苗木城跡を見たら、こちらも見たくなり、恵那山に登った後に立ち寄ってみました。
岩村城跡です。
こちらは藩主邸跡に復元された太鼓櫓。
本丸まではこの先の登城口から800mほど歩く必要があります。
岩村城は、日本百名城の一つに数えられ、大和高取城、備中松山城とともに日本三大山城にも数えられる城です。
それゆえ、登城口から緩やかではありますが、ひたすら坂道を登って行きます。
しばらく登ると、石垣があらわれます。
岩村城といえば、織田と武田が勢力を争った城としての印象が強いのですが、今見られる石垣の遺構は、織田が武田から奪還した後に改造した城郭をベースに、江戸時代を通じて改修・改築してきたものですので、織田と武田が争っていた当時の城の姿に思いを馳せるのはなかなか難しいみたいですね。
江戸時代には、こういう石垣をベースにして門、櫓、橋などがあったそうです。
木立に囲まれ、イメージしにくいですが、説明の看板にはQRコードが付いており、これを読み取るとCG映像で当時の建物の姿が見られるそうです。
こうした石垣がずっと続き、かなりの奥行き感があります。
そして、これらの石垣の中でも、もっとも重厚で迫力があるのは本丸の下、六段壁という石垣です。
もとからこうであったわけではなく、崩落を防ぐために下段に石垣を付け足してこのような形になったそうです。
六段壁を上がり、長局埋門を通れば本丸です。
何もないです。
広場のところどころに大きな木が生えているところなどは、どことなく高取城の本丸に似ています。
主を失ってそれだけ年月が経っているということの証ですかね。
城下町方向は、ほとんど眺望ないですね。
こちらは恵那山の方角でしょうか。まずまず見晴らしがよいです。
武田はあの山々を越えて侵攻して来たのでしょうね。
そして、ここから尾張、美濃へ睨みを利かすと。
信長にとっては、さぞかし目障りだったことでしょう。
その思いが、ああいう仕打ちになったのでしょうね...(後述)
さて、岩村城跡に向かう途中で気になったのは岩村城の城下町。
岩村城跡を見た後、散策してみました。
古い街並みが保存されていてなかなかいい雰囲気です。
ただ、時間が遅かったので、多くのお店が閉まっていました。
こういうところなら必ずあると思われる雰囲気のいい喫茶店、あるいはカフェで、コーヒーでも飲みたかったんですが、残念です。
辛うじて開いていたこちらの松浦軒本店で、ポルトガル伝来の製法を守り続けているという伝統菓子「カステーラ」を買って帰ったのですが、いまどきのカステラとはちょっと違う、素朴な味わいで美味しかったです。
この城下町を歩いていると、所々に「女城主の里」というのぼりが掲げられていました。
岩村城は、1571年に城主であった遠山景任が病没し、養子として迎えていた織田信長の五男御坊丸がまだ幼かったため、景任の妻であったおつや(織田信長の叔母)が実質的な城主としてこの地を治めたそうです。
その後、岩村城は武田方の武将、秋山虎繁に攻められ、おつやが敵将である虎繁の妻となることで無血開城します。
しかし、長篠の戦いで武田軍が大敗した後、今度は織田軍に攻められ、虎繁の命を保証するという約束をとりつけて開城しますが、信長はこの約束を反故にし、虎繁とおつやを処刑したのだそうです。
今年の大河ドラマは「女城主直虎」ですが、こちらもドラマ性、特に悲劇性では負けていませんね。
「女城主の里」をアピールしたいのもわかる気がします。
私もおつやを支持したいです。