永い観戦歴の中でも自分が日本歴代最強パンチャー(強打者)と確信しているのが大橋秀行。
浜田剛史、井上尚弥の戦いを生観戦しても変わらないのだからしょうがない。
それほどデビューから田中正人戦までのパンチャーぶりは凄まじく、正に天才だった。
雰囲気も従来の和製ボクサーにない正にラテンの香り。
キャリア後半は激闘型にも映ったが、柔らかい身体と目を利した防御技術も正に当時のボクシング界にとり革命的(当時ヨネクラには大橋ガードのコピーが多数存在した)
また現在井上尚弥はじめとして日本人ボクサーの左レバー技術は世界でもトップレベルに位置しているが、エポックとなったのは大橋秀行と言ってよい(源流は兄克行がピントールとのスパーで体現したものを「伝授」された?)
大橋秀行デビュー戦は1985年2月12日後楽園ホール
相手は静岡のジム(過日九州と誤記)の相方将克(西遠)
当時の日本拳闘界におけるボディーブローの位置づけは?
当時からさかのぼる事10年(1975年10月)
アレクシス・アルゲリョがロイヤル小林のレバーをえぐり悶絶されたが、
「ボディーで倒されるのは恥」という時代。
これは青木勝利がジョフレにレバーで倒された時以来からファイティング原田の同様のフレーズがそれこそ30年間ほどにわたり業界に蔓延っていた。
田中小兵太がボディーで倒された際に「ちょっとだらしなさ過ぎる」と一括したF原田。
「ボディーは車のエンジン」との氏の言葉や「ボディーブローのように後からじわじわ効いてくる」とのフレーズに、「左レバーは一発KOパンチ」という時代ではなかった。
またのちに世界を取る中島茂雄がボディーで倒された際にも業界では「市中引き回し」
大熊正二が韓国で朴賛希をボディーで倒した際も朴のだらしなさがフィーチャーされた。
【大橋秀行(ヨネクラ)VS相方将克(西遠)】
19歳の大橋と相方は18歳。ティーン対決。相方はキャリア6戦目。※当日この映像は関東地区はハイライト放映だったと記憶しているがYouTubeにて。
1R、大橋は定評あるガードを掲げスタート。
ただこのガード位置から切れ味抜群の左フックを飛ばす。
そしてセオリー通りの左。6オンスグローブだけに実に硬そう。
相方も気の強さから前へ出てくるが、冷静な大橋は左フックカウンター。
そして大橋の左レバーが入ると後退する相方。そして赤コーナーに詰められ、左レバーでダウンを喫する。
完全に決まったと思われたが、相方も立ち上がる。
正に獲物をしとめる様に攻め入る大橋。左レバーから顔面へのダブルでダウン追加。
これも何と立ち上がる相方。
信じられないが光景だが、大橋追撃で浅尾和信主審はたまらずストップ宣告(1R2:25KO)
試合後、大橋は先輩竹下鉄美の名を出し対戦を熱望する大物ぶりを発揮。
時代なのか「ボディーで倒されてなるものか」と相方の頑張りは今見ると凄い。
大橋のボディーは後にこのパンチで世界王座を獲得したようにデビュー時から完成していた。
その後コリアンファイターに跳ね返され、ショートパンチやクロスレンジに磨きをかけた大橋だが、こと切れ味だけならデビューから1年くらいまでの時期は本当に目を見張るものがあった。
世界王座に就く前の大橋へ
ジョー小泉氏は「カウンターではなく打って行っても倒せるパワーがある」
スパーした穂積秀一は「バズーカ」と形容
リングサイドクラブ藤田御大は「米倉会長が自慢するだけあって大橋は世界を獲るな」と褒めていた。
現在と違いはるかに世界王座に価値のあった時代のコメントだけに重みがある。
倉本正戦から国内で戦った試合すべてを現地で観たが、田中戦、金戦までの切れ味は本当に忘れられない。
オールドファンが歴代最強パンチャーは海老原博幸と語っていたのと同様に自分は大橋秀行が最高の強打者と確信している。
これは生涯変わらないだろう。


