姫路城で桜を観た後、さらに足を延ばして、赤穂城跡に行ってみました。
赤穂城は藩主浅野長直の命により、1648年から13年かけて築城されたもので、近藤正純が甲州流軍学に基づいて設計した縄張りは、近世城郭としては珍しい変形輪郭式の海岸平城となっているそうです。
こちらはその大手門と大手隅櫓。
ともに再建したもので、大手門は高麗門のみが再建されています。
赤穂城と言えば、忠臣蔵でお馴染みの赤穂四十七義士ゆかりの城。
大手門を入ったところには、大石神社があります。
大石内蔵助を筆頭に赤穂四十七義士を祀る神社で、明治に入って創立したものだそうです。
参道の両脇には大石内蔵助をはじめ、
四十七義士の石像がずらりと並んでいます。
二之丸に入ると、大石頼母屋敷門があり、その奥には近年発掘され、復元整備中の二之丸庭園が見えます。
そして本丸門。
こちらは高麗門と櫓門が再建されており、枡形が復元されています。
本丸に入ると左手奥に天守台があります。
ですが、ここに天守は建てられなかったそうです。
天守台から見た本丸。
向かって左側には大池泉を中心に据えた本丸庭園が広がり、右側には本丸御殿があったそうです。
二之丸にも庭園、本丸にも庭園と御殿。
縄張りは戦を意識したものであっても、中は宮殿のような雰囲気です。
本丸のもう一つの入口、厩口門(再建)から外に出ます。
この厩口門のあたりは、変形輪郭式の特徴なのか、門と石垣の角度が真っすぐでも直角でもないところが面白いです。
この変則的な城郭のせいなのか、城の中を歩いていても、時々方角がよくわからなくなります。
さて、姫路城では桜が満開でしたが、赤穂城跡もやはり満開でした。
ただ、遠方から桜を観に来ているというような人は少なく、地元の方がのんびりと花見を楽しむ憩いの場という感じのようです。
赤穂で桜といえば、ここよりも赤穂御崎公園なのかもしれませんね。