備中松山城を訪れたあと、その麓、高梁の町を少しだけ散策してみました。
まずは紺屋川美観地区。
この川沿いの道は「日本の道百選」にも選ばれており、散りはじめではありましたが、桜がきれいでした。
紺屋川の少し北側には武家屋敷が並ぶ石火矢町ふるさと村があり、2軒の武家屋敷が見学できるようになっています。
ここも雰囲気のいい通りです。
そして頼久寺。
こちらには小堀遠州が作庭した蓬莱式枯山水庭園があります。
愛宕山を借景し、白砂敷の中央に鶴島、奥に亀島を配し、左側にはサツキの刈り込みで青海波を表現しています。
小堀遠州は、関ケ原後に備中国奉行となった父正次の後を継いで一時この地を治めていたそうで、この頼久寺の庭園を手掛けたほか、備中兵乱で荒れた松山城の再建も手掛けたのだとか。
あと、紺屋川沿いには新島襄が訪れたことをきっかけに明治22年に建てられたという高梁基督教会堂もありました。
小堀遠州にせよ新島襄にせよ、高梁に関わっていたというのが意外でしたが、その他にも、尼子家再興に奔走した山中鹿之助が謀殺されたのもこの高梁だそうで、高梁川のそばにその墓があるそうです。
また、幕末には藩政改革を断行して財政を立て直し、戊辰戦争でも藩を窮地から救った山田方谷という優れた学者も輩出しており、大河ドラマ放映を求める運動を起こすなど、地元ではかなり推しているようです。
全国的な知名度は低く、私もよく知りませんが、長岡藩の河井継之助が教えを請いにわざわざ訪れたほどの人物ですので、ちょっと興味が沸いてきました。
司馬遼太郎の「峠」でも読んでみますか。