中山道(落合~馬篭~妻籠)を歩く(1) | Archive Redo Blog

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DBエンジニアのあれこれ備忘録

 

恵那山に登ろうと夜中に車を走らせて中津川までやってきました。

 

が、寝不足のまま山に登るのはきついですし、翌日の方が天気もよりよさそうだったので、まずは、馬篭宿に向かい、足慣らしも兼ねて中山道を歩いてみることにしました。

 

このあたりの中山道はハイキングコースとして整備されており、歴史を感じながら気軽に歩くことができます。

 

 

 

馬篭宿と妻籠宿の間を歩くのが一般的なようですが、馬篭の手前、落合宿と馬篭宿の間にある落合の石畳が昔の街道の風情が感じられていいとのこと。

 

ということで、馬篭から中津川駅行きのバスに乗って木曽路口まで下り、ここから歩くことにしました。

 

横断歩道を渡って、左奥の方向に下っていくのが中山道です。

 

 

 

 

小さな集落を過ぎると道が二又に分かれていますが、どちらも(新旧の)中山道だそうです。

 

江戸時代、何度か道の付け替えが行われたようで、最終的にはこの左手の道に落ち着き、今も左手の道がハイキングコースになっています。

 

 

 

道の付け替えの要因ともなった落合川を渡り、

 

 

 

これまた道の付け替えの要因となった十曲峠を登って行くと、

 

 

 

山中薬師(医王寺)があります。

 

ここの御本尊は行基作と伝えられる薬師如来だそうで、三河の国の鳳来寺、可児郡御嵩町の蟹薬師(願興寺)と並んで三大薬師の一つなのだとか。

 

 

 

境内の泉水のほとりには芭蕉の句碑がありました。

 

梅が香にのっと日の出る山路かな

 

”のっと”という表現がいいですね。

 

 

 

さらにしばらく歩くと、落合の石畳の入口です。

 

 

 

十曲峠を歩きやすくするために敷かれたという石畳。

 

尾張徳川家による普請で、当時は3.7km続いていたとのことですが、現在の全長は840mほど。

 

 

 

そのうち、往時のまま残っているのは三ヶ所、わずか70mあまりだそうですが、この苔むした石の多いあたりがそうでしょうか?

 

 

 

ただ、復元している部分もよく見てもさほど違和感がないので、十分に往時の雰囲気を味わえるような気がします。

 

 

 

落合の石畳を登り切ると新茶屋です。

 

 

 

ここには一里塚の古跡があります。

 

 

 

そして、島崎藤村揮毫の「是より北 木曽路」の石碑。

 

 

 

ここはかつて美濃と信濃の国境だった場所。

 

この先の馬篭宿は今でこそ岐阜県中津川市ですが、かつては信濃の国、明治以降も長野県に属していました。

 

実際、信州のイメージが強いですが、それもそのはず、岐阜県になったのは2005年の越県合併の時、つい最近のことです。

 

 

 

新茶屋にも芭蕉の句碑がありました。

 

送られつ送りつ果は木曽の秋

 

門人の越智越人を伴い、姨捨山の月見と善光寺参りを兼ねて中山道を旅した時に詠んだ句で、この旅の様子は更級紀行という紀行文に残されているそうです。

 

 

 

新茶屋から少し進んだところには正岡子規の句碑もありました。

 

桑の実の木曽路出づれば穂麦かな

 

 

 

この句碑のある場所は展望所になっており、中津川方面が望めます。

 

子規は中山道を西へ歩いたようで、このような開けた景色を見て、厳しい木曽路を抜け、美濃路へと入る安堵感のようなものが表れているような気がします。

 

 

 

のどかな田園風景の中、荒町を過ぎると、

 

 

 

島崎藤村の父、島崎正樹翁記念碑、

 

 

 

諏訪神社、

 

 

 

馬篭城跡などがあり、

 

 

 

右手に恵那山を眺めながら、

 

 

 

石屋坂を登れば、

 

 

 

馬篭宿に到着です。

 

ここまで、約4km、標高差およそ150m。

 

舗装道路と石畳で歩きやすく、写真を撮ったり、案内板の説明を読んだりしながら、ゆっくり歩いて1時間20分ほどの道程でした。

 

(2)へつづく。