愛情と執着の重さ | 思いつくままに

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何となく疑問に感じたことや納得できないことを自分で腑に落とすために書いてるようなもんです。

愛の解釈…何か違うなとブログを読み返してみたけど、執着があるから愛情があるとは限らない。


そもそも愛情と執着は別物だな。やはり愛情は愛してるという想いだから重さがない。でも、執着は感情に付いてくるものだから重さができる。

単純に愛してるというだけなら、相手が何をしてるか気にはなっても、アレコレ余計なことを考え込んたりはしないだろう。相手も愛してくれてると思えば何に疑問を感じるのだろう。


考えたり悩んだりするのは、相手を信じられないか、執着心なんだろう。

友情だったら、逆に執着がない、友人であることに疑うことをしない。だから友人なんだという思いしか伝わらない。これには全く重さがないわけだ。


執着を持つと、何でも重くなるのか?

だとしたら、無関心な人、マイペースで自分の事だけを考えられるようになったら誰かに余計な感情を持つことはない。

人に無関心と言えば聞こえは悪いが、マイペースで相手の行動や感情を気にしないという考え方なら…それは良いことなのか?相手に振り回されず、まずは自分自身のことを尊重する。

自分に集中したら、本当に相手は気にならなくなるのだろうか?

しかし、自分だけに集中するのも難しそうだ。そもそも暇な時間があるってことがムダそうだ。息抜きする時間と暇な時間は大きく違うからな。

じゃあこうしてブログを書いてる時は集中してるのか?

んー果たしてどうなのか?