牧野博士ゆかりの横倉山散策 (1) | Archive Redo Blog

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DBエンジニアのあれこれ備忘録

 

四国3日目の5月3日。

 

当初は土小屋から石鎚山に登ろうかと思っていましたが、昨日、東赤石山で岩場や春の花は堪能したし、今日は連休初日ということで混みそうな気もしたので、予定を変更して朝ドラで話題の牧野博士ゆかりの横倉山に登ることにしました。

 

横倉山に向かう道中、まずは仁淀ブルーを少しだけ体感しようと仁淀川の支流、枝川川にあるにこ淵という人気の絶景スポットに寄ってみました。

 

まだ午前8時過ぎということで日光が届かず、それほどブルーにはなっていませんが、それでもとても神秘的な空間です。

 

 

 

そして、仁淀川本流の名越屋沈下橋にも寄ってみました。

 

 

 

仁淀川下流域で最も長い沈下橋で、車でも渡ってみましたが、しっかりした造りではあるものの幅が狭くて欄干もないのでけっこうスリリングでした。

 

 

 

下流域とは思えないほど、水がとってもきれいです。

 

 

 

仁淀ブルーを体感した後は、横倉山の麓にある横倉山自然の森博物館へ。

 

ここも安藤忠雄建築。

 

 

 

こちらは横倉山の地質や植物のことを学べる博物館ですが、牧野富太郎博士の企画展が催されていました。

 

100年以上前に牧野博士が採集した植物標本なんかも展示されていてなかなか見ごたえがあります。

 

 

 

博物館から見る横倉山。

 

わずかに飛び出して見えるのは、カブト嶽かな?

 

 

 

帰り際、入口に横倉山の植物図鑑があったので購入しました。

 

今、横倉山に咲いている花もわかるし、知らない花を見つけた時にすぐに名前がわかって便利です。

 

また、「これから山に行かれますか?」と聞かれたので、「はい。」と答えると、横倉山のガイドマップもいただけました。

 

 

 

横倉山自然の森博物館を見学した後は、そこからさらに林道を山の方に向かって走って行き、登山口へ。

 

第1、第2、第3と駐車場がありましたが、第2駐車場に駐車し、表参道石段登口から登ることにしました。

 

鳥居がある登山口、好きです。

 

 

 

「牧野博士の新休日」の幟が立っています。

 

 

 

夫婦杉。

 

杉原神社まではほぼ石段の道。

 

 

 

杉原神社。

 

横倉山修験道の中ノ宮にあたるそうです。

 

 

 

大きな杉の木の立ち並ぶ中に、なかなか立派な社殿が立っています。

 

 

 

杉原神社からさらに歩いていくと、安徳天皇の供御水として用いられたと言われる安徳水や、安徳帝行在所跡などの史跡がありました。

 

横倉山は壇ノ浦の戦いで源氏に追い詰められ入水したとされる安徳天皇が難を逃れて落ち延びた地という伝説があり、安徳天皇にまつわる史跡がいくつもあります。

 

 

 

横倉宮の鳥居。

 

 

 

そのそばにあったアカガシの巨木。

 

 

 

安徳天皇を御祭神とする横倉宮。

 

平知盛が、この地で23歳で亡くなられた安徳天皇を玉室大神としてあがめ、社殿を建てて祀ったのがはじまりだそうです。

 

 

 

横倉宮の横には牧野博士が発見・命名したヨコグラノキがあります。

 

 

 

ヨコグラノキとは反対側から横倉宮の裏手に回ると、石灰岩のカレンフェルトがあり、そこを登って行くと”馬鹿だめし”という場所に出ます。

 

 

 

石灰岩の断崖絶壁。

 

先端まで行くものは馬鹿者だということで、”馬鹿だめし”だそうです。

 

怖くてこれ以上は進めません。

 

 

 

馬鹿だめしはぐるっと回り込んで下に下りることもできます。

 

馬鹿だめしの岩の下にある岩屋神社。

 

 

 

見上げると石灰岩の断崖。

 

 

 

岩屋神社からさらに下ると平家穴があります。

 

源氏の追手が襲撃してきたときに安徳天皇を逃がす場所だったと言われるそうです。

 

 

 

平家穴から見上げる馬鹿だめしの石灰岩の断崖。

 

横倉山の地質はかなり古く、約4億年前の化石も見つかっているそうです。

 

赤道近くの大陸の一部が長い年月をかけてここまで移動してきたもので、この石灰岩はその大陸のサンゴ礁に由来するものなのだとか。

 

 

 

平家穴から50mほど登り返し、さらに横倉山の奥に進むと、安徳天皇陵墓参考地があります。

 

 

 

高知県内で唯一の宮内庁所轄地で、安徳天皇が蹴鞠を楽しんだ場所と言われているそうです。

 

 

 

足元にコミヤマスミレが咲いていました。

 

牧野博士が命名したそうです。

 

ここまで、まだそれほど花を見つけられていませんが、横倉山の散策はまだまだ続きます。

 

(2) へつづく...