悲しみと執着なら | 思いつくままに

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何となく疑問に感じたことや納得できないことを自分で腑に落とすために書いてるようなもんです。

愛情と執着は別物じゃないと結論付けたけど、逆に悲しみはどうなんだろうと?

悲しみこそ執着の究極の塊なのではないかと思った。

それは人の死…犯罪者が死刑になる特定の場合は除いての話たが。親族の死はもちろん、知人、先輩、後輩、友人、恋人etc。

亡くなったという現実を前に、悲しいという感情を持たない人はいないのでは?

生前の故人に何らかの執着があるからこそ悲しい感情が込み上げるのでは?

それこそ見ず知らずの他人が亡くなったニュースを目にしたとしても、事実として記事を目にするだけでなら悲しいという感情は込み上げないと思われる。だが、ニュースやワイドショーで亡くなり方を知って、酷いとか切ないと共感した時に悲しいという感情は生まれる。見ず知らずの人なのに。


そこには身近な誰かに、事故や事件で亡くなった人を置き換えるという心理があるのではないだろうか?


だからこそ、置き換えた誰かに対して、そんな事にはなってほしくない。生きていてほしい!って執着があるのかもしれない。あるいは愛があるから失いたくないのか?

まぁそうなると愛にも執着があるって事になるけど…愛に執着がゼロではないんだろう。好きって感情には執着があるのだから。


しかし、どう考えても悲しむということは必ず何等かの執着があるのは間違いないと感じる。もしかすると、感情ではなく感覚で感じてるのかもしれないが…