
今治城に続いて、松山城をぶらり散策。
松山城は、松山市の中心部、海抜132mの勝山山頂に本丸を置く連郭式平山城です。

松山や秋より高き天主閣 子規
正岡子規が残した有名な俳句が示すように、城下から見上げるその姿はまさに松山のシンボル。

そんな松山城にはいくつかの登城ルートがあるようですが、私は江戸時代の正規のルートである黒門口登城道から登ってみました。

ツヅラ折れの道の両脇には門のあった名残りか、大きな石垣が次々と現れます。

途中、下を見下ろすと、二の丸史跡庭園が見えます。
幾何学的な配置がとても不思議な感じです。

そこからしばらくは鬱蒼とした森の中を石段で進みます。

そして、森を抜け視界が開けると大手門跡。
いよいよ本丸の石垣と建造物が現れます。

ただ、まだ、すんなりとはいきません。
一瞬、石垣の隙間から天守が見えますが、まだまだ遠く、道はまたジグザグと折り返します。

戸無門という扉のない小さな門を潜って折り返すと、現存する最初の大きな門、筒井門が出迎えます。
この筒井門の向かって右手の石垣の裏側には、

隠門という小さな門があり、筒井門に迫る敵を側面から急襲する仕掛けになっています。

さらにジグザグと進み、太鼓門を抜けるとようやく本丸広場に到着です。
かなり奥行きのある広場で、南側の石垣の縁に立つと見える、高さ14mを超えるという屏風折の石垣は壮観です。

広場の奥へと進むとよしあきくんがお出迎え。

よしあきくんのモデルとなっているのは、賤ヶ岳の七本槍の一人で、この松山城を築いた加藤嘉明です。

正面から見た大天守。
三重三階地下一階の層塔型の大天守は小天守や隅櫓と一体となった連立式天守で、幕末の頃に再建されたもの。

現存12天守の中では最も新しく、最後の日本式城郭建築といわれています。

春は昔十五万石の城下哉 子規
地上160mの高さにある天守からは360度の眺望が開け、

松山の市街地を一望できるほか、遠くには瀬戸内海も望めます。

松山城と言えば、印象に残っているのは、NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」で秋山兄弟と正岡子規が松山城をバックに撮影した記念写真。
天守の裏手、艮門にありました。
このアングルですね。
松山城、けっこう見どころが多い城ですね。
後でガイドブックなどを見返すと、けっこう見逃しているところもあり、もう少しじっくり回ればよかったと少し後悔しています。
また、松山に行く機会があれば、再訪したいです。