ぼちぼち紅葉が始まろうかという東北に遠征登山してきました。
夏の北海道遠征と同様、今回も飛行機+レンタカーで、宿泊はホテルにしました。
大阪(伊丹)空港から秋田空港へ飛ぶANAのボンバルディア DHC8-Q400。
2月に伊丹空港を離発着する飛行機を見ながら、一度乗ってみたいなと思っていたのですが、まさか今年中に乗ることになるとは。
想像以上の機体の小ささ、ターボプロップのエンジン音など、新鮮でした。
乗り心地もそんなに悪くないですね。
また乗ってみたいです。
秋田空港に着いたら、レンタカーを借りて、秋田市内へ。
秋田市にはフェリーで過去3回上陸しているのですが、早朝に着いてそのままどこかへ移動してしまうばかりで観光をしたことがなかったので、寄ってみました。
到着したのは午前11時前。まずはちょうど11時に開店するお店で比内地鶏の親子丼をいただきました。
鶏の旨味が濃くておいしいです。
そして、秋田市に来たなら是非訪れたいと思っていた秋田県立美術館へ。
地元の資産家、平野重吉のコレクションを展示するために建てられたというこの美術館。
ここも安藤忠雄建築なんですね。
この美術館の最大の目玉は、藤田嗣治の「秋田の行事」という縦365cm×横2050cmという大壁画です。
秋田の祝祭と日常、ハレとケを橋を境に左右に配したこの壁画は、平野重吉の美術館建設構想に賛同し、自ら足繁く秋田に通って秋田の風俗を取材・制作したものですが、この大作を制作に着手してからわずか15日間で完成させたというのですから驚きです。
パリで人気を博した、乳白色が印象的な淡い色合いと繊細なタッチの作品とは異なり、力強い印象を受けるこの作品ですが、日本に帰国する前の北米、中南米の旅の影響や、戦争画の時代へのつながりも感じられ、藤田嗣治の画業の変遷をたどる上では欠かせない作品なのではないかと思います。
秋田県立美術館で「秋田の行事」を鑑賞した後は、向かいにある久保田城跡へ。
大手門の堀には花は終わっていましたがハスがみっちり。
久保田城は関ヶ原後に秋田に転封された佐竹義宣が築いた城ですが、石垣はほとんどなく、土塁を盛った城郭になっています。
中土橋から道なりに真っすぐ歩いて行くと、佐竹史料館がありました。
ここには歴代秋田藩主佐竹氏の資料が展示されています。
さらに坂を登り、石段を登ると、再建された久保田城表門が現れます。
その表門の右手前には、久保田城に唯一残存する藩政時代の建物、御物頭御番所がありました。
門の開閉や城下の警備などを行う物頭の詰所だそうです。
表門を通ると本丸跡に出ますが、神社や佐竹義堯公銅像などがぽつんぽつんと建っているだけで、城っぽさは感じません。
本丸には天守があったかどうかもはっきりしていないようです。
現在の久保田城跡は千秋公園として整備され、市民の憩いの場になっているのですね。
北西隅に行くと、御隅櫓がありましたが、これも2階部分までは資料に基づいて復元しているものの、その上にある天守のような部分は、付け加えられた展望室で、当時の姿を現すものではありません。
展望室からの眺め。
遠くに男鹿半島が見えます。
ところで、この久保田城、秋田市の中心部にありながら秋田城と呼ばれないのはなぜなのか?
秋田城という城が別にあるからなんですね。
久保田城跡から北西に5~6kmのところにある秋田城跡は、奈良時代から平安時代にかけてこの地に置かれた地方官庁の跡だそうです。
このような地方官庁の中では最も北にあったことから、秋田城は最北の古代城柵官衙遺跡と呼ばれています。
遺跡なんですが、発掘調査を元にいくつかの建物が復元されています。
こちらは外郭東門と外郭築地です。
この外郭東門から政庁に向けて東大路と呼ばれる幅12mの広い道路が一部復元されています。
政庁内にはいくつかの建物の跡がわかりやすく示されていました。
当時の政庁の様子を復元した模型もありました。
そして、この遺跡で一番興味深いものと言えばこちら。
ブラタモリでも紹介されていた「古代水洗トイレ」です。
トイレの建物から斜め下方向に溝が掘られているのが特徴的。
トイレの内部はこのようになっています。
用を足した後、瓶の中の水を流すわけですね。
写真右下に並べられている木のヘラのようなものはトイレットペーパーのように使ったものと考えられているそうです。
ここにはこんな注意書きも。
前例があったんですかねぇ?
以上、この時期、感染者のほとんど出ていない県ということで、迷惑にならないよう細心の注意を払いつつ観光してみましたが、お店も美術館も城跡や史料館もまったく密でないどころかむしろ疎で、手指消毒や検温などの対策もしっかりやられていたので、少し安心しました。
ただ、日曜日なのにこの人の少なさ、普段からではなく今だからこの状況なんだとすると、経済的にはちょっと心配ですね。