学舎(まなびや)Ⅱ
今日は、幸福の科学大学について、少し考えてみたいと思います。
いろんな考え方見方というのもあるかと思いますが、少し物語風に考えてみよと思います。
最初はもし私が工作員であったならばどのように語るか。
次に、もし私が大学設立責任者であったとすれば、これからどうするか。
そのような事を、考えてみようと思います。
1、もし私が工作員であれば、どの様に語るかを想像してみました。
この工作活動というものはもう既に 1954・5年頃の話なりますが、中国はいずれこの日本を中国のものにすると計画を立てていた訳で、それに向けて着々と工作活動を行ってきた訳でありまして、日本側が気が付かない様に徐々に工作活動を推し進めていたわけであります。
日本海近郊に多くの船が現れたとしてニュースになったりしていますが、それ以前から日本近郊に目立たないように侵入していた訳であります。
一つひとつの計画は時間をかけてゆっくりと浸透させる様に行ってきて、現在のように実際にその力を発揮することが出来る様になったわけです。
また昨今中国が豊かになり金銭的な面での工作活動も行える様になり、日本国中どこにでもその活動は浸透する迄になっております。
日本国中どこでも手に入れることが出来るでしょう。
カネの問題に絡めて日本国を落としていく事はいともたやすく、これは日本人の行儀の良いところを利用したもので、島国の国民は他の者を疑うことをしないため、我々の計画が非常にやりやすかったということもあります。
我々は日本において一定の社会的地位を得、とても動きやすい環境になっております。
この大学については何としても阻止しなければならないと考え、一番影響力のあるものに照準を定め行ったわけであります。政治家についてはやはり政治資金の問題が一番入りやすく、企業を介して献金をし様子を見ながら、徐々に影響力を及ぼしていった。
これはとてもたやすく仕掛けることができた。
またその関係者についても、いろいろな方向から入り込み、大学の許可について阻止することができた。
これは当然のことである。なるべくしてなったと言うことでしょう。
もちろん、大学以外にも中国に対する考え方と言うものに対して、いろいろな手を使いました。脇の甘い大臣たちを利用し、揺さぶりをかけたと言われるかもしれないが、いろいろな手を使ったと言うことにしておきましょう。
企業については、中国に進出している企業も多く、中国で活動を行いたいがために、中国の考え方と言うものを受け入れやすく、それらの経営の中心にも我々の力が迫ろうとしており、また、当初から中国の考え方に親和性を持っている企業もあります。
政治家を始め官僚やマスコミ、企業といったところに深く影響力を及ぼすことができるまでになっておりますが、確実に日本を取れると確信するまでは、しばらく表面に出ることなく活動を続ける。しかし、その確信が持てたとき、日本が中国のものになるのはたやすいことでしょう。
その為には、何としてもこの幸福の科学大学を潰さなければならない。
その為には、何としてもこの幸福の科学大学を潰さなければならない。
いやいや、私は我々の活動について、語る事はしない。
2、もし私が大学設立の責任者であったならば、今後どうのようにしていくかを考えてみました。
まずこの結果について、反省するでしょう。そしてその反省が終われば、学ぶべき事は学び訂正することは訂正しながら、次に進んでいくと思います。
では今後どうするか、私ならば、予定通り開校をします。
大学と言う名前を使うことができなければ、そこのところを何か新しい名前を考え、呼び名を大学としなければいいわけであり、塾でもいいわけであります。
仮に名前をつけるとするならば、「universal happy science」とか、また新しい言葉を何か作り出すのも良いかもしれません。
とにかく、名前を変え来春からの開学を行いたいと思います。
次に、翌年の大学認可に向けて、全力で取り組むことでしょう。
目的はこの地球人類が、より素晴らしい方向に向かって向上していけるための、基礎をなすところの教えを学ぶと言うことが大事であり、地球的規模のリーダーを育てていく、また時代を推し進めていくための大事な学舎であるということであり、認可にあまりこだわることなく淡々と前に進めていくのがいいのではないかと考えています。
勿論開学には、皆様方の今まで以上の大いなる御協力が必要になってくると思います。
また、それに見合うだけの、学舎であると確信をしています。
勿論開学には、皆様方の今まで以上の大いなる御協力が必要になってくると思います。
また、それに見合うだけの、学舎であると確信をしています。