街場のアメリカ論 (文春文庫)/内田 樹- ¥620
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この「街場の○○論」シリーズ、面白いですね。
この本では、アメリカ問題の専門家がひとりもいない大学院の演習での著者と院生・聴講生との対話をベースに、日米関係や、アメリカが抱える問題点について考察しています。
ファースト・フード、アメリカン・コミック、統治システム、戦争、児童虐待、シリアル・キラー、身体と性、キリスト教、社会資本、裁判...
テーマは多岐にわたりますが、私たち日本人が何となくただ事実として認識しているだけの事柄に対して深く切り込み、その裏に潜むアメリカの病理的な部分をあぶり出していく論考には時折ハッとします。
そうした個々の論考はもちろん面白いのですが、それよりもそういった考えを導き出すに至る視座や思考法にいつもながらに感心します。
日本は黒船来航以来、それまでのモデルとしてきた中国(清)を見限り、アメリカをはじめとする欧米列強諸国の圧倒的な力の前に、ナショナル・アイデンティティを意識するようになりました。
そしてそれは、太平洋戦争での敗戦によって、アメリカへの従属の中に自国の独立の可能性を見るという、ねじれたアイデンティティを作り出し、戦後の日米関係を巡る言説は一貫してこのねじれのロジックを通して語られてきました。
こうした従者のメンタリティは、アメリカに何か問題があり、それを真摯に批判するとしても、どこかしら気楽さのようなものとなって現れます。
著者はそれを「主人の屋敷が焼け落ちるのを眺めている小作人の気楽さ」と評していますが、つまりは日本人はアメリカに対して、「自らがアメリカを救わなければならない」という責務の感覚を持ちえないことを示しているということです。
上から目線で見ることもできなければ、真に対等な友人として親身になることもできない。
ただ、日本人に深く根付いたその「従者の呪縛」を取り払うことは難しいことですが、少なくともその病識を持っているかいなかで、アメリカという国は随分と違った見え方をするということをこの本の内容が示しています。
金融危機以降、没落の兆しを見せる超大国アメリカ。
その様子を気楽にぼんやりと眺めているのが今の日本となるわけですが、本当にアメリカが没落し、世界、とりわけ東アジアに対する影響力を弱めた時、日本は従者の呪縛から解き放たれ、真に独立した国家として歩むことができるのか...
著者は、その点については「主人のいない従者」となる可能性が高い、それは最悪のシナリオの一つだと考えているようですが、悲しいかなそちらのシナリオの方が想像にたやすいんですよね。
ただ、そういう追いつめられた状況に陥った時にこそ、(正しい方向に導くわずかな推進力さえ得られれば)強さが発揮されるのが日本という国でもあるので、そこにこの国の将来を期待したいところです。