榛名山、榛名神社を巡ったあと、榛名山の北側に下りて日本ロマンチック街道を上田に抜けて帰ることにしました。
3年前福島遠征からの帰り道にも通りましたが、その時はまだ完成していなかった八ッ場ダムが完成していたので寄ってみました。
けっこう満々と水を蓄えています。
八ッ場ダムは気軽に見学できるようになっており、ダムの上を真ん中近くまで歩いて行くと、
エレベーターがあり、これに乗ればダムの下に行くことができます。
エレベーターはダムの中を通っており、降りてから長い通路を通って外に出るようになっています。
この長さからダムの分厚さというものが感じられます。
下から見上げる八ッ場ダム。
赤い橋を渡ると対岸に渡ることもできます。
ちょうど真ん中あたりから見上げるダム。
何に価値を見出すかによって、ダムの賛否というのは様々かと思いますが、善し悪しは置いといて、率直にすごいですよね、こんなものを作れるなんて。
ダムの上から見た下流側。
まだ少し工事は続いているみたいですね。
このあたりは吾妻渓谷という景勝地で、八ッ場ダムからも散策できるようです。
近くにある道の駅「八ッ場ふるさと館」の「八ッ場食堂」では、八ッ場ダムカレーがいただけます。
ダムカレーはいくつか食べましたが、器がダムになっているダムカレーは初めてです。
ダムの部分を外せば決壊(放水?)イベントも楽しめます。
カレーは家庭風の舞茸カレーでまあまあおいしかったです。
ダムカードももらえますよ。
八ッ場ダムを見学した後は、前回、岩櫃城など、この道沿いにある真田の城めぐりが日没時間切れとなってしまったため、続・真田の城めぐりをしてみました。
まず、訪れたのは真田氏本城跡。
上田城築城以前の真田の本城と推測される城で松尾城とも呼ばれます。
中世の山城で、石垣などはありませんが、城の痕跡としては土塁や堀切の跡がわずかに見られます。
北の方を見ると、昨年登った四阿山と根子岳が見えます。
ということは、あちらからもこの城は見えるのですね。
本郭の土塁。
ぐるっと回り込んで本郭。
ここからは真田の集落が見えました。
次は真田氏本城跡から少し下って、真田氏歴史館へ。
ところがまさかの休館日でした。
仕方なくそのそばにある真田氏館跡へ。
上田城築城以前の真田氏の居館で、大手門、搦手門を備えており、
周囲にはこのような土塁や堀もめぐらされており、典型的な中世豪族の居館の形態が見られるのだそうです。
現在は、敷地の中心部に皇太神社が祀られています。
普段はこちらで生活し、戦となれば城に上がったのでしょうね。
最後に、砥石城跡へ。
ここは上田合戦の際にも上田城の支城として攻防の拠点となった重要な城です。
また、それ以前には、村上義清が拠点としており、ここを攻めた武田晴信(信玄)が大敗を喫した”砥石崩れ”の舞台にもなっています。
信玄を退けるほど強固な守りを誇った砥石城。
しかし、その翌年には信玄の命を受けた真田幸隆が調略を用いてあっさり乗っ取ってしまったそうです。
このあたりからはじまる真田氏の戦国渡世が大大名のそれとはまた違って何とも面白いんですよね。
ということで、訪れてみたかった砥石城跡。
登城口から城に向かって歩き始めると、櫓門が。
大河ドラマなどでたまに見るような形ですね。
櫓門から砥石城までは20~30分とのこと。
最初、緩やかに登って行くと、尾根に出ます。
左へ行くと米山城、右へ行くと砥石城。
今日はもうかなり日が暮れてきたので、砥石城のみにします。
分岐から少し進むと、長く急な階段が現れます。
この階段をひたすら登り、終わったかと思うと左に折れ曲がってさらに長い階段。
かなりハイペースで登って15分で砥石城に到着。
標高差は150mほどでしょうか。
ほぼ空身でしたが、汗が滴り、息が上がり、かなりきつかったです。
いや、これは攻めるのに苦労する城ですわ。
砥石城は木々に囲まれていますが、わずかに上田の町が見えました。
富士山も見えるみたいですね。
砥石城は単独の山城ではなく、米山城、砥石城、本城、枡形城と尾根上に複数の城が連なる複合城郭になっています。
各城が呼応して戦うことで堅い守りを実現したんでしょうね。
砥石城からはもちろん、このまま、本城、枡形城まで行くことができるようですが、今日はここまでにします。
櫓門登山道の入口にあった石碑。
すみません、ちょっとなめてました。
今回の真田の城めぐりはここまで。
真田氏歴史館が閉まっていたのは残念でしたが、これで、上田城、沼田城、名胡桃城、岩櫃城、真田本城、砥石城と、見たかった真田の城は大体見れたのでよかったです。