建築家との家創りって?
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土地に住むのではなく、土地と暮らす

土地を探していると、
ついこんな言い方をしてしまいます。

「この土地に住む」

 

もちろん、
言葉としては
間違っていません。

 

でも、
設計の仕事を続けていると、
少しだけ
違う感覚を持つようになります。

 

それは、

土地に
「住む」というよりも、

土地と
「暮らす」という方が
しっくりくる、という感覚です。

 

土地は、
ただの器ではありません。

 

光の入り方。
風の通り道。
音の広がり方。
周囲との関係。

 

それらは、
こちらの都合に
完全に合わせてくれるわけではなく、

むしろ、
常に何かを
投げかけてきます。

 

暑い日もあれば、
寒い日もある。

 

静かな時間もあれば、
少し騒がしく感じる瞬間もある。

 

それらすべてと
付き合いながら
日々を重ねていく。

 

それが、
土地と暮らす、
ということなのだと思います。

 

土地を
完全に制御しようとすると、
暮らしは
どこか緊張します。

 

逆に、
すべてを受け入れようとすると、
無理が生じます。

 

だから、
その間に
ちょうどいい関係を
探していく。

 

どこは受け止め、
どこは距離を取るか。

 

どこは頼り、
どこは委ねすぎないか。

 

そのバランスが、
暮らしの質を
静かに決めていきます。

 

設計とは、
建物をつくること
だけではなく、

土地との
付き合い方を
形にすることでもあります。

 

土地に住む、
という発想から、

土地と暮らす、
という視点に
少し切り替えてみる。

 

そうすると、
条件の見え方や、
判断の基準が、
少し柔らかくなることがあります。

 

この土地と、
これから
どんな関係を
築いていけそうか。

 

その問いを
自分に向けてみると、

土地選びは、
選別ではなく、
対話のようなものに
変わっていく気がします。

 

土地と暮らす。

 

それは、
完璧な答えを
求めることではなく、

時間をかけて
関係を育てていく
という選択なのだと
感じています。

その場所で生まれる時間の重なり

土地や家を考えるとき、
私たちはつい
「これからの暮らし」に
意識を向けがちです。

 

どんな家に住むか。
どんな毎日を送るか。

 

もちろん、
それはとても大切なことです。

 

でも、
その場所にはすでに
時間が積み重なっています。

 

以前、
どんな建物があったのか。

どんな人が
行き交っていたのか。

どんな季節を
繰り返してきたのか。

 

たとえ更地であっても、
時間がまったく
存在しない土地はありません。

 

そこには、
過去の時間が
静かに重なっています。

 

そして、
家を建てて
暮らしが始まると、

そこに
新しい時間が
少しずつ重なっていきます。

 

朝の光。
夕方の影。
季節ごとの匂い。

 

家族の会話や、
一人で過ごす静かな時間。

 

それらが、
過去の時間の上に
そっと重なっていきます。

 

設計をしているとき、
私はよく考えます。

 

「この場所は、
 これから重なっていく時間を
 受け止められるだろうか」

 

強く主張しすぎる建物は、
時間の積み重なりを
拒んでしまうことがあります。

 

一方で、
余白のある場所は、
時間が重なるほど
深みを増していきます。

 

少し傷がついても、
違和感にならない。

 

使い方が変わっても、
受け止められる。

 

そうした柔らかさが、
時間を
味方にしてくれます。

 

土地は、
一瞬の条件だけで
選ばれるものではなく、

その上に
どんな時間が
重なっていくかによって、
意味を持ち始めます。

 

過去の時間を
消してしまうのではなく、

未来の時間だけを
急ぎすぎるのでもなく。

 

いま立っているこの場所で、
どんな時間が
静かに重なっていくのか。

 

その想像が、
設計に
奥行きを与えてくれます。

 

家は、
完成した瞬間が
いちばん新しく、

そこから
少しずつ
時間をまとっていきます。

 

その時間が
心地よく重なっていく場所であれば、

暮らしは
年を重ねるほど、
静かに
豊かになっていく。

 

その場所で生まれる
時間の重なりを
受け止められるかどうか。

 

それもまた、
土地を読むときの
大切な視点のひとつだと
感じています。

暮らしが土地に馴染んでいくという感覚

家が完成した直後は、
どこか少し、よそよそしい空気があります。

 

新しい建物。
整った外構。
まだ使われていない場所。

 

そこに暮らしが始まっても、
最初のうちは
「住んでいる」というより
「入っている」感覚に
近いかもしれません。

 

でも、
時間が経つにつれて、
少しずつ変化が起きてきます。

 

窓の開け方が
自然に決まってくる。

 

この時間帯は
この場所が落ち着く、
という感覚が
身体に残ってくる。

 

気づけば、
土地の癖や
環境の特徴に、
暮らしの方が
合わせ始めています。

 

それは、
我慢しているわけでも、
無理をしているわけでもなく、

 

「こうすると楽だな」
「この方が落ち着くな」

という
小さな調整の積み重ねです。

 

設計の段階では、
すべてを決めきることは
できません。

 

むしろ、
決めすぎないことで、

暮らしが
土地に馴染んでいく余地が
生まれます。

 

朝日が
思ったより強ければ、
少し影をつくる。

 

風が抜けすぎれば、
居場所を
一段奥にずらす。

 

そうした変化を
受け入れられる家は、
次第に
その土地の一部のように
感じられてきます。

 

土地に
暮らしを押し付けるのではなく、

暮らしが
土地のリズムを
覚えていく。

 

その関係が
うまく噛み合ったとき、

「ここに建ててよかった」

という実感は、
静かに、
でも確かに
積み重なっていきます。

 

最初から
完璧に馴染む必要は
ありません。

 

少しずつ、
時間をかけて
馴染んでいく。

 

そのプロセスそのものが、
暮らしの一部になっていきます。

 

土地と家と人。

 

その三つが、
無理なく
同じリズムで
呼吸し始めたとき、

そこは
「住まい」ではなく、
「自分たちの場所」に
なっていくのだと思います。

 

暮らしが土地に
馴染んでいくという感覚は、
完成した瞬間ではなく、

時間の中で
静かに育っていくもの。

 

それを待てる設計こそが、
長く寄り添う家を
支えているのだと
感じています。

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