琵琶湖疏水散策(大津~鴨川) | Archive Redo Blog

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DBエンジニアのあれこれ備忘録

 

今年、琵琶湖疏水の諸施設が国宝および重要文化財に指定されたことで、再注目されているそすいさんぽ(大津-鴨川コース)を歩いてきました。

 

こちらは琵琶湖から水を引き入れる第一疏水取水口。

 

 

 

そしてすぐ近くにある第二疏水取水口。

 

第二疏水は蹴上までずっとトンネルのため、そすいさんぽは第一疏水に沿って歩くことになります。

 

 

第一疏水沿いを歩き始めると間もなく大津閘門が現れます。

 

琵琶湖と疏水の水位差を調整するために設けられたもので、重要文化財に指定されました。

 

 

 

ちょうど閘門が開き始めたのでしばらく見ていると、琵琶湖からびわこ疏水船がやってきました。

 

 


船が入ると琵琶湖側の閘門が閉じられ、しばらく排水が行われた後、京都側の閘門が開き、船が出てきます。

 

琵琶湖と疏水の水位差は約1.5mほどなのだそうです。

 

 

 

大津閘門を抜けた先にあるのは第一隧道。

 

国宝に指定されました。

 

 

 

第一隧道入口。

 

明治という時代は隧道の出入口であっても、ファサードにこだわりますよね。

 

扉までついていてとっても粋です。

 

そして、琵琶湖疏水の隧道で注目されるのは明治の元勲らの揮毫による扁額です。

 

第一隧道入口の扁額は「氣象萬千(きしょうばんせん)」。

 

揮毫者は伊藤博文です。

 

 

 

第一隧道出口までは、小関越えというちょっとした峠越え。

 

この峠を下る途中に第一竪坑という疏水工事における重要な施設があったようですが見逃してしまいました。

 

 

 

第一隧道出口。

 

扁額は「廓其有容(かくとしてそれいるることあり)」。

 

揮毫者は山縣有朋です。

 

篆書体というのがまた風格があっていいですね。

 

 

 

このあたりは紅葉がとてもきれいでした。

 

 

 

四宮船溜の手前ではイチョウの黄葉がきれいでした。

 

 

 

四宮船溜。

 

元々疏水はここからも山すそに沿って流れていたそうですが、昭和に入って国鉄の軌道の増設ために、諸羽トンネルを通る形に流路を変更したそうです。

 

 

 

諸羽トンネル出口から第二隧道入口までは疏水の流れに沿って歩ける最も長い区間です。

 

ところどころ紅葉も見られてとても気持ちのいい道です。

 

 

 

第二隧道。

 

第一隧道と同じく国宝に指定されました。

 

入口の扁額は「仁以山悦智為水歡(じんはやまをもってよろこび、ちはみずのためによろこぶ)」。

揮毫者は井上馨。
 

この時代はまだ漢詩・漢文が知識人の必須教養であったのですね。

 

 

 

第二隧道出口。

 

入口と出口で意匠が異なるのも面白いところです。

 

扁額は「隨山到水源(やまにしたがいて、すいげんにいたる)」。

揮毫者は西郷従道。


 

 

第三隧道。

 

ここも国宝に指定されました。

 

隧道内からエンジン音が聞こえてきたのでしばらく待っていると、遊園地のアトラクションのような勢いで船が飛び出してきました。

 

水流に逆らって進むにはパワーが必要なんですね。

 

 

 

入口の扁額は「過雨看松色(かうしょうしょくをみる」。

 

揮毫者は松方正義です。

 

扁額の揮毫者は歴史に名を残す大物ばかり。

 

琵琶湖疏水が当時の国家的プロジェクトであったことを物語っています。

 

 

 

第三隧道入口からは一旦三条通に出て蹴上へ。

 

第三隧道出口は遠目から。

 

扁額は「美哉山河(うるわしきかなさんが)」。

 

揮毫者は三条実美。

 

蹴上乗下船場のところにある洋館は旧御所水道ポンプ室。

 

先日の京都モダン建築祭の公開建築(要整理券)にもなっていました。

 

 

 

インクライン・運輸船(復元)。

 

疏水の傾斜の急なところは、インクライン(傾斜鉄道)の台車に船を載せて昇降していたそうです。

 

 

 

インクラインのそばに立つ田辺朔郎博士像。

 

若干21歳にして琵琶湖疏水工事の担当となり京都の近代産業化に大きな功績を残した人です。

 

ここに銅像があることは認知していましたが、まさかそんなにすごい人だったとは。

 

 

 

インクライン。

 

ここも国宝に指定されました。

 

国宝を歩く。

 

 

 

インクラインを下りたところにある蹴上発電所。

 

今も現役の発電所で、旧本館が重要文化財に指定されました。

 

 

 

その蹴上発電所に水を送る送水管はインクライン上部の田辺朔郎博士像のそばから見られました。

 

インクラインの高低差を利用して発電するわけですね。

 

落差はわずかですが、これでも当時としては画期的なことで、ここで生み出された電力は京都の産業近代化に大きく貢献したそうです。

 

 

 

琵琶湖疏水の象徴的な建造物、南禅寺境内にある水路閣にも寄ってみました。

 

これも国宝に指定されました。

 

 

 

南禅寺は紅葉見物で賑わっていました。

 

今日はずっと曇りでしたが、ここへきて青空が。

 

 

 

琵琶湖疏水記念館にも寄ってみました。

 

初めて入りましたが、疏水のことについて非常に勉強になりました。

 

日本で初めて採用した竪坑(シャフト)工法によって隧道を堀り、琵琶湖から京都へ水路を通すという高度な工事を成し遂げることができたことにも驚きますが、そんな大工事を1885年から1890年のわずか5年で完成させているということも驚きでした。

 

 

 

テラスに出ると南禅寺船溜と鴨東運河がよく見えます。

 

そすいさんぽも終盤です。

 

 

 

冷泉通沿いにある夷川発電所。

 

蹴上発電所以上に高低差なさそうに見えますが、ここも現役の発電所です。

 

本館は重要文化財に指定されました。

 

写真右端に立つのは、琵琶湖疏水を計画し、完成させた当時の京都府知事北垣国道の銅像です。

 

 

 

夷川発電所から少し歩くと鴨川にぶつかり、ここでそすいさんぽは終了。

 

琵琶湖疏水はこのまま鴨川に注ぐのかと思いきや、水門は閉じられており、

 

 

 

鴨川の隣に並行して流れる鴨川運河に注ぎ込まれていました。

 

この鴨川運河は伏見まで続いており、これによって大津から大阪までの舟運が可能になったのだそうです。

 

 

今回、はじめて琵琶湖疏水沿いを大津から鴨川まで歩いてみましたが、明治という時代の息吹が感じられ、意外と紅葉も楽しめてなかなかいい散歩道でした。

 

春には桜もきれいなようですし、他のコース(鴨川運河コース、疏水分線コース)も含めてまた歩いてみたいと思います。

 

それから、びわ湖疏水船も楽しそうですので、いつか乗ってみたいです。