馬篭宿を下から上へと歩いて行きます。
馬篭宿に入るとすぐに道が90度左に折れ曲がり、そしてまたすぐに90度右に折れ曲がっています。
今は右側に緩やかに右に曲がりながら登っていくスロープ状の道が付いていますが、当時は切土の左側の道だけだったそうです。
このような形状の道は枡形と呼ばれ、城郭建築の枡形を模したものなのだそうです。
江戸時代の宿場町にはこのような枡形が設けられ、軍事的な目的をも併せ持っていたのだとか。
枡形の角にある水車小屋はミニ発電所になっており、小屋の内部には発電設備や昔ながらの囲炉裏のある部屋などが公開されていました。
馬篭宿の町並みは、明治、大正と二度の大火に見舞われ、江戸時代の建物はほとんど焼失してしまったそうです。
ということは、現在の町並みは復元された町並みということになります。
鉄道や国道が開通し、街道の宿場町としての役割を終え、火災を機に廃れていってもおかしくなかったと思うのですが、よくぞここまで復元したものだと感心します。
建物や町並みだけでなく、こうした昔ながらの生活道具・設備がさりげなくそこにあり、そういうものを見つけながら歩くのも楽しいものです。
馬篭宿は坂に沿って作られた宿場町ゆえ、眺望もいいです。
坂を登り、振り返れば、中津川の町までも見渡せます。
馬篭宿の町並みの中には学びの施設もあります。
こちらは馬篭出身の文豪・島崎藤村の作品と生涯をたどる藤村記念館。
そして、こちらは馬篭脇本陣史料館。
復元された脇本陣の上段の間や当時使用していた家財や什器などが展示されているそうです。
史料館の入口には木曽の五木、こうやまき、さわら、ひのき、あすなろが植えられていましたが、こうやまき以外は違いがよくわかりません。
この五木、この地を治めていた尾張藩が伐採を禁じた木で、掟を破ると死罪に処せられたそうです。
馬篭宿の入口から600mほど登ると、陣場というところに出ます。
馬篭宿はこのあたりまで。
ここには高札場があります。
これもひとつひとつ読んでみると、時代があらわれていて、なかなか興味深いものです。
高札場から少し登ると、展望所があります。
ここにも島崎藤村の「心を起こさうとおもはば先づ身を起せ ニイチエの言葉より」の碑があります。
近くにはナツツバキが少し咲いていました。
ここからも中津川方面、そして恵那山の雄大な姿がよく見えます。
今日は晴れてはいますが、少し周りに雲が多そうですね。
さて、馬篭宿のお店を覗いたりするのは後回しにして、先に妻籠宿に向かいましょうか。
(3)へつづく。