加西アルプスを歩いた日曜日の午後、加西アルプスの近くにある鶉野飛行場跡地を散策してきました。
鶉野飛行場は太平洋戦争中に海軍の搭乗員養成のためにこの地に開隊された姫路海軍航空隊の飛行場で、その跡地の一角で、毎月第1日曜日と第3日曜日に、紫電改の実物大レプリカが公開されています。
ということで、その日に合わせて加西アルプスとセットで訪れてみたわけです。
紫電改は太平洋戦争末期に活躍した海軍の局地戦闘機で、私が最も好きな旧日本軍の戦闘機です。
何故好きかと言うと、子供の頃に遊んだ空戦シミュレーションゲームで強かったからです。
(ゲームで強いということは、実機も高性能であったということ。)
戦争当時、鶉野飛行場には川西航空機の工場が併設され、ここで紫電、紫電改の組み立てが行われていたそうです。
それにしてもこのレプリカ、実機のレストアではないので、レプリカ感はありますが、それでも細部までよくできていて、本物のエンジンを積めばすぐ飛べそうなリアルさがあります。
飛べなくてもプロペラ回すくらいのギミックは搭載していないのかなぁ?
機体のレプリカのほか、操縦席のみのレプリカも展示されていました。
こちらは、搭乗体験ができるようです。
紫電改を見た後は、鶉野飛行場跡地とその周辺に点在する戦争遺跡を見て回ります。
まずは平和祈念の碑。
太平洋戦争末期、姫路海軍航空隊でも「白鷺隊」という特別攻撃隊が編成され、鹿児島から出撃し、63名が還らぬ人となったそうです。
もう、こういう悲劇は二度と繰り返したくないですね。
戦争は、漫画やゲームや模型の世界だけで十分です。
次に、一旦鶉野飛行場跡地から離れ、北西方向へ500mくらい歩いたところにある無蓋掩体壕へ。
ここにも旧日本軍機カラーの飛行機がありますが、これはアメリカのノースアメリカン社で開発されたSNJ-5練習機で、自衛隊でも練習機として使用された機体だそうです。
無蓋掩体壕とは、敵機の攻撃から飛行機を隠すための施設で、機体の周囲を高さ3mほどの提体で囲み、蓋がない代わりに木の枝や葉で機体を覆って隠したそうです。
鶉野飛行場周辺では55箇所の無蓋掩体壕が作られ、全機損害を免れたそうです。
そのすぐそばには対空機銃座跡がありました。
鶉野飛行場跡地周辺には、現在も完全な形を残している対空機銃座跡が4箇所あるそうです。
ここには映画「男たちの大和」の撮影で使われた96式25mm対空機銃の実物大模型が置かれていました。
無蓋掩体壕と対空機銃座跡を見たあとは、鶉野飛行場跡地に戻り、滑走路に並行する遊歩道を南西方向に歩いて行きます。
この滑走路、長さ1,200m、幅60mあったそうですが、ほとんどがそのまま残されています。
10分以上歩いて行くと、遊歩道は滑走路を横断し、離れます。
振り返って見た滑走路。
紫電改はもう見えないくらいはるか向こうです。
しかし、これだけ広大な土地ならば、農地、住宅地、工業用地など、いくらでも再利用できるのに、よく今までそのまま残してこれたものです。
滑走路から離れてさらに少し歩くと、コンクリート製の防空壕があります。
そして、その近くにはさらに大きなコンクリート製の巨大防空壕があります。
現在は内部が巨大防空壕シアターになっていて、毎月第1日曜日と第3日曜日に「白鷺隊」の所属隊員たちの遺書を映像化したものが上映されており、事前予約すれば観られるそうです。
こちらは無蓋掩体壕の近くにあったのと同じような機銃座。
完全な形で残っており、構造がよりよくわかります。
さらに北条鉄道の法華口駅方面に歩いて行くと、姫路海軍航空隊の門柱と衛兵詰所を再現したものがありました。
実際にこの辺りに門、詰所、面会所といった姫路海軍航空隊の入口の施設があったそうです。
姫路海軍航空隊の入口を出た道沿いには素掘りの防空壕がいくつか掘られていました。
通気性をよくするため、入口を2つ設けたコの字型になっているそうです。
そして、こちらは防空壕ではなく爆弾庫。
航空機の機銃弾や爆弾、高角砲弾などが格納されていたそうです。
1t爆弾に耐えれる厚みのコンクリートで囲まれ、爆風から守るため、入口の反対側には土堤が設けられています。
鶉野飛行場跡地の散策コースのマップに載っていた戦争遺跡はここまで。
爆弾庫近くからは、午前中に登った善防山とその手前、のどかな田園風景の中を走る北条鉄道が見えました。
当時とそう変わらない風景なのではないかと思いますが、身近なところに戦争があったんですね。
この鶉野飛行場跡地での紫電改模型の公開は、グッズ販売や、物産品の販売などはありましたが、見学するだけであれば無料。
操縦席模型の搭乗体験、巨大防空壕シアター見学、駐車場も無料で、法華口駅からは無料シャトルバスも運行されています。
ただ見て帰るのもなんだか申し訳ないので、何かグッズでも買って、少しでも支援したいなと物色していたら、寄付をすると記念品がもらえると書いてあったので、千円寄付して、記念品として和タオルとクリアファイルをいただいて帰りました。
鶉野飛行場跡地のことを知ったのは、この紫電改模型の公開のニュースがきっかけで、それがなければずっと知らないままだったかもしれません。
戦争は遠い昔の話になりつつありますが、こういうかっこいい飛行機の模型などで人々の興味を引きつつ、それを足掛かりに戦争のことを学んでもらうというのもいいやり方かもしれませんね。
貴重な戦争遺産を見ることができて、いい勉強になりました。