南九州遠征4日目、午前中に韓国岳に登った後、北上し、人吉に寄ってみました。
まず、訪れたのは青井阿蘇神社。
阿蘇という名が付いていますが、阿蘇神社の分霊を勧請して創建された神社なのだそうです。
こちらには熊本県初の国宝に指定された社殿群があります。
鳥居をくぐると現れるのがこの楼門。
茅葺屋根に赤漆と黒漆を組み合わせた塗りや桃山時代の形式と装飾が特徴的で、その独特な存在感に驚かされます。
四隅の垂木には人吉形式と呼ばれる神面が取り付けられています。
こちらは拝殿。
そして、拝殿の背後に続く幣殿、廊、本殿。
国宝に指定されているのは、この楼門、拝殿、幣殿、廊、本殿で、これらの建物は、1610年から1618年にかけて、人吉藩主の相良長毎の命によって造営されたものだそうです。
外観も印象的ですが、内部の装飾などにも特徴があるそうです。
続いて訪れたのは人吉城跡。
どんな城なのか、まったく知らないので、まずは人吉城歴史館を見学。
この日は即位礼正殿の義というおめでたい日でしたので、無料開放されていました。
人吉は、鎌倉時代前期に遠江から下向した相良氏が、以後、明治時代に入るまでの約700年間を統治したそうです。
南北朝時代には、上相良と下相良に分かれて対立し、戦国時代には島津に攻められ、その島津も込みで秀吉に九州を平定され、関ケ原では当初西軍に属するなど、何度も危機が訪れますが、その都度、うまく立ち回り、一族と所領を守り続けたというのは、すごいことだと思います。
相良氏と言えば、「信長の野望」を島津でプレイする時に真っ先に攻め滅ぼす大名でしたが、ちょっと失礼なことをしていましたね。
また、人吉城は「三日月城」や「繊月城」という別名があるそうなのですが、その由来となった三日月文様のある「繊月石」も展示されていました。
この人吉城歴史館、人吉城の歴史を紹介する施設なのですが、発掘調査で人吉藩の家老相良清兵衛の屋敷跡から見つかった用途不明の謎の地下室の上に建てられており、その地下室も見ることができます。
かつての城の敷地内では今も発掘調査が行われており、またさらに珍しいものが見つかるかもしれませんね。
さて、相良氏と人吉城についてさらっと学習した後は、人吉城を散策します。
まず、この特徴的なのは、この「はね出し石垣」。
元々は石垣の上に細長い蔵があったのだそうですが、火事の後の石垣工事で設置されたものです。
お台場や五稜郭など、西洋式の城郭に用いられたもので、日本式の城郭の石垣に用いられたのは、人吉城が唯一の例なのだそうです。
本丸や二の丸に登るための唯一の門、御下門跡。
古城的ないい雰囲気です。
苔むしたきれいな算木積みの石垣も風情があります。
三の丸と二の丸の間にある中御門跡。
二の丸には立派に成長した木々が立ち並びます。
城として使われなくなってからの年月の経過が感じられます。
二の丸からの眺め。
それほど高さがなく、天守閣もないお城なので、絶景というほどではありません。
そして本丸。
といっても、天守閣は建てられず、護摩堂などいくつかのお堂などが建てられていたということで、城の中心は御殿が建てられていた二の丸だったそうです。
はね出し石垣とは反対の方向に下りてくると、県指定文化財に指定されている御館御門橋がありました。
この奥は今は相良神社になっていますが、かつては城主の御館があったそうです。
その名残でしょうか、庭園もありました。
当時の建物はまったく残っていない人吉城ですが、この多門櫓や角櫓が復元されていました。
人吉で散策したのは青井阿蘇神社と人吉城跡のみですが、人吉と言えば球磨焼酎。
青井阿蘇神社の近くのお店で2本買って帰りました。
球磨焼酎には大きく分けて常圧蒸留と減圧蒸留という2つの製法があるのですが、以前、減圧蒸留のものは飲んだことがあるので、今回は常圧蒸留のものでほどほどの価格のものを選んでみました。
まだ飲んでいませんが、特にこの「人吉5年エクストラブレンド」はウヰスキーのような米焼酎ということで、ビンもラベルもウヰスキー風で興味津々です。
人吉を散策した後は、翌日、九重に向かうため、さらに阿蘇まで北上。
「阿蘇あか牛レストラン藤屋」であか牛ハンバーグを食べ、
阿蘇・内牧温泉に入って、この日の行動は終了。
今回、阿蘇山にも登りたかったのですが、つい先日噴火したばかりで噴火警戒レベル2となっているため、断念。
夕暮れ時、阿蘇に向かう途中、熊本市内から見た阿蘇山はかなり噴煙が上がっていましたし、この日は阿蘇駅前の道の駅で車中泊をしたのですが、翌朝、車にうっすらと火山灰が降り積もっていました。
南九州の火山群は活発な状態が続いていますが、今後が気になりますね。