限界集落での感覚は? | 思いつくままに

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何となく疑問に感じたことや納得できないことを自分で腑に落とすために書いてるようなもんです。

私が仕事で度々訪れる場所にほぼ限界集落がある。実際は、ほぼとつけることもないような限界集落だが。

ここに来ると、時がゆっくりと流れるのを実感してしまう。

たまに出会うのは高齢者ばかり。小さい子供もいなければ無論若者は目にしたこともない。

一体何を楽しみに生きているのか?ふと疑問に思うこともある。電気はもちろん通ってる、当然家電品もあるに違いない。でも、テレビさえ見てるのか?と感じる。

日中の街中にはテレビの音も聞こえない。聞こえるの鳥のさえずりと時折通りすぎる車の音だけ。

農繁期になるとトラクターの音も聞こえるのだが、田植も終わったこの時期はトラクターの音も聞こえない。

人気もなければ娯楽施設なんてのは1ヶ所もない。人が集まりそうなのは町内会館だけだろうかと考えてまう。

きっと朝日と共に起床し、夕闇と共に就寝するのではないだろうか?

何の苦労があるのだろうか?と考えてしまう。10軒程度の集落だから、集落全員を知ってるのかもしれない、それはそれで人付き合いは神経を使うのかな?

こんな場所で暮らしていたら、何かに依存する事、誰かに依存する人も存在しないだろうな。

でも、何かを感じる感覚だけは研ぎ澄まされていくように感じるのはなぜだろう?自然の中に身を置くからだろうか?ここにいると嫌なことも楽しいことも忘れて、無になっていく自分を感じられるような気がする。

何もかも忘れるには悪くない土地なのかもしれない。

逆にこんな場所でさえイメージに浮かび上がるのはどんなことだろう?それともどんな人なんだろう?試してみよう。