のために


いつもブログをお読みくださり、心から感謝いたしております。
今日は、巫女たちと「どの様にしたら成果が出るか」と云うことについて話をしていたところ、富受大神様からお言葉をいただきました。また、その後も数名の方達にお言葉をいただきましたので、その内容をお伝えいたします。

尚、この霊言は11月25日に収録したものです。


* 豊受大神(とようけのおおかみ)様より

実の成る木を司っております、豊受にございます。

KU:成功を表すという事でよろしいでしょうか

はい

KU:よろしくお願いします。

人の成功を祝福出来る者は、自らもまた成功に至るという事でございます。

世の中は、大変厳しゅうございます。その中において、我自身よりもはるか遠くに、我自身の成功を思わば、その心、鏡に映し、まこと稀有なる美しき心の様子にして、努力精進ある者の頭(こうべ)に成功の誉れを受ける事あります。
その折、他の人々の成功をもまた、祝福出来る者が、真の成功者足り得る実力を備えているものと感じておりまする。
このところは誠に微妙な心なれど、寸分たがわず神の御心はそれをいち早く見抜かれ、そのものにとって誠必要なものは何かと問いながら、成功への道へと導いてゆかれる事でしょう。
その心の持ちようを、今一度改め、この態度を改める事により、一日も早い実の収穫が出来ますよう、心より祈念いたすものでございます。

本日はこれにて


* 活動の力を応援してくださる方。

名前がすぐには出てきません。
日本におりました。そして時としては神のような存在でもあり、又時としては、この活動の力となるものを発揮いたす者であります。

KU:活動の力? それを応援してくださる方?

はい

先ずは腹をしっかりくくって力を込めて、体を動かす事。
この行動に移すという事は、あらゆる全ての物事の基本であります。
体を動かす事により、その活動の量は二倍三倍と増えていくことになります。

三次元的な努力をした後に、この活動は盛り上がりを見せるでしょう。
その力をいずこより湧き出でるものであるか、これをよくよく知ることであります。
心技体、三位一体となってあらゆる事に当たるべき事也。

これによりあらゆるいかなる活動をも、我らは力強く断行してゆく事が出来るのであります。
そのもっとも三次元的なる波動の処で様々に迷う者あり、自らも又、その動き、清々しさを以て行動に移す事で、この活動が真なる目的の為に成されているものであるという事を証明する事が出来るでしょう。
いずれにせよ、その努力は必ず努力を成した者の頭(こうべ)に実となって降り注いでくる事でしょう。

以上です。


* 千の真(せんのまこと)様(仮名)

貫く者はその意思強く、この岩の如きその思いを天空高く掲げ、そこを目指して突き進む事、これは真っ直ぐと縦に向かいゆく力を湧き起こす事である。
これは伸びてゆく力、突き進む力、何物をも貫き通す力である。
この力を蓄えてその理想を実現せんとする、あくなき思い、努力、これらのものを真なる理想実現の為の底力として持ってゆく事が、思いを起こし、行動を起こし、理想を実現してゆくための方法である。

三次元の世界に於いてこの熱き抵抗の中を突き進んでいく事の意味と、それを成し遂げる力、そして勇気、これらはその全てを実行した時に、神の愛となるのである。それを実現せんとして人々は皆そこを目指し、突き進んでいるのであるが、大いなる抵抗の波に出会った時に、はたとその理想を忘れ千々に分かれてもろく崩れ去っていくのが常である。しかし、その中をもかき分け一筋に突き進む者が、それを続ける者のみが、この理想をやがて実現してゆく事になる。

どこまでも強く、どこまでもやさしく、天空を貫く思いで突き進んでゆけ。



【ブログ管理者より】

正にこの時に、良きお言葉を頂戴いたしました。「心の力」「行動力」「持続力」この力でもって、主の理想を実現していく事となりましょう。

そして具体的には、その時々に、その人の目の前に提示された物事を成していくことで、この理想実現に一歩一歩近づいてゆくことになります。

どんなに素晴らしいことを言っても、どんな肩書きを持っていたとしても、この行動を起こさなければ、理想実現など絵に描いた餅になってしまいます。なので行動を起こさなければなりません。本当に主の理想をこの地上に実現しようと思っている人達よ、ともに立ち上がって、今の戦いを駆け抜けていきましょう。

個人としての勝敗はあると思います。自分自身がいかに思い、いかに動いたか、行動したか、そこに個人個人の勝利というものはあると思います。
来る厳しい時代を、少しでも和らげるためにも、この戦いを勝ち抜けてゆきたいと思います。そして必ずや、主の理想を地上に実現してゆきましょう。

未曾有の危機を目前にして、私達は試されているのです。
選ばれし仏弟子達の、その思いと行動に総てが託されています。
この戦いは、仏弟子達のために用意された戦いなのです。
軌道修正を促されています。
それは、個人においても、組織においてもです。
もう一度、自分自身を奮い立たせ、仏弟子としての姿を真剣に見つめ直し、行動に移し、新しい時代を作ってゆきましょう。
主は、一度も敗れられたことはありません。
答えはもう出ているのです。
私達は個人として、与えられた時間のなかで、この主の理想実現に向けていかに関わったか、ここが問われているところです。
共に頑張っていきましょう。
KU



ランキングに参加しています。
クイックの応援ろしくお願いします。

         



2】 天照様からの言葉 「選挙戦について」

 
 この選挙、国民に真を問う選挙としては、印象の薄いものであるけれども、しかし、実はそうでは無いと言うことです。
何故このタイミングであったか、それは天上界の計画として、ここで新たに真を問い直し、軌道の修正を行う必要があると言う事を示したものであります。

たとえ、一票なりと、獲得するチャンスを与えられた選挙であります。
この中において「幸福実現党は、どの様にその実力を発揮していくことができるか」と言うことが見られていると思わなければなりません。

大きなハンディを抱えていると言っても過言ではないでしょう。しかし、もともと我らには、そのハンディを乗り越えて、果敢に戦ってゆかねばならぬという使命が与えられているのだということを忘れてはなりません。
他の既成政党以上に、厳しさを強いられると言う事は、その試練をくぐり抜けなければならず、また、それをくぐり抜けた後には、本来のやらねばならぬ仕事が、待っていると言う事をです。

私達は、いつの時も反省をし、そして、次の発展のために、新たなることを学び続けてやってきております。
その時々の必要に応じて、われわれの学びというものは、否応なしに目の前にやってくることになっています。なぜか、それは、それほどまでに難しい仕事を、こなしていかねばならず、この栄光の道を進んでゆくための、大きな原動力となって、皆が力を合わせて進まねばならない時なのだと、いうことを知っていただきたいと思います

そのための選挙戦であると言うことで、この結果だけに問わず。その中においてどれほどの活躍ができたかと言うことをも、また問われているのだと言うことです。


【ブログ管理者より】

この選挙戦に対して、皆様はどの様に感じておられますか。
また、どの様に係わっていこうと考えておられますか。
私自身を振り返ってみたときに、何故か力がみなぎって選挙戦を戦うと言う感じではありませんでした。
何となく流れの中で、やっているような感じしかありませんでしたね。
しかし、この天照様の御言葉を受け、「一票なりと」という言葉が胸に染み入ってきた感じがあります。
そして、やらねばならぬ。いや、本当は思いっきり選挙戦を戦いたい自分が、心の奥で地団駄を踏んでいる姿が見えてきました。
私は、心に縛りを作っていたようです。

選挙戦、戦ってまいります。共に力を合わせて、選挙戦を走り抜けていきましょう。

KU


ランキングに参加しています。
クイックの応援ろしくお願いします。

         




いつも等ブログにアクセス頂き、心から感謝いたしております。

誠に、ありがとうございます。

今日(22日)は久し振りに、まとまった時間が取れたので、霊言の時間を少し長めに取らせて頂きました。その時の一部をお伝えいたします。

最初は、幸福の科学の職員さんの守護霊、六名の方がおいで頂き、お話しをさせて頂きました。その中でお一人だけご紹介させて頂きます。

次に、天照様の御言葉

最後に、主からの御言葉をお伝えさせて頂きます。

尚、ブログの文面は、三回
に分けてお伝えいたします。




1】 学園関係者の守護霊様からの言葉


 今国会が解散して、衆院選があると言うこの時期にさしかかり、幸福の科学大学の認可も下りなかった中での、こう言った政局を迎えているという世の中の状況であります。
これに際して、我らは何を物申すか、何を志すかと言うことについて一考しました。

やはりこの政府の行っている政治、この政策、そして目指そうとしているところに、いささかの誤りありと感ずるものであります。
我らはこれを、大学の設立の一件をとっても、このような事態になったと言う事は、ここから我らが、世に問うべき真理を、世の中に伝えていかねばならぬと言う役割を仰せつかったものと感じております。

政治は、これ迄も、いつの世も、謀(はかりごと)であり、人間心で計算をし尽くした上での所行でありますが、その中において、神の領域、仏の領域であるところの、真理の学びと言うものを、三次元のこの世界に持ってくると云う仕事は、大変大きな大仕事であります。そのための一翼を担う、大学と言う位置づけを考えておりました。

これについて、認可なされないと言うことをもって我らは、残念に思うのではなく、むしろそこにこそ我らの成すべき仕事があるのだと言うことを、知らねばならないと思っております。
主の意図なされたところの、寸分違わず我らがこれを実践していくために、与えて頂いた状況であると思っております。
よって今後、幸福の科学大学は、その形いかんに問わず、当初の予定通り、この学び舎を発足していくと言うことになりました。

この事は、私も初めに主のお言葉を伺ったときには、驚きであったと共に喜びでありました。私自身もそのお言葉はまさに望むところそのものであり、この使命を全うするにふさわしい我れとなって、邁進せねばならぬものだと、我自身に檄を飛ばしているところであります。
よって、大学生ののみにあらず、この国のもの、国民の皆様、全ての皆様達の為に存在するものであり、単なる知識を得るための施設ではないと言うことを、ここに固く宣言したいと思います。

世の政治のあり方を問い、正しいき世の中のあり方を問い、導いていくために、新たなる素晴らしき人材を育成していくための、仏から頂いた学び舎であります。
これを大切に、我らは、育てていかねばならないでしょう。
そのために、ありとあらゆる方々、信者の皆様、またそうでない方々も、全ての方々に御人力頂いて、この学び舎を盛り立てて頂きたいと思います。
私自身もまた、身命を賭して、この職をまっとうしていく所存であります。

ありがとございました。

【ブログ管理者】
幸福の科学大学はやはり、学び舎として予定通りに開学されるようですね。心から祝福いたします。
この学び舎は、元々主のお教えのもとに、最高の学問を成すところで有り、文科省の枠組みで色々と規制をかけられての開学より、より理想の学び舎としてスタートを切ることが出来るのでは無いかと思います。

理想のカリキュラムを、思う存分に作ることが出来る環境が整いましたね。学園関係者の方達は、大変でしょうが、理想へ向けて、妥協すること無く、突っ走って頂ければと思います。

また、栄光の第一期生の方達には、心から祝福の思いを贈らせて頂きます。
誠に、おめでとうございます。

KU


ランキングに参加しています。
クイックの応援ろしくお願いします。

         






コメントにお答えして

いつも私達のブログにアクセス頂き、また、記事をお読み頂き心から感謝いたします。
誠に、ありがとうございます。

今回は、大仕事(おおしごと)の記事に、コメントでアマキヨさんの記事について質問があり、回答致しましたが、即座にメッセージ等で「ブログ本文にて掲載を!」 と言う意見を頂きまして、どうしようかと考えましたが、N崎支部長に対して誤解の無いようにと思い、重複いたしますが、ブログの本文でコメントへの回答をコピーし掲載させて頂きます。


【コメントへの回答】

 コメントありがとう御座います。

* N崎支部長の件
私は、N崎支部長に対して、良き思い、好意を持っています。
よく学ばれておられるし、また、心の修行も為されておられると思いますよ。
優しさの中に、淡々と物事を進めていく力も持っておられると思います。
支部長として、頑張っておられると思いますよ。
精舎等の講師にもなれる存在ではないかと、個人的に感じている次第です。

* エル・カンターレ ファイトの件
アマキヨさんが支部長に質問した内容で、N崎支部長は答えられていますが、その答えについては、その通りでは無いかと思います。たぶん、私に聞かれても同じような事を言うのでは無いかと思います。
しかし、以前に問題にしたことは「それをする人の心の中に砂塵が混じっている」その事が問題であり、そのことが修業の観点では無いかと云う事であったわけであります。
その砂塵が、人を傷つけると言う事を言ったと思います。
なので、支部長に質問する時に、その時の状況を説明し、この心の中の砂塵の事についても触れながら質問した場合には、まったく違った答えが出て来るのでは無いかと思います。

このアマキヨさんがやった方法については、過去のマスコミのアンケートの事例で学んだのでは無いかと思います。
これは、アンケートの質問の仕方で、意図する答えを誘導し、そのトータルの答えでもって世論に大きく影響を与えると言う手法ですね。
主の教えの中に、この事はあったと思います。

ここでは、N崎支部長は本人の意図する事とまったく関係の無い、また知らされていない問題に支部長の答えを利用されているに過ぎません。その事を見抜いて頂ければと思います。
また、アマキヨさんの言葉が気になると言う事は、貴方様にこの事について何らかの学びのチャンスを頂いていると考えるのも良いと思います。
また、貴方様のコメントもまた、多くの方に学びのチャンスを提供されたのでは無いかと思います。素晴らしいことと思っています。

統べての出来事を通じて、心の中に去来することは、そこから何かを学べと言われていることが多く、また、向上するチャンスを頂いているものなのです。
また、その様な出来事を演じて下さる方が、各人の周りに、各人にあった方法で現れて下さっています。アマキヨさんもまた、私達に多くのことを学ぶチャンスを演出して下さっている一人だと考えてみると、感謝の思いが湧いてくるのでは無いかと思います。

今世の主と共に下生したこの世での経験は、誠に誠に奇跡的な時間であります。
また、色々な考え方の方達が集われ、共に主の法を学びながら、少しずつ調和していく時間の流れのなかで、実践を通して学ぶ事が出来る瞬間を与えられています。
様々な時に、様々な場所で、各人に合った方法で現れてきます。
誠に不思議な、不思議な、またありがたい環境を私達は主から与えられているものと心から感じる次第です。

この奇跡的な時の流れの中で、限りない向上を目指して、共に頑張ってまいりましょう。

KU


ランキングに参加しています。
クイックの応援ろしくお願いします。

         


大一番(おおいちばん)

今回の大学の件について、天上界の神々の方達にお話しを聞いてみましたので、その一部をお伝えいたします。
最初に「天之御中主尊」様にお伺いしてみます。


天之御中主尊様

Y・U:今回の大学の認可が下りず、私達の信仰心が今一段求められています。私達のこの歩みでは未だ未だですが、どの様にすれば良いか、アドバイスをお願いいたします。

いまは日本の神々が数多く集っているときであります。
天上界は皆こぞってこの地上で起きていることを、じっとみております。
皆それぞれに、どのようにすれば一番効果的に、この仕事をなし得るかと言う事を考えながら見ております。
なかなか憎い演出であります。

世の中の多くの者たちが、このなんともいえぬ、大芝居に釘付けになるところであります。
さーここまで追い詰められたお前たちは、一体どうするのかと世間の者たちは皆思っていることでしょう。

話がクライマックスになったところで、それまでの話を全てひっくり返して、全てのものを釘付けにするように、その思いを引きつけて行く。
これはなるほど面白い、それほどまでの大芝居を打って出ようとしているところなのであります。

ちまちまと小さな仕事を繰り返す時は、もう早流れ去った。
これからは最後のトドメを刺すために、1番遠いところから、その的の中心に向かって一気にその矢が放たれようとしている、その寸前であると言うことです。

どれほど見応えのある話であるか。
我らは、皆、釘付けになってその話を、楽しみにしているのです。

はてさて地上に居る者達は、どのようにそれを実現しようとするのか。
罵詈雑言を浴びせられ、世の中の端っこに追いやられ、何もかも不自由な、羽根までももぎ取られて、もうこれ以上抵抗する術さえ無いのではないかと言うくらいにやり込められた主人公は、どのようにしてそれをひっくり返していくか。

自分がその主人公であるならば、さてどのようにするか考えてもみよ。
どれほどまでに注目を浴びる、クライマックスとなることか。
一気にその矢は的の中心を射る。
この爽快感を味わうことになる。

何もかも、今までの常識を投げ捨てて、思い切ってやることです。
もう十二分に、迫害されるだけ迫害された。
何よりも大切な、主の御光を、冒涜するだけ冒涜された。
さぁそこまでなって、どのように致しましょうかと相談すると言うのか。

その思い一つで駆け抜けて行くべし。
我らは、それをじっとを見ておりますぞ。


K・U:主の行われようとしている大仕事に対して、私個人として見たときに、主のお役に立ちたいと思っていますが、遅々として進まぬ自分自身の悟りの低さに、その行動力のなさに日々悔しい思いをしていますが、どの様にしたら良いのか、アドバイスをお願いできればと思います。

  自分の得意とすることを、更に強靱なる武器とする事です。
その得意なことをもって、闘ってゆく事。

人間一人ひとりが出来る事は、この大きな大仕事から見たら、小さな仕事でしかない、しかし、その小さな仕事が数多く集まることによって、大きな仕事をなしていくことになる。
さすれば、個人においては自分自身が出来ることの最大限を発揮事するよりほか出来る事はあるまい。ならば、得意分野を伸ばすことだ。
この時に、出来ぬことを考えても仕方あるまい。
より強固に、より強靭に、その得意なことが武器となるよう、磨きをかけ、更に更に伸ばしていくことです。
そのことによって、今一段の脱皮を図ることができるでしょう。

基本は、特別な難しいことの中にあるのではない、常日頃やっていること、もうとっくに知っていることの中に、大切な基本があり、それを丁寧に鍛錬していくことで、自分個人としての平均値を上げていくことができる。

自分に足らざるものがあれば、それは、得意分野を伸ばすことにより、次第に補完されていくであろう。
とにかく前進あるのみです。


KUより

さてこの大舞台で、自分はどの様な役柄を演じることが出来るか、を問われているのでしょう。

自分で役柄を見つけ、自分で自分のシナリオを書き、主の大舞台で演じることが出来るか、その希有なるチャンスを頂いたようですね。

法友の皆様と共に、共演出来ることを楽しみに頑張ってまいります。
皆様の健闘を祈念いたします。

次に、天照様の御言葉をお伝えいたします。


天照大御神様より

K・U:今回の大学の件について、主もお怒りでは無いかと思うのですが、天照様の今のお考えをお聞かせ願えればと思います。

もう何度も何度も、話をしてまいりました。
警告もしてまいりました。
また、励ます言葉も語ってまいりました。
しかしそれでも、この結果であります。
私も同じく、大変残念な思いでおります。

ただ私の立場としては、主がどのようにお怒りであられても「そのお怒り、全身全霊で受け止めさせていただきます。」と言う気持ちでおります。
そして、何が何でもこの先、主の理想を実現していかねばならない。
その覚悟を、難く持っているところでございます。

何をどのようにしてゆくかは、これからは私も走りながら考えてゆくことといたします。
三次元にてこのような結果になると言う事は、天上界では、計画をしていなかったことでございます。
しかし、それでも我らは「打ち返してゆかねばならぬ」と思っております。

どのような状況であったにせよ、決してこれを諦めるものではなく、必ず、主の理想を実現していく事と、この答えにいささかの変化もございません。
それ以外に我らの成す事は、無いのであります。

これからは、今までよりも尚いっそう、その思いの中に熱き心を込めて、仕事をなしてゆきます。

この天照にして、反省をせねばならぬと言う思いに駆られているところでございます。

何があろうとも、貫き通す。
その一心で、出来る事は全てやってゆくでしょう。


KUより

天照様が、自ら反省せねばならぬと云う事がどれ程のことであるのか、それを思うとき、これは大変なことであると、しみじみと感じる次第です。

私はこの大学認可について、どれ程の思いを致したか? 
自分自身のこととして、どれ程の思いを出したのか? 
いや、自分自身のこととして考えていなかった。
この事について、自らの責任と考えていなかった。
もちろん、大勢の方達と共にやっているのだから、自らの責任などと思うのは慢心しているかも知れないが、それでも、それ程の思いを致すべきであったと、今になって反省をしております。

この認可について、突き詰めて考えていった時「はたして、主以外に、誰が自分の責任として感じていたのだろうか」そう思ったときに、やはり、私達仏弟子は、これを己自身の責任と思うようであっても良いのでは無いかと考えるに至りました。

その様な思いを結集する事で、奇跡的な出来事が起こるのでは無いでしょうか。
一人の力は小さいかも知れないが、その多く法友の皆様の思いを結集する事で、様々な理想をこの世に実現していくことが出来るのでは無いかと思います。

祈りの力は無限です。
祈りの力は最大です。
祈りの力は最強です。

各人が強く強く祈ることで、三次元的なるものをねじ曲げ、理想を実現しましょう。
強く祈ることで、力が湧き出て、知慧も増し、行動力も増してくる事でしょう。

共に頑張ってまいりましょう。



ランキングに参加しています。
クイックの応援ろしくお願いします。

         

邇邇芸尊の物語
「我・天孫降臨す」

第三章 心得として
第一部

 私は、心の内に統御という事を思っていた。
そして、そのことを思いながらまた同時に、愛ということをも思っていたのであります。
全てのものに対する愛、そして神の愛、これら万物への愛を含めた素晴らしき思いを私は国造りの基本の柱として、持つことと致しました。
何よりも大切な、基本的なところの理念であると考えております。
全ては愛によって形成されており、愛なくば殺伐とした世の中になるであろうということは、いともたやすく想像のつくことであります。
その様に思いながら、国造りの計画を立てていたのである。

 およそ人の世の、根本的な考え方の内のその殆どは、この愛を学ぶためのものであるのではないかと思っております。
何よりも大切であり、基本的であり、また発展的なものであります。
おそらく誰もが、何の抵抗もなく受け止めることが出来るのがこの愛であり、またこの大空の美しさをも愛であると、感じることのできる素晴らしきものであります。
その様にしてみれば、空も海も山も川も草も木も鳥や動物達までもが、これで全て愛のおかげで存在しているものであるということが、段々に判ってきたのであります。

 おそらくこの様な考え方を前面に打ち出したものは、過去にはいなかったのではないかと思うが、しかしそれは既に存在していたものである。既にそういった考え方というものは存在していたものであり、ただそこに人々の理解がついていきにくくなっていたものであるのかもしれない。しかし、本来は、もともとはそのような愛を含んだものであるということであります。

 これによって世界が大きく広がりを見せることでありましょう。
全ての人達が全ての者たちは、この愛によって大きく成長をし広がりを見せて、素晴らしき形を構成してゆくのであります。
木の葉一枚とってみても、愛なくして存在は知れないのであります。

 この様に私の中でこの世の中を今一度よく目を凝らしてみたところ、
実に様々な色合いの様々なる美しき愛が込められたことであるかと言うことを発見するのであります。

 誠に幾重にも、折り重なって美しき織物であるかの様な、神の仕業であると言えるのではないでしょうか。

 これから後に私はこの国を更に更に、確固たるものとして打ち立て、惜し拡げて行く時に、この理念を持って進む事を私は決めたのであります。
何よりも強く、何よりも優しく、そして暖かく、広いこの愛の世界を、このように実現たらしめることが、そのことこそが神の御心を実現することになるということを私は考えておりました。

 それによって、この国造りということを具体的に推し進めてゆこうと決めております。
国造りと一言に言い放っても、そこには幾つもの段階があり、更に更にその国を素晴らしく発展させてゆくためには、繰り返し根気よく、この国を愛して、手を入れていく必要があると思っておりました。

 その様に私の思いというものは、基本的な理念を持ち、それを実践に移したときに、様々な形へと成長をし変化を遂げて、さらにさらに発展していくのであると言うことを私は何度も繰り返し我が心の内にそれを確認し、その素晴らしさを何度も感じ、また感動をして、国造りにあたってゆくのであると自覚していたのであります。

 これは、天孫降臨として、私は降り立ちたところの、初めの思いであり、また最初の実現すべき課題でもありました。

 この様なことを、誰から言われるわけでもなく、私自身のうちに持っていたことで、改めて我が使命の確認をし、また、この様に推し進めていくのであるという、固い決意をしたのであります。


ランキングに参加しています。
クイックの応援ろしくお願いします。

         

学舎(まなびや)Ⅲ

 「大学として認可されぬままに開校しても、学生はどこからやってくるのか」と言うコメントやメッセイージが数件ありましたので、まとめてお答えさせて頂きます。

 そうですね、今までの入学希望者の方達の中でも、大学に行きたい人は大学に行くと思います。それはこの世的には、確かにその様な選択が普通だと思います。しかし、この学舎で学びたい人も世界中に沢山居られるのでは無いかと思いますよ。
 大学と言う資格が付かないから、入学しないと言うのでは、本当に主の教えを学びたいと云う事では無く、大学卒業が本当の目的であり、その次に、ではどの大学にするかと言う事だと思います。
 もし、今回開学した場合、そこに入学してくる方達は本当の意味で、主の教えの素晴らしさや、この学舎の真なる価値というものを自覚されている方達でしょう。大学卒業という肩書きよりも、この学舎で教えを学ぶことの方が価値あるのだと思われた方達なのです。
正に、ここで学ぶに相応しい方達だと思います。
 そして、この方達は、人類の歴史の中で語り継がれる事になるでしょう。真に、その価値が判る人達で有り、この方達が新しい時代を切り開いていったと。大きなターニングポイントを動かした方達であると。
私は、そう思います。

 確かに経営面で考えたならば、国からの助成金はもらえませんが、元々私学助成金は違憲であるとしていたことも有り、自立の道を模索するのも良いと思います。政府に頼ること無く運営が出来れば良いですね。勿論、経営面での見直しが必要になってくると思います。しかし、行政の規制に囚われることが無いので、新しい考え方で運営する事もやりやすくなると思いますよ。既存の大学よりも、権威ある学校を目指して再出発する事も良いのでは無いかと思っています。

 前にも言いましたが、主のご許可以上に権威ある許可はこの世に存在致しません。
 どうか誇りを持って総ての事に当たって頂ければと思います。運営は難しいと思いますが、結果ありきで計画を見直せば、必ず道は開けると思います。
 もし今の大学準備室に力があるのであれば、独自の道を切り開いて頂きたいと願う者であります。

 新しい最高に権威ある学校を作ろうではありませんか。
主の御許可を頂いた奇跡の学校、人類の宝、人類の希望、人類の未来を託す学舎を作って頂きたい、そう願う者であります。

 その様な気概で進んでいくとき、おのずと道は開け、世間からも認められて来るのだと思います。大学の不認可は、政治の闇を打ち砕くのにちょうど良い切っ掛けを作ってくれたものと思います。新しい良き時代を作るために、更なる戦いの場面が現れたものと認識しています。

 皆さんの力を結集して、伝道に植福に、育成にと邁進していきたいものだと思います。
世界に希望や、喜びと言った良きものが拡がっていきますよう、祈念致しております。



ランキングに参加しています。
クイックの応援ろしくお願いします。

         

学舎(まなびや)Ⅱ

 今日は、幸福の科学大学について、少し考えてみたいと思います。
いろんな考え方見方というのもあるかと思いますが、少し物語風に考えてみよと思います。
最初はもし私が工作員であったならばどのように語るか。
次に、もし私が大学設立責任者であったとすれば、これからどうするか。
そのような事を、考えてみようと思います。


1、もし私が工作員であれば、どの様に語るかを想像してみました。

 この工作活動というものはもう既に 1954・5年頃の話なりますが、中国はいずれこの日本を中国のものにすると計画を立てていた訳で、それに向けて着々と工作活動を行ってきた訳でありまして、日本側が気が付かない様に徐々に工作活動を推し進めていたわけであります。

 日本海近郊に多くの船が現れたとしてニュースになったりしていますが、それ以前から日本近郊に目立たないように侵入していた訳であります。
一つひとつの計画は時間をかけてゆっくりと浸透させる様に行ってきて、現在のように実際にその力を発揮することが出来る様になったわけです。

 また昨今中国が豊かになり金銭的な面での工作活動も行える様になり、日本国中どこにでもその活動は浸透する迄になっております。
日本国中どこでも手に入れることが出来るでしょう。

 カネの問題に絡めて日本国を落としていく事はいともたやすく、これは日本人の行儀の良いところを利用したもので、島国の国民は他の者を疑うことをしないため、我々の計画が非常にやりやすかったということもあります。
 我々は日本において一定の社会的地位を得、とても動きやすい環境になっております。

 この大学については何としても阻止しなければならないと考え、一番影響力のあるものに照準を定め行ったわけであります。政治家についてはやはり政治資金の問題が一番入りやすく、企業を介して献金をし様子を見ながら、徐々に影響力を及ぼしていった。
これはとてもたやすく仕掛けることができた。
またその関係者についても、いろいろな方向から入り込み、大学の許可について阻止することができた。
これは当然のことである。なるべくしてなったと言うことでしょう。

 もちろん、大学以外にも中国に対する考え方と言うものに対して、いろいろな手を使いました。脇の甘い大臣たちを利用し、揺さぶりをかけたと言われるかもしれないが、いろいろな手を使ったと言うことにしておきましょう。

 企業については、中国に進出している企業も多く、中国で活動を行いたいがために、中国の考え方と言うものを受け入れやすく、それらの経営の中心にも我々の力が迫ろうとしており、また、当初から中国の考え方に親和性を持っている企業もあります。

 政治家を始め官僚やマスコミ、企業といったところに深く影響力を及ぼすことができるまでになっておりますが、確実に日本を取れると確信するまでは、しばらく表面に出ることなく活動を続ける。しかし、その確信が持てたとき、日本が中国のものになるのはたやすいことでしょう。

 その為には、何としてもこの幸福の科学大学を潰さなければならない。
いやいや、私は我々の活動について、語る事はしない。


2、もし私が大学設立の責任者であったならば、今後どうのようにしていくかを考えてみました。

 まずこの結果について、反省するでしょう。そしてその反省が終われば、学ぶべき事は学び訂正することは訂正しながら、次に進んでいくと思います。

 では今後どうするか、私ならば、予定通り開校をします。
大学と言う名前を使うことができなければ、そこのところを何か新しい名前を考え、呼び名を大学としなければいいわけであり、塾でもいいわけであります。
仮に名前をつけるとするならば、「universal happy science」とか、また新しい言葉を何か作り出すのも良いかもしれません。
とにかく、名前を変え来春からの開学を行いたいと思います。

次に、翌年の大学認可に向けて、全力で取り組むことでしょう。

 目的はこの地球人類が、より素晴らしい方向に向かって向上していけるための、基礎をなすところの教えを学ぶと言うことが大事であり、地球的規模のリーダーを育てていく、また時代を推し進めていくための大事な学舎であるということであり、認可にあまりこだわることなく淡々と前に進めていくのがいいのではないかと考えています。

 勿論開学には、皆様方の今まで以上の大いなる御協力が必要になってくると思います。
また、それに見合うだけの、学舎であると確信をしています。


以上、勝手なことを考えてみました。



ランキングに参加しています。
クイックの応援ろしくお願いします。

         


邇邇芸尊の物語
「我・天孫降臨す」

第二章 命発す
第三部

 私の乗る馬は、とても足の速い馬であった。私の持つ弓はどんなに遠くても見事、的を射る弓であった。私の行く先々には、爽やかな風が吹き、光燦々と輝き、颯爽と駆け抜ける広い草原であり、遠くの山々を見ながら、私はこの広い国を、駿馬と共に駆け抜け、その光を振り巻いて突き進んでいったのであります。

 私の率いる軍勢は、その数多く、進めば進むほどに数が増え、どこまでもその勢力を拡げんが如くに勢いを増していったのである。
常に私の胸中には、その目的とする事を真っ直ぐに捉え、その事に誠心誠意向かてゆくことを旨として、仕事を成してゆくという思いを持っていたのであります。

 天上界より、頂いたところの我が使命を果たしてゆく為に、私は既にあらゆるものを与えられ、手にしているのであります。この熱き思いは、腹の底より湧き出でたる処の、この熱き思いは、まさに天に通ずるものであり、この熱き思いを持ちて国造りの仕事を成してゆく、その事に私は、全ての力を集中させ、邁進したのであります。

 心の統御と共に、身体をも鍛え統御し、常に全力を以て仕事に当たることが出来るよう、常日頃より備えておりました。本来、人というのはお互い敵同士になるということなど、無いのであると私は信じております。しかしながら、様々な環境、様々な考え方により、互いの思いが相反することも多々あることである。それを理解し合うことが出来ぬままに、互いが向き合ったならば自ずとそこに争いが起きるのである。

 しかし、一時的にその様なことがあったとしても、最終的にはお互いを認め合い、理解し合って統合されていくのが本来の姿であろうと私にはそのような思いが常にあるので、その最終的な答えを懐の奥に持ったまま、どこまでも進んでゆく、これによって私の仕事は何倍にも大きくその成果を表すこととなるであろう。

 懐の奥にどの様な思いを秘めているかによって、その人その人の出す答えが違ってくる筈である。それは、改めて言葉に表さずとも必ず伝わるものである。そう私は心得て仕事を成してゆく事と決めております。
 一つひとつを全て言葉にて表す必要も無く、私の本心にはそのような思いがあるということさえしっかりと持っておれば、結果は自ずと出てくるのであります。
その様にして全てのことに当たってゆく。そう心に決めております。

 緑深き草原に駿馬と共に駆け抜ける私の姿は、多くの人々が見ることとなるであろう。何の言葉を交わすこともなく、私は多くの人々の前を駆け抜けることとなるであろう。
しかし、その姿は人々に何かを伝える筈である。必ず何かが伝わる筈である。その伝わるものとは、いかなる処より出づるのであるか、それを思わば我が心中深くを如何に統御し、如何にあらしめるかを常日頃、確認しておく必要があるであろう。私はその様に心得て、思いと行動を一つに統御することを心掛けているのであります。

 目に見えるもの、また、見えぬもの、それらの全てが周りの者たちに伝わってゆくことを私は知っている。なればこそ、私自身の内外ともに、全てを如何に練りこんでゆくかをしっかりと実践してゆく必要があると、そのように私は考えております。

 その考えていることが広く人々に伝わっていくのであると、それがこの国を治めてゆく時に、基本的な心得であると私は思っております。
それは天上界より頂いた使命と、その思いの根本なる処、これに忠実に実践してゆこうと考えた時に、自ずと出た答えでありました。

 これより後の私の仕事は、全てその根本的な処の考えに法って全てを成してゆくのであるという事を、決めたのであります。

 爽やかな春の光に照らされて、爽やかな風に吹かれ、希望に満ち溢れたその心で、私はどこまでも広く、どこまでも自由に、そして信念強く持ち、この思いの全てを拡げ伝えてゆきたい。
そして、全ての人々が皆、其々に幸福感を持ちて、生きてゆくことが出来る、そのような豊かな国造りをしていきたいと願っております。

素晴らしき愛を拡げて参ります。



ランキングに参加しています。
クイックの応援ろしくお願いします。