白山に登った後、一旦、小松に出て一泊し、翌日、改めて白山方面へ。
その途中、ちょっと面白そうな道の駅を見つけたので寄ってみました。
道の駅「一向一揆の里」。
そういえば、北陸は一向一揆の中心地でしたね。
こちらの道の駅には「白山市立 鳥越一向一揆歴史館」という施設があり、16世紀、この地で繰り広げられた一向一揆の歴史を紹介しています。
15世紀末、本願寺の8代法主蓮如が吉崎に居住したことを機に、北陸に念仏の教えが一気に広がり、一向宗の坊主と国人らが農民である門徒を率いて起こした加賀一向一揆により、守護富樫氏が攻め滅ぼされます。
それ以降、約100年にわたってこの地は加賀一向宗徒によって「百姓の持ちたる国」として支配されてきましたが、大阪において織田信長との間で繰り広げられていた石山本願寺合戦が終結し、北陸の地も信長の配下である柴田勝家によって平定され、加賀一向宗徒による自治の時代は終焉します。
この一向一揆の里は、鈴木出羽守らが最後まで徹底抗戦を続けた鳥越城のすぐそばにあります。
歴史館を出て、正面に見える山の上にかつての鳥越城があったそうです。
鳥越城跡へは、本丸のすぐそばまで車で行くことができ、遺構や一部復元された建物が見られるということなので、行ってみることにしました。
復元された枡形門。
そして、櫓付きの本丸門。
周囲は土塁で囲まれており、中世の山城の雰囲気が再現されています。
本丸跡には、かつての建物の痕跡。
足元にはネジバナがたくさん咲いていました。
かつて、戦いに散っていった一向宗徒たちの魂がゆらゆらと立ち上っているようにも見えます。
手取川と大日川に挟まれた舌状台地の先端に築かれた鳥越城。
本丸跡からは手取川流域がよく見渡せます。
本丸の外側にも柵や屯舎や中の丸門が復元されています。
大日川方向を見ると、対面に山が見えますが、あちらにも二曲城(ふとげじょう)という城があったそうです。
鳥越城の登り口近くにあったレリーフ。
「一揆敗れて山河あり」とあります。
一向一揆の戦いでは、捕らえられた多くの一向宗徒が手取川の河原で磔に処されたそうですが、こういうレリーフに刻まれると、十字架にかけられたイエス・キリストのイメージと重なるのか、悲壮な殉教の戦いであったことが、少しリアルに感じられます。
たまたま見つけてふらりと立ち寄っただけなのですが、思いがけず歴史の勉強ができました。