歎異抄 | Archive Redo Blog

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梅原猛の『歎異抄』入門 (PHP新書)/梅原 猛
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今年ももうあとわずかですが、ついこのあいだ読んだばかりのこの本がベストになりそうです。


「歎異抄」は浄土真宗の開祖、親鸞の没後、その弟子唯円が親鸞の伝えた信仰とは異なる教えがはびこる様を歎き、親鸞の教えとは何であったのかを問い直そうという思いで記した書とされています。


その思想が真宗教団を根底から揺るがす危険性をはらんでいるということで、長く本願寺の文庫の奥深くに秘められており、その存在が一般に知られるようになったのは明治時代だそうです。


と言っても、普通は「歎異抄」という名は知っていたとしても、内容は知らないのではないでしょうか。


かくいう私ももちろん、その内容については全く知らなかったわけですが、この本を読んで「歎異抄」が示す信仰の在り方に強い衝撃を受けました。



例えば、以下の一節。


”善人なをもて往生をとぐ。いはんや悪人をや。”


「善人ですら極楽浄土へ行くことができる、まして悪人は、極楽浄土へ行くのは当然ではないか...」


普通、逆ですよね。


そう思うのは宗教・信仰を道徳と結びつけて考えてしまうからなんです。

しかし、法然から親鸞へと受け継がれてきた浄土信仰の根本は、ただただ、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え、阿弥陀様の本願におすがりすることなんですね。


それこそが最高の善であり、自力作善に励み、それを誇る人には他を頼む心が欠けているということを言っているわけです。


うーん、いろいろ考えさせられます。



この「梅原猛の『歎異抄』入門」は、前半が梅原さんの解説、後半が「歎異抄」の現代語訳や年表などの資料という構成になっています。


仏教伝来から「歎異抄」が書かれるまでの仏教の変遷、法然、親鸞、唯円の師弟関係、「歎異抄」に見られる浄土信仰の本質についての解説が簡明で、まさに入門として最適かと思います。