山形市街から車で30分ほど走り、山寺(立石寺)にやってきました。
立石寺は慈覚大師円仁が開いた天台宗のお寺です。
(慈覚大師の東北での影響力は絶大ですね。)
しかし、今はこちらの方で名を知られるお寺かと思います。
閑さや 岩にしみ入る 蝉の声
松尾芭蕉が奥の細道で詠んだ有名な句です。
こちらは共に旅をした門人の曽良。
奥の細道のゆかりの地には、必ずと言っていいほどある芭蕉の句碑や銅像ですが、曽良さんが共に居るのはレアかもしれません。
鐘楼と山門。
登山口から奥之院までは1015段の石段を登らなくてはなりませんが、山門を潜ると本格的な登りがはじまります。
山をたしなむ人にとっては、なんてことのない段数ですが、足腰の弱い方にとっては結構大変かと思います。
大きな杉の木越しに見えるそそり立つ岩盤。
有名な五大堂はこの百丈岩と言われる岩盤の上にあります。
芭蕉があの句の着想を得たのはこのあたりではないかと言われているそうです。
もう蝉が騒がしく鳴くという季節ではありませんが、遠くからミンミンゼミが一匹鳴いているのが聞こえました。
杉林の間を縫うように石段を上がっていくと仁王門があらわれます。
仁王門より上には支院が立ち並び、一番上まで上り詰めると奥之院です。
奥之院(如法堂)の隣には大仏殿があり、座高5メートルの金色の阿弥陀如来像が安置されていました。
奥之院からの帰り道、脇道にそれると、華蔵院という支院があり、その横の岩窟に重要文化財の三重小塔がありました。
格子戸越しでよく見えないのですが、一般的な大きさの塔と同じように組み上げられた日本一小さな三重塔というのが貴重なのだそうです。
三重小塔もそうですが、立石寺にはほかにも弥陀洞やこの胎内堂など、岩場を様々な形で信仰の場として利用しています。
こういう場所であるからこそ、御仏の世界に近づけるという思いがあるのでしょうね。
戦国時代から江戸時代にかけて山形を治めた、最上義光公の御霊屋もありました。
山形にとっては偉大な領主だったのですね。
こちらは開山堂(右)と納経堂(左)。
開山堂は崖上に建てられた慈覚大師の御堂で、崖下には慈覚大師の遺骸が埋葬されているのだとか。
開山堂の右手を岩に沿って登っていくと五大堂があります。
ここは岩の上に突き出した舞台のような作りになっており、立石寺随一の眺望が楽しめます。
山寺駅にある展望所から見た立石寺の上部。
左上に見えるのが五大堂です。
けっこう高いところにありますね。
立石寺は独特な信仰の慣習がうかがえるところも面白いのですが、今日山形を代表する観光地になっているのは、やはり半分以上芭蕉のおかげではないでしょうか。
たった17文字で人々にその地の魅力を伝え、人々をその地へと誘う。
しかも、それが現代までずっと引き継がれてきているのですからすごいです。