諏訪大社四社まいり、上社から下社に向かう途中、諏訪湖のそばにある高島城に寄り道しました。
聞き覚えのない名前の城だったのですが、それもそのはず、戦国末期、豊臣の天下の定まった後に建てらた、当時の政争のメインストリームから外れた戦とは無縁の城だったようです。
高島城を築城したのは秀吉の家臣、日根野高吉だそうですが、関ケ原後は、徳川方についた諏訪頼水が藩主となり、以後幕末まで諏訪氏が代々治めたのだそうです。
諏訪氏は武田信玄によって滅ぼされましたが、その後再興し、家康の温情によって旧領の藩主として返り咲いたという、ちょっと感動するお話です。
この城も御多分に漏れず、明治時代に取り壊され、その後は公園として市民に開放されていたそうですが、市民の熱望により昭和40年に天守閣や冠木門、角櫓などが復元されたそうです。
石垣は当時のものが一部残るそうですが、天守台の石垣が上と下で風合いが異なるのは、当時の石垣と新たに積みなおした石垣ということでしょうか。
天守閣内部は資料展示室になっており、3階は展望台です。
今は、諏訪湖は遠くなっていますが、当時は城の際まで諏訪湖が迫っており、諏訪湖に浮いているように見えることから、「諏訪の浮城」と呼ばれていたそうで、葛飾北斎の「富嶽三十六景 信州諏訪湖」などにもその姿が描かれています。
当時の姿を見てみたいですねぇ。