癒し 天使たちのことば -2ページ目

癒し 天使たちのことば

日々降ろされる霊天上界からのメッセージと共に、
心癒される言葉や、励まされる言葉をお届け致します。

《四国徳島・阿波川島駅周辺を散策》

 

久しぶりにブログを更新致します。

 

今日は聖地である、阿波川島駅周辺を散策したので、その時の様子を写真を交えてご紹介致します。

 

11月26日、私は、徳島駅から普通電車で車窓を眺めながら、主が学生時代に通われたであろう事を想い描き、阿波川島駅に向った。

阿波川島駅を出て真っ直ぐ歩いて行くと、すぐ右手に「川島特別支部」がある。

この日は、翌日に落慶感謝祭に参加予定の、多くの会員さん達が訪れていて、各々記念写真を撮ったり、参拝されたりしていた。

少し道を戻り、駅を見て右の方へ行き、すぐに右に曲がると、主の御生家がある。

記念写真を撮ってそのまま道を進むと、道はT字道に突き当たるが、左へ曲がり御生家の裏側に出て、そこに畑が見えてくる。そこは、主のお話に出て来る離屋が立っていた所である。

そのまま、道を進んで行くと川島小学校のあった場所に出る。

ここには、二宮金次郎の銅像も残っていた。

写真は桜の枝越しになってしまったが、この桜も小学校時代のものがそのまま残っている。

来た道を少し戻り、左手の小道を入っていくと、これもお話された「主が幼少時に落ちられ、お母様に助けられた溝」がある。

どの様なリアクションをして良いか判らぬまま、少し微笑み写真を撮った。

次は、駅から右側に少し歩いて15分程度の所にある「川島城」へと向かった。

ここは、眺めるだけにして、城の左側にある「川島神社」へ足を向けた。

たぶん、ここのお城や神社境内でも、主は幼少時にお遊びされたことだろうと、思いを馳せ、数十年前の空気を吸うが如くに感じながら、参拝させて頂いた。

その後、神社の左側に上へと続く階段があり、そこを上っていくと、大きく視界の広がった展望所があった。

吉野川である。

時々、写真やビデオで視る風景がそこに広がっていた。

この日は曇りであったが、この時、ほんの一瞬だが、夕日が吉野川の一部を照らしていた。

急いで写真を撮った。

そのまま振り返ると、やはり、よく紹介される橋が見える。

川を眺めながら、ふと丘の左側を眺めて見ると、遠くの小高いところに何となく気になる建物があることに気付いた。

肉眼ではそれが何であるか明確には分からないが、カメラの望遠レンズ越しに視てみると「生誕館」であることが判明した。

下の写真は、帰宅後PCで拡大したもの。

PCでみると、文字もはっきりと見えるが、ブログでは難しいようだ。

その後、生家周辺を散策したが、日も落ち、お腹もすいたので、今日の宿泊場所である徳島駅へと戻ることにした。

 

《余談》

駅近くの居酒屋で地元料理を堪能しながら、そこで知り合った青年達三名と仲良くなり、話が弾んだ。いつの間にか悩み相談になってしまい、職場の人間関係や、未来について、はたまた政治について等、馬鹿話も交えながら楽しく過ごすことが出来た。

もちろん、最後は確り主の御降臨を伝えることも忘れては居なかった。

青年達も、目を輝かせ聞いていた。きっと何時か、何処かの支部の門を叩くときが来ると堅く信じ、再会を約束し別れた。

 

 

《御生誕館》 

 

私は、翌日の27日、落慶記念式典に参加させて頂いた。

27日は前夜から雨が降っていたが、阿波川島駅から生誕館まで歩いて行くことにした。

やはり、聖地川島の空気を思いっきり吸って感じたかったからである。

徳島駅から電車で阿波川島駅まで行ったが、車内で登山の格好をした方とお話することになった。何と成しに知り合って、お話をお伺いすると、四国巡礼されていて、しかし、白装束が嫌で、また趣味で登山もするので、その様な格好で巡礼をしているとのことであった。

三〇分程度お話することが出来たが、勿論、主の御降臨をお伝えする事も忘れては居なかった。これもやはり何かの御縁と、昨夜の若者達とこの方に感謝し、今世の使命を全うされます様にと祈念し、その様な機会をお与え頂いた主に対して、心から感謝せずには居られなかった。

 

駅に着き、そこから御生家の横を通って、線路下を潜って行くと、地元の方達のお墓が見えてくる。その中央に「中川家」と書いた立派な墓石があった。

そのお墓が何なのかは知る由もないが、感じるものが有り、また、その墓地に縁ある方達も、きっと主の幼少時に深く関わりを持たれた方もおありだろうと思い、感謝の念を捧げさせて頂いた。

御生誕館迄の道のりは、上り道が続く。

傘を差して歩く私の横を、シャトルバスが引っ切りなしに通り過ぎていく。

私は、ゆっくりと雨音を聞きながら歩いていた。しかし、いつの間にか、心の底から嬉しさと感謝がこみ上げてくるの感じていた。

道が右に大きく曲がると、会場を案内されるボランティアさん達の姿が見えてきた。

生誕館に着いたのである。

そこは未だ工事中で、鉄板を敷いた歩道が急ごしらえで作ってあった。私は、足下に注意を払いながら、滑らない様に用心して歩いた。

足下を見ていた目線を上げてみると、そこには美しい生誕館があった。

息を飲む様な、聖なる階段が私を出迎えてくれ、そこを一段一段上がって行くにつれ、その歩調に合わせるかの様に、感謝の念が大きくなっていくのを、私は、はち切れんばかりの心で受けとめていた。

雨が降っていたせいか、階段には誰も居らず、聖なる階段をその時は一人で使わせて頂いた。

 

落慶記念式典が厳かに行われたが、その事について書くのは止めておく。

何としても皆様ご自身で、参拝され、心で感じて頂ければと思う。

地上に命ある内に、是非、行っておきたい所である。

 

 
 

 

【ブログ管理者より】

久しぶりに記事を更新することが出来ました。
前の記事は、昨年の12月20日に収録したもので、ようやくブログで紹介する事が出来た次第です。

 この「大宇宙を聞くシリーズ」は、私が重力の存在を研究しているときに、そのスペシャリストをお呼びしたところ(霊的に)、R・A・C様からお話を聞かせて頂くことになり、「大宇宙を語る」と題してお話を聞かせて頂いておりましたが、R・A・C様からの言葉の後、多くの霊人からのメッセージがあり、それを統合したものとして「大宇宙を聞く」と称しています。
少しややこしくなってしまい「どうしたもんかの~」と思っています。(*^_^*)

また、何故に私達の所で、大宇宙のお話を聞くことが出来るのかと言う疑問を含みつつ、やらせて頂いていおりますが、今までもさんざんやって来たので、今更という感もあります。
しかし、このことについて批判をされる方達も多く、「波長同通の法則」をもってしてあり得ないと言われています。
その様な方達に対して、「では、どうして天使たちが、地獄の人達の救済のため降りていくことが出来るか、波長同通の法則を使って説明してみて下さい」と質問したいですね。
その答えが分かると、「私たちの事も、あり得ないことではない」と言うことになると思います。
肯定して下さいと言っているのではなく、頭ごなしに否定するだけが正しい判断ではないと言うことを述べたいと思います。

更に、私達のブログで「主」のお言葉を書いていますが、「それはあり得ない」と批判する本部の職員さん達が居られ、そのことで更なる弾圧を受けていますが、それに対して「では、私達は御本尊に対して祈りを捧げますが、主は何のご返事もされないのですか」と質問したいですね。
「主は私達に対して、私達が御本尊の前で祈るとき、霊的指導は出来ないのでしょうか?」そんなことはないでしょう。
確かに、直接的には普段ではあり得ないことでしょうが、可能性としては充分にあり得ることです。
だから、形だけを見て批判されるのは、少し違うのではないでしょうか。
また、同様に「主のお言葉を聞けるはずがない」と批判されますが、「同様に、私達信者が主に祈りを捧げても、主からは何の返事もないと言う事でしょうか」、確かに、高級霊を介して主のお言葉を受けるという事が一般的ですが、総てそうであるとは思えないのです。
私には、様々なことがあり得ると思えるのです。
僧団が、主の手足を縛る様な法則を作っても良いのでしょうか。

ここはやはり、主の教えに従って、その霊的に降りてきたメッセージの内容について確りと判断することが大事ではないでしょうか。
この世的な肩書きや、知名度と言った事で判断せず、冷静な目で以て対峙する必要があるのではないでしょうか。
以前から私が僧団に対して申しているように、出来れば、僧団内部で「審判者」が出来る体制が必要だと思います。
もう僧団が出来、随分と時間が経っていますので、そろそろ良いのではないでしょうか。
これだけの法を主から頂いているのだから、充分に出来るはずです。

もし、僧団で公式に出来ないのであれば、簡易的ではあるが、支部にて上級研究員さん達の総意で大まかな緩やかな判断をさせ、指導育成することも考えられます。

とにかく、現状の様に、会員の霊的な事については、言葉は悪いかもしれませんが、味噌も糞も一緒と言う風に扱うのではなく、未来に向けて積極的に果敢に攻めていくことが必要ではないでしょうか。

久しぶりに、幸福の科学村に帰って来て早々、お節介だったかもしれませんね。
お節介ついでに、選挙のことについて一言!

参議院選挙が終わり、結果は皆様も周知の如く散々たる結果でしたね。
「よくやった」という声もあるかもしれませんが、客観的に見て残念としか言い様がありません。
しかし、そんな中で釈さんや、七海さんが登場したことは少しだけ光が差してきた感はあると思います。

ここで選挙に対して改善すべき点を、私個人の意見として申したいと思います。
何故ここで申すかというと、他に方法がないからです。

1,選挙に対して、やる気が無く、形だけや、報告のみで役職をやっている方は、役職から降りるべきです。
 特に職員の方達が意外とブレーキ役をやっている感じがあります。
 肩書きが好きな会員さん達も居ますが、戦力にならないばかりかブレーキを掛けています。
 党の管理下に置いて、独自の体制を作ることも考えられるのではないでしょうか。
 宗教も選挙も同じであり、伝道に力を入れることが大事ですが、多忙な職員さん達に、選挙でも同時に役職をやらせるには、少々荷が重いように感じています。

2,候補者の選択については、党本部で面接をし、独自の判断が必要
 現在は、支部の会員さん達の意見を重視され選考されているようですが、その選考する人達は国会議員レベルでなく、一般的な方達が多いと思います。
 その方達では、本当の選考は難しいと思います。なので、やはり、党本部で独自に判断が必要ではないでしょうか。

3,候補者の取り組み方については、やはり一人でも多くの方の意見を聞き、話をすることだと思います。
 候補者は伝道活動を中心に、多くの方達と会って話をすることです。
 どぶ板選挙と言いますが、私達の場合、それ以上の取り組み方が必要だと思います。
 総ての家庭を数回訪問する覚悟で、取り組む必要があるでしょう。
 その様な気概無くして、この厚い壁をぶち抜くことは出来ません。
 マスコミの風を期待してもだめだと言うことは、充分に理解できたはずです。
 自らの手で、こじ開けなければなりません。
 その時に、天上界の風が吹くと思いますよ。

4,メディア対策について、外国に対しても大いに宣伝を入れる必要があると思います。
 日本での主要な選挙については、外国でも報道されると思います。
 幸福実現党のスタンスや、政策、アイデア等素晴らしいものがあります。
 日本のマスコミは報道しないかもしれませんが、海外の方達の評価は意外と冷静に見ているようです。
 そこで、海外に向けて大いに宣伝をし、今、日本で素晴らしい政党が立ち上がっていることを、海外のニュースを通じて、世界中に伝えることも考慮する必要があると考えていますがいかがでしょうか。
 幸福実現党の政策が、海外の国の役に立つかもしれないし、地球規模での意識改革の一助になるかもしれませんね。

5,次回の衆議院議員選挙について、体制を早急に整える必要がある。
 1)候補者の選択は、少しでも早いほうが良いと思います。
  何故ならば、先ほど言った様に、全戸に対して伝道や意見を聞くことは相当な時間を要します。
  少しでも、早く候補者を選んであげるべきです。

 2)動ける組織を構築する。
  役職者が動かないと、運動員(会員)も動きがとれません。
  今までの組織は、本当に動きがとれない状態でした。
  党の方針に従って、選挙区においても自分たちの戦略戦術を考える事の出来る組織を作る必要があるのではないでしょうか。
  そして、それに従って着々と積み重ねていく組織を作る必要があります。

 3)候補者は、自腹で供託金を用意すること。
  本人の本気度を示す指標として、供託金を候補者自ら用意してもらう必要があるのでは無いでしょうか。
  もし、それでも戦略的に候補者がいなくても出さなくてはならない場合は、候補者に対してどぶ板選挙(伝道活動)を義務づける方法もあるかと思いますよ。

6、選挙違反について
 前回に於いて選挙違反をした者を、僧団の役職にしておくことは、違反を肯定したことになります。
 そして、その方を役職につけておくことは、日本の法を犯す事になると言うことは重々認識できるはずです。
 主は、法律を犯せとは言われていません。
 もう少し、日本の法について、謙虚になる必要があるのではないでしょうか。

以上、大まかなことについて意見を述べさせて頂きましたが、
やはり、お節介だったのでしょうかね。

KU


      



霊的な事で一言お話しさせて下さい。


 いつも私達のブログを読んで頂、ありがとうございます。
今回は霊言ではなく、霊的な事に対して、私(K・U)の考えているところをお話しさせて頂ければと思います。

 皆様もご存じと思いますが、私達人間は霊的な存在で有り、地上では肉体に宿って生存し、その目的として、自らの魂向上で有り、また、各人が地上での使命を成就せんと努力している事は周知の事と思います。
そしてまた、今世では主の降臨という奇跡の時代に、私達は下生してきているわけでありますが、そのことを前提として、霊的な事に対してお話をさせて頂きます。

 現世は、主の降臨という奇跡の時代(とき)であり、最高の仏法真理が説かれている時代であります。この時代には、各人の魂が飛躍的に向上するチャンスの時でもあります。
主の説かれた教えを、謙虚に学び、自らの魂に熏習(くんじゅう)し、限りない高見へと向上する事が出来るチャンスの時であるのです。(但し、八次元如来界(大天使)を目標にすることになります。)

 また主は霊性の時代の幕を切って下ろされていますので、様々な霊現象が各自にも起きることになるでしょう。そういった時に大切なことは、仏法真理を深く学ぶことがとても大切だと思います。もし皆様の中に、霊的現象が起きたならば、もう一度原点に帰って「自らの学びやいかに」と問いかけてみて下さい。

 その時に、自らがどれだけ学んだかを計る客観的指針として、幸福の科学では資格制度があります。それは順に、初級・中級・上級・研究員・上級研究員となりますが、霊的な事にチャレンジしようとするならば、この研究員以上の学びが最低条件として必要ではないかと思います。
もし、研究員ではなく、霊的な事が自らの身に及んだならば、一端霊的な事を封印して、最低でも研究員の資格を取得してから再チャレンジすることをお勧め致します。
(この資格制度は主がお作りになったものです。素直に資格取得をされますことをお勧め致します。)

 もちろん、この資格も三次元的資格ではありますが、何処まで学んでいるかの指針にはなりますし、また、学びによって善悪を判断する知恵も少しずつではあるが養われているはずです。
なので、悪しき霊にかかられたとき、仏法真理でもって相手を説得したり、悪しき考え方に翻弄される事が少なくなります。

 また、霊的な体験では悪霊からの惑わしは必ずあります。たぶん、全ての人にあると思いますが、その時にいかに乗り越えていくかが問われるのです。
魔境の時とでも言いましょうか、必ず訪れますが、基本的に主を信じ、仏法真理を学び続けていれば乗り越えられるものです。
その時には、謙虚さが一番大切になってきます。

主に対して謙虚であるかを問うてみて下さい。

 この、謙虚さを計る簡単な方法があります。それは、毎日、毎日、仏法真理を学んでいるかと言う事です。もし、今日一日、主の教えを学んでいないとすれば、自らは傲慢であったと認識しても良いのではないかと思います。
これは、凄く簡単な方法ですが、自らの謙虚さを計る良き指針と思います。

 さて無事に魔境を乗り越えたとして、守護霊との交流が再開されるわけですが、ここでもう一つ認識して頂きたいのが「守護霊は自分と基本的に同じレベル」と言うことです。
確かに霊界にいるので地上の自分より認識が高いかもしれませんが、それは人それぞれによって違うし、また、魂の違い(七色光線の分布状況や強さ大きさ)によって、認識や判断が異なってくるのです。もちろん、高級霊からの指導を受けている人もいますが、守護霊は万能ではないと言う事を、当然ではありますが再認識する必要があります。

 もしあなたの魂が、レプタリアン的であったとすれば、以外にもその魂の奥の奥の更に奥で、地球侵略計画を画策しているかもしれませんね。

 最初にお話しましたように、現世は主が降臨されています。主が法を説かれているのですよ。この時を待ち望んで、私達は限りない魂の向上を目指して下生してきたわけであります。であるならば、主が地上で法を説かれている時代であるなら、主の法を学び学び実践し続け、天上界にいる自らの守護霊や魂の兄弟と共に、向上するのが望まれるのではないかと考えます。

 現在私達を取り巻く霊界では、最高の法は、地上にあります。
地上にいる私達が、主の法を学び実践を繰り返し、主の法を自らのものにしなければ、最高の法を守護霊は教えてはくれません。当然です。

 先ほどのレプタリアン的魂の方であっても、地上にいるあなたが、主の法を謙虚に学び信仰心を高めることにより、魂の兄弟をも主に対する帰依の心を学ぶものです。
地上にいるあなたが、自らの魂全体を引き上げるつもりで精進され、また、精舎での研修や祈願を通して、魂向上の王道を歩む事が可能になります。

 霊的な経験を始めると、様々な困難に出会います。自らの魂の向上を目指せば目指すほど、困難な問題が立ちはだかりますが、それらを一つ一つ乗り越える事で、魂の向上を成すことが出来るものです。
また、その悟りの度合いにより、地上での役割や、やらなければならない使命の大きさも違ってきます。
自らの目の前にある「やらなければならない事」に謙虚に取り組むことで、その道も大きく前進することでしょう。

 最後にもう一つだけ、気になることを付け加えさせて下さい。
ネット(ブログ等)の世界でも、一般的な世界でも、悪しき言葉や、暴力的な言葉・汚い言葉を天使は一般的に使うことはありません。
もし、それらの汚い言葉でもって善がなされたとするならば、それは少しだけ違うかもしれません。
魔の惑わしの可能性が強いでしょう。
見抜く必要があります。

 この世の三次元世界では、その様な言葉を少々使うことで、人々の関心を引きつけやすいことも確かです。しかし、そこには魔の介入がある可能性があると言う事を知っておく必要があるでしょう。

 また、汚い言葉や、凶暴な言葉、悪しき言葉は意図もたやすく発見することが出来ると思いますが、「悪しき思いの含まれた綺麗な言葉」は、なかなか見抜くことは難しいと思います。
これを悪魔は使ってきます。

 それに対抗するためには、日頃から主の経典を学ぶ事で、波動の違いを嗅ぎ分ける力が養われて来るものです。その力で対抗して下さい。
これはとても大切なことでありますが、しかし、字面だけの教学ではなかなか習得することは難しいのも事実です。その様な方は、難しかもしれませんが、自らの心を見つめる努力を続けることで、この力が徐々に出てくると思います。
この波動を嗅ぎ分ける力を身につけることで、魔からの攻撃を打ち破り、地上仏国土建設を推し進めて参りましょう。

文章が長くなりましたので、この辺に致します。

最後に、私、自らの精進の誓いと共に、皆様の魂向上と使命成就が直くありますことを祈念させて頂きます。


お読み頂、ありがとうございました。




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古の塚 最終回


 墓地の整備に伴って、私の所に来られた霊的な方達とお話しすることに致しました。

 私の場合、霊人と話す場合、私が道士役を勤め、巫女役を他の方にお願いして行っていますが、今回は少々巫女さんが可哀想なことになってしまいました。

 まず始めに、骨壺の方をお呼びしお話させて頂きましたが、殆ど何も覚えておられなく、死んだことは理解されていましたが、全体的にぼーっとした感じでした。もちろん何故ここに骨壺があったのかなど聞けようもなく、とにかく天国に帰って頂くよう諭し、天上界の天使達のお力もお借りして、無事帰天されました。

 次に、おいでになった方は、私の親戚筋の方達だと思いますが、その他にも大勢の方が後ろに居られたので、皆様の代表と言うことでお話をさせて頂き、帰天されて行かれました。

 もうこれで済んだかと思いましたが、重苦しい雰囲気が漂いやって来られました。
その方は、鎧を身にまとわれた方で、来られたと思う瞬間に、強い頭痛がはじまり、息苦しくなったのです。巫女さんはそれをまともに受けるので、可哀想なぐらい痛がっておられましたが、話を続けるしかありません。
なんと鎧の兜(かぶと)が真っ二つに割れ、脳天から下に向かって刀傷があり、それで頭が痛いと苦しんで居られる方でした。

 それでも、なんとかお話が出来、帰天されていきましたが、その後も、同じような方達が次々とやって来られました。
その方達ともお話しさせて頂、なんとか無事に済みましたが、その間、巫女さんは、強い痛みを感じながら、それでも最後まで頑張って下さったのです。
巫女さんには、心から感謝させて頂きました。

 この塚は、代々この墓地のシンボル的な役割をしていて、古の時代からここに居られる不成仏霊の拠り所となっていたようですね。
この墓地のある地域は、日本の発祥の地、神代の国の始まりである九州の真ん中に位置しており、歴史が古い分、戦乱の回数も多い様で、この土地で戦死した方達が多く居られたのでしょう。

 また、私も随分遠い過去世でこの土地に生まれ、この墓地を作った者の一人であることが分かりました。
その縁で、今回の事があったのかと思うと同時に、私の役目でもあったことが、段々に理解することが出来た次第です。

 私達のブログでは天使たちの言葉をお伝えしていますが、それ以外にもこの様に多くの霊人達がやって来られます。
よくニュースになっているような方達の守護霊や、それに関連した人達の守護霊、または政治家の方達や、他国の最高責任者など様々な方達の霊的存在がおいでになることがあります。
もちろん呼ぶことも出来ますが、今はそれを余りやっていません。

 それは、必要な方が、必要な時期に、私達の所においでになると考えるからです。
誰かの許し無くして、私達がお話しすることは出来ないと思っています。
それで、天上界にお任せしているという状況です。
日頃お伝えしているのは、その様な中の一部を皆様にお伝えさせて頂いております。

どうか今後とも、私達のブログを読んで頂きますよう、よろしくお願い致します。



「古の塚」を終わります。


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古の塚 2


 私は、とても嫌な予感がしていたので、その音が気になって、恐る恐る穴を見ましたが、奥まで見えなかったので、運転席で立ち上がって見ると、白い粉状のものがこぼれ落ちた様に広がっていました。
最初、それが何なのかすぐには分かりませんでしたが、重機のバケットを戻してみると、骨壺の割れた欠片と、その中に入っていた火葬した骨がパラパラと落ちてきたのです。

「え! どうして?」
「何で骨壺があるの、ここは以前掘り起こしてあるはずなのに」、と思いましたが、出て来たものはしょうが無いので、これ以上は穴を掘らずに、割れた骨壺をそっと埋め戻し、その上に散乱していた墓石を埋めることにしました。
骨壺の住人に対して、お詫びと、後程お呼びいたしますので、お話しさせて下さいと、心の中で念じ、作業を進めました。

 この骨壺は、以前整備したときに回収出来なかった骨壺なのか、それとも、後から誰かがそっと埋めたのか、疑問が出て来ましたが、後程お話しすれば分かるかもしれないと思い作業に取りかかったのであります。

 その後、掘った穴は無事に埋め戻し整地し、やっと古の塚の移動をすることになりました。
この塚は、自然石で出来ており、なかなか方向や角度が難しく、少々時間がかかりましたが、無事鎮座することが出来、作業終了となったわけです。

 その後、正心法語(幸福の科学の根本経文)をお供えする予定でしたが、何故か出来ず、また、その夜に骨壺の住人においで頂、お話する予定でしたが、それも何故か出来ずにいました。
翌朝目が覚めると、両足のふくらはぎより下の部分に、びっしりと蕁麻疹のようなできものが出来ていたのです。

 「あーぁ、やっぱり来たか」と思いましたが、このとき来られた霊人は一人ではないと言う感覚と、少し時間がかかりそうと言う感じを受けましたが、とにかく話してみないと分からないので、夜まで待ってもらうしか方法がなく、お願いした次第です。


次回に続く


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古(いにしえ)の塚 1


 いつも私達のブログを読んで頂、心から感謝致しております。
今日は、少し色合いを変えて、最近私の身の回りで起こったことをお伝え致します。

 私(KU)の住んでいる町では、町で管理する墓地がありまして、先祖代々から伝わっている墓地で、以前は土葬でしかも、土を盛ったお墓があったんです。

 子どもの頃この墓地で、「肝試し」をやった記憶があります。
お墓に一升瓶を事前においてありまして、それを探し、見つけ出して、持ってこなくてはならないと言うルールなのです。
なんせ、子供なので、怖くて怖くて、しかも真っ暗で足下も見えないので、盛塚に足を踏み入れる事もありました。
足が、盛塚にズボッと入り込む感触を、今も覚えています。

 しかし、そんな墓地も、私の叔父の代になって、長屋風の納骨壇を造って、以前のお墓は掘り起こし整備されました。
ここの墓地は相当古くからあったと伝え聞いていますが、どれくらい昔からあったのかは分かりません。
ただ、そこに大きな石で造られた、塚なのか祈念碑なのか分かりませんが、一つだけ残っているのがありまして、それを今回移動することになったわけです。

 重機を使って四メートル程度移動するわけですが、移動する予定の場所には南天や笹竹が生い茂っており、しかも、以前使っていた墓石が幾つも無造作に置いてあったため、その墓石も移動しながら、またその墓石を穴を掘って埋けることになり、思わぬ大仕事になってしまいました。

 お墓を、重機で深く掘るのですよ、あまり良い気持ちはしませんよね。
え! 誰が重機を運転しているかって、
私です。わ・た・し。
三年前にひょんな事から免許を取ってしまったんです。
なので、私がする羽目に・・・。

 恐る恐るバケットを土にめり込ませ、慎重に慎重に掘り進んで行くのですが、
うんー、慎重と言うより恐る恐ると言った方が良いかもしれませんね。
深くなるにつて、いや-な予感が段々おっきくなってきまして、
「もうこれくらいで良いのでは」と声を掛けたのですが、「もう少し」と帰ってきたので、恐る恐るバケットを土に入れると、音がしたんです。
「パコーン」と!


文章が長くなりますので、次回へ続きます。



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久しぶりに、精舎へ研修に行ってまいりました。

やはり精舎は魂が洗われるというか、心が綺麗になりますね。

夕べの祈りと反省では、私の心の中にある拘りや執着を発見出来まして、それらを吹っ切る事が出来、とても心が軽くなるのが感じられました。

また朝の瞑想では、透明な心の中に、大いなる世界が展開している様子を見させて頂きました。

是非、皆様も精舎へ足を運んではいかがでしょうか。

私からも、お勧め致します。

え? 研修は何を受けたか、ですって。
それは「誹り」と「善悪」について考えてきました。
と言っておきます。



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2062年から来たと言う予言者を霊査

【17日の予言】


今、熊本では17日に大きな地震が来ると、噂が広がっています。

皆様もご存じの方も多いかと思いますが、2チャンネルから広がったもので、2062年の未来から来たという方が、大きな地震等を伝えに来たと言うことになっていますが、本当かどうかの確かな信憑性はありません。

熊本では、これ以上の震災が来るのかもしれないと、恐怖を感じている方達が大勢おられます。
確かに以前から、南海トラフ等の震災にかんする警告は、専門家の方達からも発せられていたことは事実です。
しかし、日にちを正確に表現された方は、数少ないのではないでしょうか。

そこで、少しだけ茶目っ気を出して、この2062年から来たとされる方が、どのような方であるのか、軽く霊的調査をしてみることにしました。

もちろん、私たちも霊的なことでやっているので、信憑性はありませんが、このブログはそういったことをやっている所なので、そこの所は、よろしくお願いします。
ただ、震災の日時については、「天上界では日時をはっきりさせない」ことになっていますので、震災の日時については触れません。

(霊査の結果を一部伝えます)

1、2062年から来た方ではない。
2、現在の時代に生きている方。
3、関東地方に住んでいる方。
4、エンジニア(機械)系の仕事をしている。
5、なぜか敏感に感じることが有り、当たることがある。
6、前世は、印田(インデン、日本人)と言う方、霊的に敏感であった。

なぜ、2062年なのか?
ざっくりと50年位を考えた、少し近いと面白くない。
自分の正体が分かってしまうのも都合が悪いので、
先の未来から来たと言うことにした。

以上です。

【天災等の災害について】


幸福の科学でも、以前から、何度も警告が出されています。
私たちも、少しだけ警告を発しています。

ここでは、天上界の方達の言葉を伝えていますので、
どうか、どうか、参考にして頂きたいと考えています。

次回は、「イエス」様の言葉を本日の朝にお伝えいたします。
また、その行間に多くのことが含まれていますので、
読み取って頂けますよう、願う者であります。



               
「立ち上がれ、地上の天使たち」の文章に対して、コメントが有り、その答えを書いていましたが、このブログの管理者数名で協議した結果、本文で答えようと言うことになり、この場を借りてお答えさせて頂きます。

コメントをそのまま掲載します。
*******************************
.
【大丈夫だと思います】

こんにちは。
更新ありがとうございます。

>これから来るであろう未曾有の時代の変化

今まで、何度もこういう言葉を幸福の科学で聞きました。
しかし、一度もそのようなことは起きませんでした。

それは幸福の科学の活動のおかげということになっています。
だから今回もきっと大丈夫だと思います。

****************************
これに対する回答です。


コメントありがとうございます。
うんー  そうでしょうか?
大丈夫と言うのではないと思います。
その時その時において、淡々と努力し続けてきた者にとっては、大丈夫な様にすると言う感じです。
主のお言葉を素直に聞いて、やっている人は、やっています。
そこの所を、ご理解頂けたらと思います。

今回の、阿蘇立野の災害地においても、その危機を感じ、昨年に幸福の科学の月刊誌を配り、少しでもお話が出来ればと、そこの地区を全戸訪問させて頂いた所です。
せめて「幸福の科学」の存在でも知って頂けたらと思ったからで、ここはそれまで一度も月刊誌の配布すらなされていないところでありました。
また、崩落した橋は、自殺の名所でもあり、余り良くない磁場でもあったところです。

 この立野大橋は、心霊スポットとしても有名だったところです。
  (写真はウィキペディアより)

更に、阿蘇神社には、一部で結界が崩れている事を、幸福の科学の会員であることと、自らの名を名乗って伝えましたが、人手が足りず難しいと回答がありました。

この二つの場所は、私の所属する支部の範囲とは違いますが、どうしても、どうしてもやらなければならないと感じて行動に移しました。
もちろん、管轄の支部には許可をもらってのことです。

また、阪神淡路や東北、そして今回の熊本震災が起きたのは事実であり、未曾有の震災が起きた事は事実です。
私も今回、災害に遭った者として、他人事では済まされません。
復興には多くの時間がかかりますが、その中で生活を続けている大勢の人達の心の様を感じるに、出来うるならば、この様な事は、たとえ何処であろうと起きてほしくないと言う思いを強く持っています。

元々、主のお言葉を信じ、危機の予言に対して、行動を起こしてまいりましたし、これからも小さいことしか出来ませんが、主の御手足の、その細胞の一つにでもなればと思い行動を続けるつもりです。
しかし、一人では如何ともしがたいところがあります。
なので、この場を借りて、これから来るであろう災いに対して、良き行動を起こして頂、少しでも被害が少なくなればと訴えかけているのです。

今回の地震では、小さな奇跡が至る所で起きています。
揺れが起きたその瞬間に、なんとなくそう思って行動したことにより、命が助かった人がもの凄い数で居られます。

例えを身近な所でお話ししますと、私の妻の場合、床を敷くとき、いつものほんの少し右側にしようと、何となく思って敷いていたところ、地震の際家具が倒れ、いつも敷いていた所に落ちてきました。もし、何時ものように布団を敷いていたならば、家具の下敷きになっていたことでしょう。
また、義弟の場合は、揺れが来た瞬間にふと思って行動したその瞬間に、今まで寝ていた場所に家具が倒れてきて、九死に一生を得たと言う具合です。
この様な話は、至る所で聞くことが出来ます。
地震が起きた時間や、様々な偶然で命拾いをされていることが分かります。

これは明らかに、何らかの力が働いていることを感じ取ることが出来る事象ではないでしょうか。
大きな震災にも拘わらず、死者の数が少なかったのも、天上界の意思を感じます。

熊本の会員さん達は、かなり頑張って来ていると思います。
全国的には、幸福の科学の発展を抑制している力が働いているようですが、地上に降りた天使たちに、更なる向上の機会が与えられていると言うことでしょう。
これは、幸福の科学の会員に対して、日本全国、全世界に対して責任を持たなくてはならないことに気づく様にとされているように私は感じています。

「大丈夫ではありません」
全国では、真摯な態度で活躍している会員さん達がいるのです。
表面にはあまり出て来ませんが、淡々と努力している会員さん達が居られます。
各人においては小さな力かもしれませんが、組織においては大きな力を発揮しています。
だからこそ、現在があるのです。
ただそれでも、時代の流れに対して、私たちの力はあまりにも小さすぎます。
もっと、多くの仲間が必要なのです。
どうか、そのようであることをご理解頂きますようお願い致します。

これから来るであろう、大きな変化に対して、悔いが残らないような人生を皆様には歩んでいただければと、心の底から祈念いたしております。

KU

               

熊本震災と災害支援のお礼 (留守中の出来事) 
ブログ管理者KUより

大地は揺れ、人々は逃げ惑い、恐怖を感じている。
家が崩れ、住む場所を失った者。
家はあるが、恐怖で未だに車中泊している者。
様々であるが、この震災を体感した者は、心の奥に強い強い恐怖を感じている。
それが、心の傷として残る者も多く居るでしょう。

癒やしが必要なのです。
恐怖からの癒やしを、多くの方達が欲しています。
多くの人達の心に接し、癒やしてあげる必要があります。

しかし、何故にこの様な震災が起きたのか?
それを考えるとき、いつも心の中で響いてくる言葉は
「これが始まりである」と

これから後、様々な災いが続くでしょう。
日本列島至る所で起きるかもしれません。
その始まりの時、日本の神々は、その神々の発祥に地「熊本」より始めることをお決めになられたようであります。
それ程までの覚悟をされて、臨まれているのだと言うことでしょう。

この地を守っていた一人の者が、留守をし、薩摩の地で掘り起こしをしていた時の出来事であり、如何ともしがたい悔しい思いをしております。



「災害支援のお礼」

 全国から多くの支援物資や、多くの励ましの言葉を頂き、熊本の震災の地に住む者として、厚く御礼申し上げます。
おかげをもちまして、少しずつではありますが、以前の生活に戻りつつあります。
家屋の損壊や、社会インフラの修復には、未だ未だ時間がかかりそうですが、新たな心を持って復興に全力を尽くして参ります。

 熊本のある支部では、与えられる側ではなく、与える側になると決意し、皆で協力して、大いなる光の拝受を成就されました。
この支部には、熊本の宝と言える信者さんが数多く活躍されております。

 また、家屋が全壊し自分の住むところも、仕事も困っておられる方が、それにもかかわらず、避難生活を続けながら、伝道を着々となされています。
この方も、熊本の宝の一人であります。

 熊本には、多いなる宝の様な弟子達が数多く居ます。
必ず皆で力を合わせ、新しい時代を創って参ります。

全国からの心からのご支援を頂いたおかげで勇気が湧いてきました、誠にありがとうございました。