返す刀で「無思想の発見」 | Archive Redo Blog

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DBエンジニアのあれこれ備忘録


養老さんの「超バカの壁 」でたびたび引用されたいたのがこの「無思想の発見 」。


「超バカの壁」を一気に読んで、返す刀で読んでみたのですが、ムムム、これはなかなかに小難しい^^;


ぼーっと読んでいると、己の読解力のなさのせいか、偏屈じじぃの屁理屈のように思えてきます^^;


ということで、著者の言いたいことをどれだけ理解できたか甚だ怪しいところですが、要は、多くの日本人は自らを無宗教・無思想だと主張するが、それは実は数学のゼロのようなもので、つまり「思想がない」と言いつつも「無思想という思想」があるということをも意味しているということです。


また、著者は「無思想という思想」が信ずるものは現実であり、現実とはすなわち世間である、そしてその「無思想という思想」は決して恥じるようなものではなく、極めて経済的で臨機応変な思想であると言います。


確かにアメリカにせよ、イスラム原理主義者にせよ、中国にせよ、有思想の人たちは我々日本人から見ると厄介ではた迷惑な存在です。


同時多発テロ、イラク戦争、反日...つい最近起こった風刺画の一件にせよ、ちょっとしたことで思想を受け入れない奴、踏みにじる奴は許せない、皆殺しだ...的なことになってしまいます。


思想や宗教が一体何の問題解決になっているというのだろうか...


しかし、”無思想”日本人の信ずるところであるこの世間も、グローバリゼーションという御旗を掲げ、世界を1つの色に染めようとする”有思想の雄”アメリカによって押し付けられた思想によって崩れようとしています。


また、中国をはじめとする近隣有思想諸国との関係もギクシャクしています。


そこに筆者は憂いを感じているとのことなのですが、「じゃあどうするか?」というところで、


「完全な思想なんてものは存在しない。だから現実の中で自分で考えてダメだったらまた考え直し、一生四苦八苦しなさい。人生なんて長くもない辛抱なのだから...」


というような感じで結んでしまっています。


「何じゃそりゃ^^;」というズッコケてしまいそうになりますが、まぁ実際のところそうとしか言いようがないのかもしれません。


無思想の私には思想的な話は難しいですわ(笑)