論理的思考はひとつではない。世界共通でもない。
論理的に思考した結論は、論述の形式、作文の型というものに則ってまとめるよう教えられます。
その作文の型は、無限ではないものの、思考する目的、領域によって異なるとのこと。
そう言われてみればそうかというところですが、その作文の型が思考の型を作り、どの型を中心に据えるかによって、文化や社会の型にも影響を及ぼすというところまでは、考えが及んでいませんでした。
本書ではまず論理学、レトリック、化学、哲学の論理と思考法に触れた上で、経済、政治、法技術、社会の4つの領域の作文の型を取り上げ、それぞれの型を中心に据えている国として、「経済=アメリカ」、「政治=フランス」、「法技術=イラン」、「社会=日本」を当てはめ、それぞれの作文の型、思考法、そして、ある領域で論理的とされる思考法が、他の領域でなぜ非論理的と感じられるのかといったことを説明しています。
アメリカの5パラグラフ・エッセイ、フランスのディセルタシオン、イランのエンシャー...
確かにどれをとっても他の領域には合わないだろうと思いましたが、それぞれの領域においても、本当にそれが常に最適なの?という印象もあり、「ああ、だから、あの国とあの国は話がかみ合わないのか...」などと合点してしまいます。
そして、「社会=日本」って何だろうと思ったら、小学校から始まる「感想文」で、急にレベル下がるなと一瞬思ったのですが、そこから「意見文」、「小論文」と発展し、それが重要な社会的スキルとなっていくことを考えると、馬鹿にはできません。
最後、これらの領域ごとに異なる思考法を理解し、目的に応じて使い分ける多元的思考について触れられていますが、日本の作文における「共感」という価値観については、他の領域にそのまま持っていくことはできないにしても、常に根っこには持っておきたい視点だなと感じました。