炎輝が内力を使い回復させる。
『お前…姉上はどうした…何があったんだ』
深手を負いながら知らせをもたらした雪月は荒い息のまま顔を上げる事もできなかった。
『……炎輝っ…雪蘭は!!』
駆けつけた清流に続き冷凝、風彩彩。
『清流……姉上はまだ…』
『…あの森のどこかに雪蘭はいる…早く探し出さねば夜になる…この冷たい雨に濡れて…身が危ぶまれる』
春の雨、雨足はさほど強くはないが濡れれば体温は奪われていく事は目に見えている。
『……清流、落ち着け…お前は鳳鳴山荘盟主だぞ?取り乱してお前まで何かあったらどうするんだ…』
清流を追ってきた冷凝は冷静になるよう諭した。
『母上、取り乱すなと言う方が無理がある。雪蘭を迎えに来ようとすれば鳳鳴山荘を留守にするな、武芸に励めと言うが雪蘭が心配ではないのですか?』
『…盟主の妻だ夫が妻より山荘優先なのは理解して当然だろう』
『おやおや、これは鳳鳴山荘の若盟主と御母堂では?』
『あ、雪蘭の御父上…雪蘭は…』
『今頃のこのこきおって、何の用だ?』
『…雪蘭に何か…午後から珠の光が弱まり…雪月が簪を…』
『清流、何の話だ?』
冷凝は首を傾げる
『…若盟主よ私が結婚の祝いに対にして作らせ2人に渡した氷蚕珠の簪を見せよ』
『はい、珠が…光らないんです…今朝まで珠に雪蘭の意識は感じ取れたのですが…時折微かに光る程度で…雪蘭の手から離れたせいなら…』
清流が秋月に簪を見せる。
『……氷蚕珠とはなんだ』
冷凝は尚も不思議がる。
『氷谷の氷蚕から取れる珠だ。元は1つの石を2つにする。その2つの珠は互いに呼び合うのだ。春花と私もそれぞれ持つ。本来なら持ち主の身体から離れても持ち主が生きている限りは光は止まぬ…だが…』
『で、では姉上は…』
『………微かにだが光っておる…だがこれは危険な状態かも知れぬ…』
『桃雨も一緒にいる筈では…父上、母上は?』
『眠らせた…雨足が強くなるにつれ酷く取り乱して1人で森に向かったのでな…無理やり連れ帰った所だ。今から千月洞の者たちと捜索を始める』
『……私も…私も一緒に行かせてください』
『ふん…行きたいなら行けば良い。捜索の手は多いに越した事はないが…ただ、怪我をしても知らぬぞ山荘の盟主様』
皮肉に一瞥を乗せて秋月は清流に告げた
『それから盟主様の御母堂よ』
秋月は冷凝に向かう
『なんだ…私も当然行く。後から流風も蕭白を連れ合流すると言っていた』
『お前はここに居てくれ。武芸を嗜んだ程度の女子は足手纏いだ』
『なっ…』
『あの森は仕掛けがいくつも仕掛けられている。かつての伝奇谷に侵入せぬように傅楼が巧妙な仕掛けをしていたが…雪蘭があれに掛かるはずもない。何かが起きたとしか考えられぬ』
『……』
『又伝奇谷の残党ではないのか?もしくは千月の者か…』
『誰であろうと許すつもりはない』
『秋月…』
『もしも春花が目覚めたら1人で森に入るだろう。できれば目覚めた春花の傍にいて欲しい…』
『………』
秋月に促され冷凝と彩彩は春花の部屋へ通された。
横たわる春花の衰弱した様子、溢れ落ち続ける涙に子を持つ母親として胸が痛んだ。
『彩彩…春花殿は…』
彩彩は直ぐに腕を取り脈を図る。
『……身体よりも気が…気が著しく弱まってる…』
『…春花どの…』
『李漁が申していた・・人間は体のことなら何とか回復できるが気力を傷つけられるとその能力が著しく低下すると』
『では、春花殿は・・』
冷凝は溜息をついた。風彩彩と顔を見合わせ春花が我が子の安否を心配し彷徨った心を慮る。
『おそらく・・死ぬほどの想いだったであろう』
『冷凝、雪蘭は・・・』
『彩彩、それが私にもわからぬのだ。急に郷に帰ってしまって、迎えに行くという清流を引き留めたのは私だが、こんなことになるならすぐに連れ戻させるべきだった』
『済んでしまった過去を悔いても仕方ない。今は雪蘭と桃雨を探すことが先決だ』
『上官秋月!』
顔色一つ変えずにいる秋月
『私はこれから雪蘭の捜索に向かう。2人は春花を頼む。』
秋月は横たわる春花の頬に触れた。
『ああ、任せておれ』
秋月の元には知らせを聞いた葉顔が星主、星僕、月僕たちを率いて集っていた。
鳳鳴山荘からも簫白、秦流風、冷凝達の門下の者たちが集まった。
そして秋月は炎輝、清流を従え傅楼游絲の花畑の向こうに広がる広大な深い森を目指した。
『彩彩・・・』
『なんですか冷凝』
『上官秋月のあんな姿・・初めて見たぞ』
『そうですね』
『そなたも感じたか?』
『はい・・春花殿を心配しながら激しい怒り、焦燥・・・平然としていながら内心はそうではなかった・・やはり人の親だと言うことでしょう』
『そうだな』
森に散りじりに消えていく皆を見送りながら無事を祈った。
『雨が止んでくれたら良いのだが・・』
『お前は何をしに来たのだ簫白元盟主よ』
『おい、蕭白は療養中の身で雪蘭の為に来てくれたんだぞ』
流風は秋月を睨む
『良い、焦る気持ちもわかる・・誰かに当たりたい。そんな所だろう・・かつて許嫁をさらわれ同じ様な苦しみを味わったものだ』
『・・・・』
秋月の心の内側でそれは初めて生じた。いつも凪いでいる筈のそこに小さな細波が起き、やがて強い高波となりそれこそが家族という宝を失うかも知れぬ不安から来る焦燥だという事を知る。
飛行しながらつぶさに森に目を向け耳を傾け全神経を集中させる。
『清流、雪蘭の珠に呼びかけよ。主の元へ案内させよ』
『その珠にそんな力が?確か春花殿も持っていた…だから鳳鳴山荘へ自由に出入りできたのか』
流風の不用意な言葉に苛立つ秋月
『黙れ流風、珠などなくとも春花の元へは行ける。鳳鳴山荘の警備など私には何の意味もない。あの頃は腑抜けの山荘に憐憫すら覚えたものだ。それより清流、どうだ』
『あ…はい。雪蘭の珠に私の珠が反応して何やら光が…』
『力を分け合っておるのだ…』
『は、はい。それで…珠は…丑寅に向かって引っ張るような感じがします…』
『丑寅…伝奇谷の山城がある方角だ…あそこは切り立った断崖に阻まれておる…』
『では、まさか伝奇谷の残党が…』
『…答えを出すにはまだ早い』
秋月の言葉に違和感を感じる蕭白。
『何か知っておるのか?』
『何も…ただ…不穏な空気には敏感でな』
『伝奇谷には一度冷凝と行った事がある…あの頃は傅楼がまだ生きていた。そして、辛酸も舐めた事のないひよっこどもと言って一蹴された…冷凝は彩彩の毒は父親が傅楼のせいで死に至ったと勘違いしていたからな…あの辺りは確かに迂闊に入る事は難しい』
『抜け道さえ知れば容易い。』
『な、伝奇谷の抜け道まで知っておるのか?』
『当然だ…』
伝奇谷への入り口に降り立った。
反対側を捜索していた葉顔が駆けつける。
『どうした?葉顔。お前は未申に向かったのでは?』
『はい、秋月様。先程他方へ向かった星僕より報告がありました…』
『申せ』
『はい…それが関係があるかは分かりませんが翼星主の行方が分からぬと…』
葉顔は従兄弟である秦流風に視線を一瞬向けながら秋月に報告する
『それで思い出したのですが近頃伝奇谷の辺りで人影を見たと言う噂を聞いたと翼星主より報告がありました。翼星主が確かめた所人がいる気配があったと…』
『……やはりな…足元を見てみよ』
『は、これは人の踏み分けた跡…やはり』
『傅楼が亡くなってからもう長い間ここは誰も住んではおらんが、誰かが潜り込んでも誰にも気付かれはせぬ…で、ここを確かめた翼星主は?行方が分からぬとはどう言う事だ』
『それが午前中に会った後再度この辺りを見て回ると言ってから行方が分からぬと翼星主の星僕達が申しております』
『あの…ち、父上…珠が徐々に強く光っております。弱々しい明滅ではありますが時折…』
清流が珠の変化に驚く。差し出された簪を手に取り秋月は内側から湧き上がる気力を込めてその辺りを捜索する。
『やはり、伝奇谷の奥に何者かがいるようだ…』
『秋月殿…そなた…内力も功力も…』
『…秦流風。貴様は風流然としながら全くもって風流ではないな。あれから何年経つと思う…』
『まあ、確かにそうだが』
流風は激しく燃える怒りの感情を押し込め、平然として見せる秋月に恐怖を感じていた。
『蕭白、もしかしたらあやつ…暴走するのではないか?いつもと様子が違う』
『そうなった場合、我が命に変えても止めて見せる…心配するな…』
蕭白の表情に覚悟が見て取れる。それ程、秋月本人も気付かぬ内に、体から凡ゆる力が溢れ出していた。
草むらが異様に激しく揺れた。
何者かが近付いてきている。
流風も清流も一気に緊張感が高まった。
晴天に霹靂が飛ぶ5へ続く