酔って候 | Archive Redo Blog

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酔って候<新装版> (文春文庫)/司馬 遼太郎
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土佐藩の山内容堂、薩摩藩の島津久光、宇和島藩の伊達宗城、佐賀藩の鍋島閑叟。

幕末を生きた藩主たちを描いた中・短編集です。

坂本龍馬、高杉晋作、西郷隆盛...

幕末といえば、どうしても志士達の活躍に目が行きます。

長編小説の主人公として取り上げられるのはだいたいこういった志士達ですが、彼らを描いた作品を読めば読むほど、むしろ彼らの直接的な主君である藩主たちが、この激動期に何を考えどう生きたのかということに関心が沸いてきます。

四賢侯と言われた松平慶永(春嶽)、伊達宗城、山内豊信(容堂)、島津斉彬などは、その最たる例です。

中でも個人的に興味があったのは、この本の表題作であり、ほぼ半分の紙数を割いている「酔って候」の山内容堂。

これが読んでみたかったがためにこの本を手にしたようなものです。

「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と当時の志士達に揶揄されたように、酒が好きで、尊王攘夷的な思想を気取ってみたかと思えば、藩士がそのような思想・行動を示すことを快く思わないという二面性を持っていたという容堂公。

その実、真に目指していたのは公武合体なわけですが、たまたま大政奉還への道筋をつけるために一役買うことはできたものの、結局は岩倉具視や薩摩の陰謀によって政権は討幕派に奪われ、その実現は夢幻となってしまいます。

司馬さん曰く、「容堂は、暴虎のごとく幕末の時勢のなかで荒れまわったが、それは佐幕にも役立たず、討幕にも役立たなかった。」という虚しい結果に終わってしまったわけですが、半ば世捨て人のように時代を見つめ、半ば道楽のようにまつりごとに関わっていたようにも思えるその特異なキャラクタは、この風雲の時代の只中にあって、ひときわ異彩を放っているように思えます。

西郷、大久保に利用された揚句に権力を持っていかれ、版籍奉還が決定した後、憂さ晴らしのように錦江湾にありったけの花火を打ち上げさせた島津久光...

ヨーロッパで発明されて間もない黄燐マッチに狂喜し、黒船の建造に躍起になる新し物好きの伊達宗城...

中央の騒乱には無関心を装いながら先を見据えて軍備の様式化による富国強兵を推し進める一方で、厠から出て執拗に手を洗っている潔癖の鍋島閑叟...

ユーモラスなエピソードや個性を織り交ぜながら、藩主たちの素顔に迫り、その立ち位置から変革期を眺めてみると、熱気や血生臭さがやや薄れ、また少し違った幕末の景色が見えてくるような気がします。