高梁から山間に入り吹屋まで足を延ばしてみました。
江戸時代から明治にかけて銅山とベンガラ生産で栄えた吹屋。
石州瓦とベンガラ色の町家が建ち並ぶ町並みは、石見銀山のある大森の町並みよりもなお一層赤味がかっていて他にない独特な景観を生み出しています。
こちらは重要文化財の旧片山家住宅。
二階をなまこ壁で仕上げるなど意匠を凝らした町家は、弁柄生産で栄えた商家の暮らしぶりを今に伝える貴重な建物となっています。
主屋の奥の弁柄蔵には弁柄生産に関する資料なども展示されていましたが、緑礬を原料とする当時の製法はほとんど手作業で相当な時間と手間がかかっていたようで、また、道具も衣服も手も赤く染まるため、赤着という作業着を着て作業をし、必ず風呂に入ってから帰るというふうにしていたほど、過酷な作業環境だったようです。
町のはずれには、弁柄生産とともに吹屋を潤した吉岡銅山の守り神、本山山神社があります。
鳥居の扁額に三菱のマークがあります。
玉垣にも三菱マークがあります。
これらは吉岡銅山が明治時代に三菱鉱業の経営に移った後に寄進されたものだそうです。
本山山神社は高台にあり、吹屋の町並みの石州瓦がよく見えます。
吹屋は備中なのに、なぜ石見(今の島根県)の石州瓦なのかが不思議だったのですが、それは富を得た吹屋の町屋衆が、当時全国に名を知られていた石見の宮大工を招き、石州瓦の職人を住まわせてこの地で瓦を作らせ、石州瓦にベンガラ色の町家という町並みを作り上げたからなのですね。
吹屋の町並みから少し離れたところには、吉岡銅山の笹畝坑道があり、内部が見学できるようになっています。
ここでは黄銅鉱や磁硫鉄鉱が産出されたそうです。
江戸時代の採掘は手掘りで、産出された鉱石は、馬の背に乗せて運び、途中から高瀬舟で玉島港へ行き、海路で大阪へと運ばれたそうです。
最奥部は、日本酒の貯蔵庫になっていました。
笹畝坑道からさらに行くと、お城のような立派な石垣の広兼邸があります。
こちらも片山家などと同様、弁柄生産で富をなした家ですが、映画「八つ墓村」のロケに使われたことでも有名のようです。
吹屋にはもう一つ、有名な建物、旧吹屋小学校がありますが、残念ながら保存修理中でした。
今はもう弁柄生産は行っていない吹屋ですが、町並みの中にはベンガラ染めなどを扱うお店がいくつかありました。
しかし、何かよいものがあればと物色してはみたものの、特に心惹かれるものはありませんでした。
どうも私にとっては身の回りに置きたいような好みの色ではないようです。
でも、このベンガラ色の町並みの景観は素晴らしいです。