古代建築における千木と鰹木について考察します。現代においてもその意味は明確に説明されておらず、長い年月の間に解釈は変化してきたと考えられます。日本で千木と鰹木が屋根の上に見られるようになった初期の頃、人々はどのような思いを込めていたのでしょうか。
私は、この屋根と千木・鰹木の関係は古代エジプトや夜空に輝くオリオン座と共鳴していたと感じています。オリオン座の形は二艘の船が合わさったように見えます。古代エジプトの太陽の船も二艘あり、昼は天空を航行する「マンジェット」、夜は冥界を旅する「メセケテト」とされ、これは太陽神ラーの一日の循環(誕生・成長・死・再生)を象徴しています。
また、オリオン座は✖の形にも見え、この形を千木と考えることもできます。✖は古代エジプトをはじめ、日本の吉野ケ里遺跡の棺の蓋や四隅突出型墳丘墓にも表現されており、エジプトの壁画にも多く見られます。鰹木は本来3本であったと私は考えています。出雲地方の古い建築には3本の鰹木が多く見られるからです。
この三本の鰹木はオリオン座の中心の三ツ星やミイラと深く関連していると考えられます。鰹木は中央部が膨らみ、ミイラに白布を巻いた形に似ており、ギザの三大ピラミッドとも共鳴しています。私は屋根自体を船と想像しています。
以上の理由から、古代建築の屋根は天空を表現し、千木・鰹木の形は古代エジプトの太陽の船、オリオン座の✖や三ツ星と共鳴し、現世と冥界(黄泉)を巡行し、魂・霊魂・精霊・神霊の再生と復活を象徴していると考えられます。
※ エジプトの写真はegyptologyさんの投稿より






