平泉散策。中尊寺を訪れた後は、高館義経堂(ぎけいどう)へ。
ここは、兄頼朝に追われ奥州藤原氏を頼ってこの地に逃れてきた源義経終焉の地として知られる場所で、この義経堂は仙台藩四代藩主伊達綱村公が義経を偲んで建てたものだそうです。
高館は、北上川を見下ろす小高い丘の上にあり、北上川の向こうには西行が歌に詠んだ束稲山も見えます。
西行は奥州藤原氏全盛の時代に2度平泉を訪れているそうですが、義経が逃れてきた時期とは微妙にずれているようです。
ある意味、似たような境遇にあった西行と義経。
出会っていたらどのような会話を交わしただろうかと想像してしまいます。
高館には松尾芭蕉のあの有名な句碑もあります。
夏草や 兵どもが 夢の跡
高館に立ち、夏草の揺れる風景を見ながら、奥州藤原氏の栄華や義経の最期に思いを馳せて詠んだ句ですが、平泉には高館だけでなく至るところにそのような感慨にふける場所があるように思います。
そんな場所の一つが、高館の近くにある無量光院跡。
世界遺産の構成資産の一つであるこの場所は、奥州藤原氏三代秀衡公が、宇治の平等院鳳凰堂を模した寺院を建立した跡です。
前面に池、背後に金鶏山(この山も世界遺産の構成資産)を配し、金鶏山の後ろに沈む夕日に輝く寺院の姿を極楽浄土に見立てたのだとか。
無量光院跡のそばには柳之御所遺跡があります。
ここは藤原氏の居館があった場所とされており、平泉の政治の中心として栄えたそうです。
少し離れて、次は毛越寺(もうつうじ)。
こちらも慈覚大師円仁が開山した寺院で世界遺産の構成資産になっています。
こちらには「夏草や・・・」英語の句碑がありました。
The summer glass 'Tis all that's left Of ancient warriors' dreams. Inazo Nitobe
「武士道」を記した新渡戸稲造の訳だそうです。
毛越寺の伽藍はすべて焼失したそうで、今はその遺構のみを見ることができます。
この本堂は、平成に入って再建されたもので、建立当時の伽藍とは全く異なる場所に配置されています。
現在の本堂の向かって右手には大泉が池を中心とし庭園が広がっています。
建立当時はこの大泉が池の手前に南大門があり、対岸にある金堂円隆寺を中心とした大伽藍に向けて、橋が掛けられていたそうです。
伽藍跡の脇には池に向けてゆるやかに蛇行して流れ込む鑓水が通されており、毎年5月にはここで曲水の宴が行われるのだとか。
毛越寺の境内には、萩がたくさん植えられており、ちょうど花期にあたるこの時期、「萩まつり」が行われていました。
毛越寺の前には毛越寺の大泉が池に似た池が広がっていますが、こちらは奥州藤原氏二代基衡公の夫人によって建立された観自在王院跡です。
これも世界遺産の構成資産になっています。
最期に訪れたのは、平泉の中心から少し離れたところにある達谷窟毘沙門堂。
こちらは奥州藤原氏の時代よりもさらに古く、801年、征夷大将軍坂上田村麻呂による創建が伝えられているそうです。
巨大な岩盤の窪みにねじ込むように建てられた毘沙門堂からは自然と神仏が発する力のようなものを感じます。
毘沙門堂の脇には、源義家が彫ったと伝えられる岩面大仏あります。
世界遺産の構成資産からは外れますが(追加登録候補に挙げられている)、奥州藤原氏以外の平泉の歴史に触れられる興味深い場所です。
と、主な見どころは一通り観て回ったつもりですが、平泉の世界遺産群には遺跡、遺構が多く、なかなか実感が得られるものが見られないというのが率直な感想です。
そんな平泉の世界文化遺産や平泉の歴史と文化についてより詳しく知るなら、平泉文化遺産センターに立ち寄るのもいいかと思います。
また、平泉の主な観光拠点では、音声ガイド(\500)が貸し出されていますので、これで解説を聞きながら、観て回るのもおススメです。
文字を読むより話を聞く方が分かりやすくて楽ですし、どこで借りてどこで返してもいいので便利です。
ただ、こうして実際に世界遺産群を見ても、色々な解説を見聞きしても、それでも奥州藤原氏が具現化しようとした浄土世界というものをイメージすることはなかなか難しいものです。
まだまだ調査・整備が行われているところも多いので、今後の平泉に期待したいところです。