福島遠征3日目の10月5日。
早朝、猪苗代の道の駅から見た磐梯山の頂は雲の中。
周りを見渡しても雲多めの空模様ですが、雨が降りそうな感じでもないので、磐梯山に登ることにしました。
と、その前に前夜、道の駅で情報収集していて気になっていた土津(はにつ)神社に寄って行きます。
猪苗代町の磐梯山の麓にあるこの神社は、会津藩祖保科正之公を祀る神社です。
土津というのは、保科正之公に奉られた霊号で、亡くなる年にすぐそばにある磐椅神社に参拝した時に、磐椅神社の末社として神に仕え、会津を守りたいという思いで、自分が亡くなったらこの地に埋めるよう遺言を残し、その遺言どおりに創建されたのがこの土津神社だそうです。
土津神社の現在の社殿はごく普通の神社といった感じですが、創建当時は”東北の日光”と呼ばれるほど荘厳な社殿だったそうです。
元の社殿は戊辰戦争の際に火を放たれ、残念ながらすべて焼失してしまったそうです。
拝殿の横から玉石が敷き詰められた道を500mほど奥へと歩くと、
奥の院があり、保科正之公はこちらに埋葬されています。
墳墓の頂には土津神墳鎮石が据えられています。
名君として今も会津の人々に敬われている保科正之公はこんな場所に祀られていたのですね。
たまたま知って、訪れることができてよかったです。
境内には保科正之公のドラマ実現を嘆願する署名簿があったので、私も署名しておきました。
土津神社にお参りした後は、磐梯山の裏へとぐるりと回り、裏磐梯スキー場から磐梯山に登ります。
お、山頂は存外に晴れています。
スキー場のゲレンデの原っぱを登って行くと、いよいよ本格的な登山道。
右から登るか左から登るか、道は二手に分かれますが、左から登ることにします。
出だしは鬱蒼とした森の中を行きます。
このあたりは130年前の磐梯山の大噴火で山体崩壊した跡地。
巨木といわれるほどの大きな木こそありませんが、それでもたった130年でこんなに濃密な森になるなんて、生命の力はすごいです。
おいしそうなイチゴ。
このあたりには白玉の森といってもいいくらいシラタマノキがたくさんありました。
しばらく登ると森が明るくなり、こんな荒涼とした場所に出てきます。
どういったわけで森と荒地が入り交じっているのでしょうね。
右手には噴火で山が吹き飛んだあとに残った崖がどーんと見えます。
外輪山のようにも見えますね。
荒地を過ぎると、再び森に入りますが、このあたりから、先ほど見た崖のような斜面に取り付く感じになるのでしょうね。
急登がはじまります。
階段、そして両脇に鉄製の手すり(?)が現れるこのあたりは、かなりの急登です。
これは下りには利用したくない道ですね。
膝にきそうです。
ちなみにここまでのルート、山と高原地図では破線ルートになっていましたが、こういう急登はありますが、他には大きな倒木が一本あっただけで、特に危険と思われる箇所は見当たらず、どういうわけで破線なのかよくわかりませんでした。
急登を登っているとやがてガスが出てきて視界が悪くなってきましたが、気が付くと周りの木がなくなり、稜線に出てきました。
風もまあまあ吹いていて、ちょっと寒いくらいです。
これから稜線歩きになりますので、上着を羽織ります。
と思ったら、少し歩くとガスも晴れ、山頂も見えてきました。
風も穏やかになり、着たばかりの上着を脱ぎます。
眼下の風景も見えてきました。
目の前には山体崩壊のあとの崖があり、その下には岩なだれの跡地が広がっており、噴火によって誕生した銅沼(あかぬま)もあります。
水量やや少なめのようですが、水の色といい、土の色といい、不思議な色合いです。
振り返ると磐梯山と並び立ち、双耳峰のような山容を形作っているもう一つのピーク、櫛ヶ峰が見えます。
ガスの帯がありますが、先ほどガスっていたあたりがまさにあそこ。
ガスの通り道になっていたんですね。
稜線を歩き、最後もう一登りすると、山頂下にある弘法清水小屋に到着。
小屋の横にはその昔、弘法大師が杖を突いたら水が湧き出したという伝説の残る弘法清水があります。
もちろん、喉を潤します。
これが、ものすごく冷たくておいしい。
今まで飲んだ湧水の中でも最大級においしい水でした。
山頂で淹れるコーヒーのためにボトルにも汲んでいきます。
その弘法清水の脇の分岐を登ること25分で山頂です。
もうひと頑張りしましょう。
(2)へつづく...