岩手山山頂からの景色。
西の方を見ると、奥に森吉山。
手前の稜線の右奥の平らな山が八幡平。
そこから左に岩手山まで山々が連なっています。
この稜線には裏岩手縦走路が続いています。


北を見るとはるか彼方に八甲田山の山並み。

この日は風も穏やかだったため、山頂で景色を眺めながらお昼ごはんを食べ、下山開始。
麓に向けてダイブするかのような浮遊感のある道。
いいですねぇ。
振り返ってみた薬師岳。
山肌は赤黒く焼けています。
山頂部は植生を除けば富士山にとてもよく似ているような気がします。
このあたり、東側の斜面にはスコリアが降り積っており、コマクサが咲いてそうな雰囲気。
ですが、コマクサの葉はいくつか見つけたものの、コマクサの咲き残りは見つけられませんでした。
岩手山では日本有数のコマクサの群落が見られるそうで、特に焼走りコースに多く見られるということなので、機会があればまたその時期に来てみたいと思います。
途中、火口縁から火口の中に下りると小さな祠がありました。
岩手山神社奥宮だそうです。
お参りしてから下山します。
祠の傍らにはひっそりとイワギキョウが咲いていました。
下山道との分岐点。
天候にも恵まれいいお山でした。
またいつか。
火口縁から見る不動平。
不動平一帯に広がる緑はハイマツです。
このあたり、ホシガラスが盛んに飛び回っていました。
ホシガラスの姿を追いながら、ゆっくりと歩いていると、目と鼻の先にある標柱のてっぺんに止まりました。
標柱の割れ目にハイマツの実を挟んで固定して、ここで食べているようです。
長く鋭い嘴で実を割って、器用に種をつまみ出しています。
白い斑点模様が星のように見えることからホシガラス。
ハイマツ帯のある山では時々見かけるものの、なかなか近くで見たことがなかったホシガラスを、まさかこんなに近くで見ることができるとは。
なんだか帰り際に素敵な手土産をいただいたようです。
八合目避難小屋まで下りてきて、コーヒータイム。
この日のおやつは盛岡の光原社で買ってきたくるみクッキーです。
こういうナッツの入った焼き菓子、大好きなんですが、これは特に美味しいですね。
栄養価も高くて山のおやつにもピッタリです。
こちらが盛岡市内の材木町にある光原社。
くるみクッキーはこの向かいにあるモーリオというお店で売っています。
岩手山で食べておいしかったので、下山後、お土産用にまた買いに来ました。
光原社は宮沢賢治の「注文の多い料理店」を出版した出版社で、「光原社」という社名は宮沢賢治が名付けたそうです。
今は岩手の工芸品や全国各地の民芸の器などを扱ういくつかのお店が敷地内に同居しています。
こちらの可否館では、おいしいコーヒーとくるみクッキーなどをいただけるそうで、入ってみたかったんですが、それほど広くはない店内にお客さんが何組か入っていたので、コロナ禍の今回は遠慮しました。
材木町の通りに佇んでいた宮沢賢治さん。
マスクを着用して外出するというのがすっかり定着した今。
思いはわかるんですが、もうそろそろ銅像にマスクをかけるのやめてほしいなぁ。
今回は登山メインで観光する時間はほとんどなかったんですが、光原社のほか、下山後に少し盛岡市内を歩いてみました。
こちらは石割桜。
花崗岩の割れ目から幹を伸ばすエドヒガンの古木で、国の天然記念物に指定されています。
「盛岡の桜は石ば割って咲ぐのです。」
壬生義士伝で吉村貫一郎が語る言葉がずっと印象に残っていて、見てみたかった桜です。
そして、こちらは盛岡城跡。
立派な石垣は残っているのですが、久保田城と同様、今は盛岡城跡公園という市民の憩いの場で、あまり城としての魅力は感じられません。
二ノ丸にあった石川啄木の歌碑。
不来方(こずかた)の お城の草に寝ころびて 空に吸われし 十五の心
啄木は中学生の頃、学校を抜け出し、この盛岡城跡で読書に耽り、昼寝をしていたそうです。
本丸跡には主を失った台座。
この台座の上には戦前、南部利祥公の騎馬像が建っていたそうですが、戦時中の金属供出で撤去されてしまったそうです。
石垣は多く残っていますが、天守、櫓、門などの建物は全く残っていない盛岡城。
南西側、腰曲輪の下を歩いていると、現在の位置とは別の場所にあったものを移築してきたものではありますが、彦御蔵という蔵があり、これが唯一藩政時代の建物だそうです。
盛岡市内、北上川にかかる橋の上から見た岩手山。
今日は一日中いい天気でした。
南部片富士と呼ばれるように、左右非対称の独特な山容が印象的な名峰。
こういう雄大な山がどこからでも見える街っていいですね。
話が脱線しましたが、下山も山頂から3時間と快調でした。
標高差1400mが若干不安でしたが、だいぶ脚力が戻ってきたようです。
夏と違って涼しいというのも大きいですね。
歩くのにいい季節になってきました。