今日も遊びに来てくださってありがとうございまぁ~す
お手数お掛けしますがよろしく哀愁
たとえ身体にいいものであっても食べ過ぎは良くないので腹八分目を心がけております
昔の人間って生きるために狩りをし、その命に感謝して肉を頂いて内臓も毛皮も全て無駄なく使っていましたよね。
動物と共生していた。
それがいつしか動物は「肉を食べたい」という人間の欲だけのために家畜という「モノ」として「生産」されるようになった。
家畜や放牧するのに広い土地、たくさんの水やエサのためたくさんの植物が必要で地球の資源を消費しています。
人間の欲のためにモノのように作られ扱われ、病にならないために薬漬けにされ、生きる選択肢はなく殺されるためだけに生かされている。
人間のために殺された死骸がパックに詰められてスーパーの棚に並んでいるものを見て「美味しそう」って私はどうしても思えない
うちの親戚のオバチャンが昔、食用の牛で生計を立てていた。
売れるまでに成長したら屠殺所に連れてゆくのですがオバチャンは肉を食べる気持ちになれないと言ってお肉は食べなかった。
家畜は自分が殺される運命にあることをわかっていても屠殺される前にはなんとも言えない声で泣くそうです。
動物は人間みたいに感情がないから何もわからない感じないという人がいるけど動物は人間より周波数が軽いから敏感だと思うし殺される時、恐怖と絶望の中で殺されてゆくと私は思います。
その時の感情が動物の身体の細胞の隅々まで残ったままスーパーに並んで私たちの身体に入る。
食べる側に悪い影響しかないってフツーに考えればわかりますよね
お刺身になった魚でさえ「辛い」という思いがお刺身に残ることもあるそうなので動物はもっと強いと思います。
こうして肉が簡単に手に入るようになり肉をたくさん食べる人が生活習慣病になるのもなんかどうなん?と思います。
これまで人間の欲のためにどれだけの命が犠牲になったんだろう。
スーパーでお肉コーナーにいると私はとてもせつなくなります
だからスーパーのカゴに投げ入れる人を見るととても悲しくなる。
てか、スーパーで食材をカゴにほおり投げる人って人間性に問題ありと思います。
オットはお肉食べたい人だからオットが食べるためだけにスーパーに買いに行きます。
これまでは食べる側の自分たちのためにヒーリングしていたけど食を変えてからは犠牲になった動物の霊に対してヒーリングをするようになりました。
もともと私は家でお肉は食べず外食でオットや友人と食べるくらいだった。
ぶっ倒れて食を変えてからは食べなくなりました。
てか、マクロビやビーガンのお店ではお肉は出ないですから(笑)
出ても食べたいと思わないので食べないけど自分の立ち位置知るために実験として食してみるのもいいかなと思うことがあります。
食を変えてから1ヶ月半ほど経った頃、食を変える前までフツーに食べていたクレープを食べたらその添加物で舌が痺れ、スタバのデカフェのソイラテ飲んで口の両端が切れた。
スタバは特に添加物多いそうです。
今、お肉を食べたいと思わないから実験であってもわざわざ食いたくないものを嫌々食べることはしたくないな。
こんなことしたら犠牲になった命に申し訳ない。
食べたい時においしく残さずに感謝して頂くことが供養だと私は思う。
これもずーっとこれまでブログに腐るほど書いてきたけど「いっこだけでなく全部連動してる」ってこと。
ひとつが廻り始めると連動してるから他も廻り始める。
良くも悪くもね。
それが食を変えただけで私の体感として、
自分の周波数が変わった、
意識も変わった
考え方も変わった、
生活の質も変わった、
視野が変わった、
心のベクトルも変わった、
付き合う人も変わった、
食の質が上がると人生の質が上がる。
食を変えると
人生変わる!
それがよぉーくわかった
「質」というのは高級とかグルメとかではなく安心安全ってことね。
全てに良い変化しかなくて目に見えてわかるからこれからもっともっと私の人生良くなるしかないじゃーん!ってめっちゃワクワクで愉しい毎日
ま、今もじゅうぶん愉しいんですけど
実験も兼ねてやりたいことだけ愉しくやってます