今年の初詣は、元旦に太宰府天満宮に行ってきました。
九州一の初詣客を誇る太宰府天満宮なので、かなりの混雑を想像しながら向かったのですが、朝10時前に行くと、それほど込んでおらず、本殿の前だけが行列していました。
ただ、混雑していてもこの程度なのかと思いきや、2時間後には入口からずーっと長蛇の列が続いていました。
初詣も混雑を避けるなら朝がいいですね。
縁起物には開運の矢をいただきました。
紅白の梅の花があしらわれているところが、めでたくもあり、太宰府らしくもあります。
参拝を済ませたら、令和で話題になった坂本八幡宮、太宰府政庁跡、太宰府展示館にでも寄ろうかと思っていたのですが、太宰府駅から太宰府天満宮へと歩いてくる途中で、「三国志展」の案内を見かけました。
九州国立博物館で開かれているこの展覧会。
元旦も開館しているということで、こちらを観に行くことにしました。
会場に入ると、関羽像がお出迎え。
明の時代に作られたものだそうですが、四天王像や十二神将像のような威厳があります。
各地に関帝廟が建てられて信仰を集めるなど、後世、神格化された関羽らしい造形です。
こちらは関羽と張飛。
一時、曹操のもとに居た関羽が劉備のもとに帰った際、関羽が寝返ったのでは疑ったことを謝る張飛...の図だそうです。
赤ら顔の美髭公、関羽、髯もじゃで豪放な張飛。
清の時代に作られたものだそうですが、日本の三国志を題材にした作品でも、大体、こういうイメージですよね。
こちらは私が三国志で最も好きな武将、趙雲。
長坂坡で曹操軍の追撃を受け、劉備が妻子と生き別れとなった際、劉備の子、阿斗を懐に抱いて、単騎、戦場を駆け抜けて救い出したという、趙雲の最も有名なエピソードを表した木像です。
こうした後世に三国志を題材にして作られたものもいろいろと展示されていましたが、今回の見どころはやはり三国時代やその前後の時代の発掘品かと思います。
こちらは三国志演義で、蓆売りに身を落としていた劉備の祖とされている中山靖王劉勝の青銅の剣だそうです。
こちらは張将軍という涼州の有力者の墓の副葬品の儀仗俑。
董卓配下の武将だった可能性もあるそうですが、ということは張済?張繍?
三国時代の展示品の中の目玉は、2008~2009年に発見された曹操の墓、曹操高陵の副葬品です。
特にこちらの罐。最古の白磁である可能性があるそうです。
こちらは、魏武王、すなわち曹操所用の大戟を表す石の札。
このような”魏武王”の名が刻まれた副葬品目を示す石の札がいくつか発掘されたことが、河南省安陽市にある西高穴2号墓が、曹操の墓であろうと結論付けられたおおきな根拠になっているそうです。
こちらは、呉の都、建業の近くの墓の出土品。
「晋平呉天下大平」と刻まれており、晋が呉を平らげて天下泰平となった、つまり、三国時代の終結を示す貴重な資料なのだそうです。
中国の三国時代というのは、2世紀から3世紀にかけてですが、この時代の出土品からその時代の人物や出来事などが特定できるというのはやはり文字があったからこそ。
同じ時代に日本に存在したとされる邪馬台国がいまだに謎のままなのは、中国で記された魏志倭人伝に記述が見られるのみで、日本国内に文字による記録がないことが大きな要因のような気がします。
時代を超えた情報伝達を可能とする文字の偉大さを改めて感じました。
その他では、コラボ企画として、人形劇三国志、横山光輝三国志、真・三国無双などの展示やグッズ販売なども行われていました。
(こちらは、人形劇三国志の曹操。)
こうした三国志を題材とした作品を通して、夢中になった三国志の世界。
ただ、これまでそれは、元をたどれば、「三国志演義」という書物にはじまる、武勇・知略を駆使した英雄・豪傑・軍師らの活躍、群雄割拠の構図から三つ巴の構図への変遷、様々なエピソードから学ぶ人生訓など、魅力がたっぷり詰まった”物語”としての三国志でしかありませんでした。
今回の三国志展では、初めて三国志のリアルな一面を垣間見ることができたわけですが、あの時代の人物が特定できるような資料が残っているというのが、ただただ驚きでした。
三国志展を観た後は、かさの家で太宰府名物の梅ヶ枝餅を購入。
焼き立ては格別です。