高野七口(京大坂道)からの高野三山散策(1) | Archive Redo Blog

Archive Redo Blog

DBエンジニアのあれこれ備忘録

 

文化の日。

 

仏教文化に触れつつ、紅葉が見頃を迎えている高野山を歩いてきました。

 

今回は高野山に通じる七つの道、高野七口のひとつ、京大坂道を歩き、学文路駅から高野山を目指します。

 

 

 

学文路駅から少し東に歩いて、踏切を渡り、京大坂道に入ります。

 

 

 

道路に埋め込まれた歴史街道の道標。

 

京大坂道は現在はほぼ舗装道路になっており、普通の道標だけでなくこのタイプの道標も織り交ぜられています。

 

 

 

歩き始めて10分もしないうちに西光寺・学文路苅萱堂に到着。

 

苅萱堂は高野山にもありますが、高野聖の一派である萱堂聖によって生み出された苅萱道心と石童丸の物語が広がり、こうしたお堂に苅萱道心や石童丸の像が安置されるなどして、庶民信仰化していったのだそうです。

 

 

 

ここで高野七口のスタンプをゲット。

 

高野七口には、それぞれ要所にスタンプ押印所が配置されており、すべて(19個)のスタンプをコンプリートすると、高野七口踏破証明書と記念品がいただけるそうです。

 

熊野古道中辺路の押印帳と同じシステムですが、この高野七口押印帳は、中辺路のスタンプをコンプリートした時に、踏破証明書と一緒に和歌山県から送られてきたものです。

 

高野七口は高野山の東西南北に散らばっているので、全部押印するのはなかなか難しいかなと思っているのですが、どうせ歩くのならと一応持ってきました。

 

(今回は、ここと、日輪寺、極楽橋、女人堂、大伽藍、奥之院の6個をゲットしました。)

 

 

 

途中、ちょっと開けた場所からの眺め。

 

紀の川の向こうに和泉山脈が見えます。

 

以前、歩いた町石道は左手前に見える山のあたりを登って行ったかと思います。

 

 

 

九拾町石。

 

町石道のように一丁ごとにある(残っている?)わけではありませんが、序盤で九十町ということは、距離的には町石道の半分ちょっとくらいとだいぶ短いです。

 

京大坂道は京・大坂からの最短ルートということで、江戸時代には茶屋や旅籠が賑わったそうです。

 

 

 

大師の硯水。

 

弘法大師が杖をついたら清水が湧き出したという言い伝えがあるそうですが...

 

いろんな所で同じ話を聞きます...

 

 

 

ここまでゆるゆると登ってきましたが、一旦大きく下って丹生神社。

 

 

 

その隣に日輪寺。

 

 

 

そして、この千石橋を渡ると民家もほとんどなくなり、いよいよ本格的に山の中。

 

作水坂という急登が始まります。

 

(左向いて写真を撮りましたが、京大坂道は橋を渡って右です。)

 

 

 

急坂を上りきった作水集落にあったお地蔵様。

 

京大坂道にはところどころにこういうお地蔵様がおり、ここのお地蔵様は地図や道標には第五の地蔵と書かれていました。

 

 

 

この京大坂道では、明治4年に播州赤穂藩のお家騒動に端を発した日本最後の仇討ちがあったそうで、作水集落の先、特に何もない山中に討たれた7名の墓所がありました。

 

少し手前には仇討ちに関する解説板がありましたが、藩命で高野山に向かう途中、この逃れようのない山中で待ち伏せされて討たれたようです。

 

このあたり、山中の細い道ながら、まあまあ車が通ります。

 

現代は車に討たれないよう注意が必要です。

 

 

 

むすびの地蔵堂。

 

石柱が数本立っていますが、そのうちのひとつが一里石。

 

高野山まであと一里です。

 

 

 

旧白藤小学校。

 

中はカフェになっているようなんですが...

 

前にここのドリップパックをもらったことがあります。

 

「白藤」、「神谷」というブレンドだったんですが、この「白藤」とこの近くの紀伊神谷駅の「神谷」だったんですね。

 

っていうか、こんなとこまで来たんや...

 

この日はコーヒーを飲んでいく余裕がないのでスルーしましたが、またここを歩く機会があれば寄ってみたいと思います。

 

 

 

さらにしばらく歩くと南海電車の極楽橋駅のある極楽橋に到着。

 

 

 

噂には聞いたことありますが、この辺りにも熊出るんですね。

 

今日はここまでハイキングする人と会ったのは一人だけ。

 

念のため、熊鈴付けます。

 

 

 

ケーブルカーをわき目に見ながら不動坂を登ります。

 

 

 

が、不動坂は舗装路で楽しくないので、途中から旧道であるいろは坂に入りました。

 

ケーブル―カーができるまでは「四十八曲がり」とも呼ばれる最大の難所だったそうですが、登山者の感覚でいうと大したことはありません。

 

 

 

向かいの山がきれいに紅葉しています。

 

 

 

清不動堂。

 

この先のいろは坂は森林整備のため通行止めになっていましたので、ここからは不動坂を登りました。

 

 

 

そして、女人堂に到着。

 

学文路駅から3時間15分でした。

 

今回歩いた京大坂道。

 

かつての人気参詣道ですが、今はほぼ舗装されているため古道の雰囲気に乏しく、歩いていてあまり面白い道ではなかったです。

 

最短で高野山にたどり着けるというのは利点ではありましたが...

 

 

 

さて、ここから高野山に入ります。

 

かつてここは女人結界で、女性はここから先へは入れなかったんですよね。

 

この重厚な門石がそれを物語っているかのようです。

 

 

 

女人堂から高野山の中心部に入る道には、多くの寺院が立ち並びます。


 

 

紅葉見頃の高野山ですが、この道は高野山のメインストリートではありませんので、人も少なくのんびりと紅葉を楽しめます。


 


いやあ、前に来た時も見頃でしたが、今年もいいタイミングに来れました。

 

 

 

今年の色づき具合はどうなんでしょうね。

 

 

 

たまたまそういう年に当たったのか、何かきれいに色づく理由があるのかわかりませんが、高野山の紅葉って、この赤色がとても鮮やかな印象があります。

 

 

 

様々な樹種が見られますが、赤、橙、黄、みな鮮やかです。

 

 

 

紅葉散策はこのあたりだけでも十分かもしれませんね。

 

が、これから高野山の中心部に向かってみます。

 

 

(2)へつづく...