東北からの帰路、北陸自動車道上越ICで降りてちょっと寄り道。
やってきたのは前から気になっていた春日山城跡。
戦国武将、上杉謙信公の居城です。
こういう機会でもないと、なかなか訪れることもないところなので、寄ってみました。
春日山神社下の駐車場から石段を登ってまずは春日山神社へ。
春日山神社は、明治時代になって旧高田藩士小川澄晴が浄財を募り創建した神社で、米沢神社から分霊された上杉謙信公を祀る神社だそうです。
春日山神社の左手に少し行くと、上杉謙信公の銅像があります。
そして、右手に行くと本丸、天守台への道です。
千貫門の跡や、土塁や空堀などの山城らしい遺構をみながら、登って行きます。
途中、二の丸に向かう道と分かれていますが、7月の大雨で土砂崩れが起きたとのことで、通行止めになっていました。
結構大きく崩れていますので、遺構にも被害が出ていそうです。
さらに登ると、上杉家に家老として代々仕えた重臣、直江家の屋敷跡と伝えられる場所がありました。
敷地が三段に分かれており、上杉家の中で重要な地位にあったことを窺い知ることができます。
さらに登ると、謙信公が戦勝を祈願したという毘沙門堂や、
護摩堂跡などがありました。
謙信公が祈ったり、籠ったりする場所として、大河ドラマなどでもお馴染みです。
頂上には本丸跡、
そして天守台跡。
ここからは上杉家が支配したかつての越後府中(直江津)や周辺の山々、日本海がよく見えます。
この地に城を築いた理由がよくわかります。
山城で問題になるのは水の確保ですが、本丸から一段下がったところに、今でも水を湛える大井戸があり、その点でも城に適した立地であったようです。
不思議なのは、山の頂に水が湧いているということですが、春日山の西方の山とつながっていてサイフォンの原理で水が湧いているのでないかと考えられているそうです。
これも同じ水源なのでしょうか、春日山城の大手道入口近くには「謙信公出陣御前清水」という湧水がありました。
春日山城の本丸へは先ほど春日山神社から登りましたが、逆方向も道があり、こちらのほうが大手道ということになっています。
大手道はこのように一部が復元されており、しばらく歩くと番所跡と伝えられる場所があり、
ここからは春日山城本丸がよく見えました。
今は木々に葉が生い茂ってわかりにくいですが、秋の終わりや春のはじめが見頃だそうです。
春日山城の麓の上越市埋蔵文化財センターでは、「越後上越 謙信公と春日山城展」という企画展が行われていました。
謙信公、春日山城、上杉家を中心とした戦国時代の歴史などを紹介するなかなか充実した展示内容で、しかも入場無料。
上杉家や春日山城についてより深く知ることができますので、是非立ち寄るべきかと思います。
春日山城史跡広場にある春日山城跡ものがたり館も小規模ですが同じような施設で、こちらも入場無料でした。
また、この春日山城史跡広場は、元々監物掘という総構えの堀があった場所で、堀や土塁の一部が復元されていました。
こちらは上越市埋蔵文化財センターに展示されていた春日山城の絵図の1つ。
中央下部に描かれたクランク状になっている部分が監物掘です。
春日山城には天守閣の印象もなかったのですが、この絵図を見ると御殿のような建物があるのがわかります。
こうしてみると、かなりの規模の城であったようですね。
そして、上杉謙信公ゆかりの地として外せないのは林泉寺。
謙信公の祖父、長尾能景が創建した長尾家(上杉家)の菩提寺で、幼少の頃の謙信公が修行したお寺です。
山門に掲げられている「春日山」、
「第一義」の大額は謙信公揮毫のものなのだそうです。
(現在掲げられているものは複製で、現物は宝物館に展示されていました。)
本堂左手奥には墓所があり、この上杉謙信公の墓のほか、上杉家の後にこの地を治めた、堀氏や榊原氏の墓、川中島戦死者供養塔などもありました。
以上、春日山城跡やその周辺をさらっと巡ってみましたが、林泉寺以外はすべて無料なんですね。
戦国武将でも人気の高い上杉謙信公ゆかりの地ですし、整備や維持管理にもお金をかけているのでしょうから、もう少しお金を取ってくれてもいいのにと、ちょっと申し訳ない気分になりました。