東北の旅3日目は山形を起点に周辺を観光。
まずは、朝、散歩がてらに山形城跡を散策しました。
山形城は1357年に斯波兼頼によって築城されたと伝えられる城で、直江兼続率いる上杉軍との裏関ヶ原合戦の際に城郭が霞で隠れたことから霞ヶ城ともよばれています。
現在の城郭の原型は戦国時代に最上義光によって整備されたもので、本丸、二ノ丸、三ノ丸と三重の堀で囲まれた城郭は東北随一の広さを誇っていたそうです。
現在はそのうち、二ノ丸、本丸の範囲が霞城公園として整備されて市民の憩いの場となっているようです。
城跡には当時の建物は一切残っていないのですが、一部の門、櫓が復元されています。
この東大手門もその一つ。
手前に架かる橋の下には掘と、たまたま山形新幹線が通りましたが、掘の手前にJRが走っています。
ちょうど、お彼岸の時期、堀端の斜面にはヒガンバナが群生していました。
山形城の二の丸の石垣は門の周囲だけのようで、あとは土塁のようです。
一応、全部の門を回ってみました。
こちらは南大手門跡。
西不明門跡。
北不明門跡。
東大手門に戻ります。
高麗門を潜ると、枡形が形成されており、櫓門が構えています。
この門には立派な冠木がありますが、国内で調達するのが困難だったため台湾から調達した檜を使用したのだそうです。
石垣は積みなおしと、新しい石材によって復元したそうですが、このあたりは新しい石材でしょうか。
櫓門を潜ると、最上義光公の銅像があります。
二ノ丸と本丸の間の堀はほとんど埋められていますが、東南角の一角のみ、二ノ丸と本丸をつなぐ本丸一文字門とともに復元されています。
この一文字門も枡形になっており、奥には一文字櫓と櫓門があったのだそうですが、必要な絵図や写真等の資料がなく、復元できないのだそうです。
本丸内の案内板には一文字櫓の古い写真を求める呼びかけが書かれていました。
本丸は発掘、整備途上の草むらでした。
山形城跡はかなり長期の計画で、少しずつ復元・整備を進めているようです。
今は二ノ丸内に野球場や体育館などの施設がありますが、将来的にはこうした施設も移転させるそうです。
ただ、史跡公園として再整備していくにしても、これだけ広い敷地ですから、今後も様々なイベントの会場として利用されるのでしょうね。
この日は秋分の日ということもあり、気仙沼さんま祭りが行われるようでした。
(朝早かったのでまだ準備中でしたが...)
最上義光公も気になっているようです。