山中城跡散策 | Archive Redo Blog

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DBエンジニアのあれこれ備忘録

 

金時山に登った後、箱根の観光名所はどこも人が多そうだったのでスルーして、国道1号線で箱根峠から三島方面へ下ったところにある山中城跡に寄ってみました。

 

 

 

山中城は戦国時代、小田原を本拠とする北条氏の西の防衛拠点として築城された山城で、豊臣秀吉の小田原征伐時に十七倍の兵に包囲され、わずか半日で落城した城だそうです。

 

昭和48年に発掘調査が行われ、現在はその遺構を活かした史跡公園になっています。

 

 

 

山中城跡の一番の見どころは掘。

 

駐車場から三ノ丸堀に沿って進むと、西ノ丸という曲輪の土塁の下に畝掘といわれる掘が現れます。

 

堀底を畝で区切り、敵の侵入を妨げるもので、北条氏の城に多く見られるの特徴的な掘の構造です。

 

小田原城にもこのような掘があったそうです。

 

 

 

さらに独特なのは不規則な格子状の畝で区切られた障子掘。

 

畝掘にしても障子掘にしても今はきれいに芝生が植えられていますが、当時はローム層がむき出しですべりやすかったそうです。

 

細くて滑りやすい畝の上を進んだり、乗り越えたりと、動きに制約を受けつつ、降り注ぐ矢玉を避けて曲輪に攻め上がるのはなかなか大変そうです。
 

また、山城の堀は普通空堀ですが、この畝掘や障子堀は畝を利用して水を溜め、用水池としても利用していたそうです。

 

 

 

曲輪もたくさんあります。

 

こちらは西ノ丸から見た西櫓。

 

西ノ丸と西櫓は障子掘をまたいで架けられた橋で結ばれていて、西櫓は攻撃に出る際の拠点、馬出として機能したとのこと。

 

 

 

二ノ丸から見た元西櫓と西ノ丸。

 

西櫓、西ノ丸、元西櫓と西から東へと曲輪が連なり、元西櫓から橋を渡ると二ノ丸です。

 

 

 

二ノ丸には虎口も設けられていたようです。

 

 

 

二ノ丸は最も広い曲輪で、やや南側に傾いた作りになっています。

 

 

 

二ノ丸と本丸の間にある本丸西掘も畝で区切られており、二ノ丸側には土塁に沿って犬走りが設けられています。

 
 

 

本丸は二ノ丸に比べて少し手狭。

 

 

 

本丸の奥の一段高くなったところは天守櫓跡があり、ここには井楼、高櫓が建てられていたと推定されるそうです。

 

 

 

さらに本丸の北側には北ノ丸もあり、南側には兵糧庫や弾薬庫もあったそうです。

 

 

 

駐車場に戻って、道の反対側に行くと、こちらにも岱崎出丸という出丸があります。

 

右手に伸びる石畳の道は箱根旧街道です。

 

 

 

こちらはその先端にあるすりばち曲輪。

 

 

 

岱崎出丸にも畝掘があります。

 

 

 

この岱崎出丸は豊臣秀吉の小田原征伐に備えて、増築を開始したものの戦には間に合わわなかったようで、このように構築途中と思われる曲輪跡なども見つかっています。

 

 

 

岱崎出丸を歩いていると、芝生の上をチョンチョンと跳ぶ鳥を発見。

 

茶色くて目の周りが白い見たこともない鳥。

 

ハンディ図鑑にも載っておらず、日本の鳥ではなさそうに見えましたが、後で調べると中国や東南アジアに生息するガビチョウという鳥のようで、特定外来生物に指定されているそうです。
 
 

 

山中城跡は西に備える山城だけあって西側の眺望がよく、西櫓や岱崎出丸からは愛鷹山とその右奥には富士山も見えます。

 

 

 

また、季節ごとに色々な花も楽しめるようで、今の季節はツツジやマツバウンランがきれいです。

 

入場料もいらないので、城にさほど興味はなくとも、散歩コースとしてもいいですね。

 

 

 

意外に広かった山中城跡。全体像はこんな感じです。

 

結局、2時間近くウロウロ歩き回りましたが、地図も持たずに適当に回ったら、三ノ丸などいくつか見逃がしてしまいました。

 

建物や石垣はありませんが、なかなか見ごたえのある城跡です。

 

さすが日本百名城に数えられるだけのことはありますね。