あらやす日(本)誌 -22ページ目

東西冷戦時代に生まれた日本的「平和ボケ」からの脱却

20世紀後半の東西冷戦時代、

世界で核戦争等の大きな戦争はおこらず、

「冷戦」に終わった。

 

この「冷戦」時代、

多くの国々で核の脅威が広まり、

人々の心に死を想定する「冷」たい気持ちが当然生まれ、

こうした多くの「普通」の国々では、

「冷戦」時代の核の脅威を乗り切るために、

公共事業として多くの核シェルターがつくられた。

 

特に豊かな西側諸国での核シェルターの普及は、

東側諸国(旧・ソ連等では地下鉄等を利用できる大都市中心の普及)よりも多いだろう。

 

国民をほぼすべて収容できる核シェルターを持つ国はスイスだけだが、

多くの豊かな先進諸国(日本以外の国々)では、

公共事業としての核シェルターだけでなく、

多くの人々が個人的に核シェルターを自宅の地下や庭等につくった。

 

 

東西冷戦時代、

日本も、

当然、

ロシア(旧・ソ連)や中国等の東側諸国の標的になっていたが、

この現実を国民が直視することをうまく回避してきた。

 

今でも、

日本は多くの核ミサイルの標的になっているが、

今でも、

旧・西側諸国等での「核シェルター」の設置数等を見ると、

日本の設置数、収容力は世界でもっとも少ない。

しかし、

有事の際に、

「核シェルター」にできる施設として、

都市部での駅前等の地下街や地下鉄を想定していただろうが…

平和ボケの多くの人々がそれに気づくのはこれからだろう。

 

【蛇足】

「平和憲法」と言われる日本の憲法は、なぜ?核攻撃等の国家防衛体制や核シェルター建設で現実的な「平和」を実現しなかったのか?現実的に解釈すれば日本の憲法には、「戦争」の想定を完全に否定する悪徳的な言霊を生んでしまう悪夢を現実化するストーリー(平和を祈念すれば戦争回避できる)があるのだろう。安全保障問題(戦争・紛争の歴史等)等を大学で学べない日本(日本では防衛大学だけで学べるが海外では多くの公的・私立大学で学べる)では、戦争は地震・台風等の自然現象よりも天災的な妙な概念になっている。

 

 

東西冷戦時代、

核の脅威を「普通」に感じていた「普通の国」=欧米諸国等では、

東西冷戦の終わりで、

この脅威は昔よりも急激に消えてきているが、

今でもその脅威がもしおきても、

それは珍しいことではなく、新しい危機感でもない。

 

今、

北朝鮮の核ミサイル問題=朝鮮半島の有事を「普通」に想定すること、

東西冷戦時代に欧米諸国が「普通」に感じていた脅威を想定することは、

今まで半世紀以上かけて平和ボケを享受してきた日本(日本人)が、

核シェルターもつくらずに東西冷戦を直視させなかった日本(日本人)が、

やっと、

ついに、

「普通の国」(普通の人)になれる絶好の機会、好機だ。

 

【蛇足】

・北朝鮮の核ミサイル問題を直視すべき今年3月に、新聞・週刊誌の三面記事的な森友学園問題でメディアの報道や国会での貴重な時間が浪費されたことは、まさしく亡国的な「平和ボケ」の末期症状そのものだったと現代史に残るだろう。

・国会やメディア等では公表的な表に出す議論はなかったものの、北朝鮮問題は最大の問題=安全保障問題として安倍政権内と内閣府、防衛省・外務省等で24時間体制で常時的な情報収集、議論等が行われていたと思う。

シリア「化学兵器」疑惑〜米・報復措置は…真逆の意図?

4/4、

シリア(アサド政権)の空爆で、

化学兵器が使用された「疑惑」が出た。

 

4/6、

米・トランプ大統領はシリア攻撃を決断し、

シリア沖合の2隻の米・艦船(イージス艦)から巡航ミサイルが発射されて、

シリアの空軍基地を攻撃した。

攻撃された空軍基地には、

化学兵器の爆弾を投下した「疑惑」のあるロシア空軍機が駐屯していた。

 

【蛇足】

・国際的な非難が出る化学兵器をシリア(アサド政権)とロシア空軍機は本当に意図的に使用したのか?この疑惑の出ているサリン等の化学兵器は、通常の正確なミサイル等の攻撃力よりも攻撃目的があいまいで、攻撃すべき拠点の周辺にも害毒が席巻するので、多くの住民に被害が出た。シリアでの化学兵器使用は、4年以上前から問題視されて、国際的な孤立を導く原因になっているが、なぜ、意図的?に化学兵器を使用したのか?その意味で非常に不思議な「疑惑」的だ。

・シリア(アサド政権)とロシアを非難するために、空爆と同時に化学兵器が何らかの地上での工作で使用された可能性(空爆されない兵器の発見等)、また、空爆地点に化学兵器を入れた爆弾の破片があれば、爆撃機への装着時に工作があった可能性も当然否定できないだろう。これらの証拠で何が出ているか不明。そもそも空爆などから二日程度で証拠を発見・調査するのは不可能だろう。

・中東において、シリア(アサド政権)とロシア(空軍中心)・イラン(陸軍中心)の駐屯部隊は、四面楚歌的な状況にあり、敵対する仮称IS国だけでなく、周囲にトルコ、イスラエル、サウジアラビア等の多くの敵対勢力に囲まれている孤立的な地政学上のメッカになっている。

 

 

今からちょうど4年前、2013年4月〜8月にも、

また、それより前からシリア(アサド政権)による化学兵器使用の疑惑が出ていたが、

当時の米・オバマ政権は報復的な攻撃をしなかった。

 

シリアのアサド政権が化学兵器を使用したら、

「レッド・ライン(最後の一線)」を越えるので軍事介入をする、

と口先だけで警告していた米・オバマ政権は最後まで介入しなかった。

すなわち、

シリアのアサド政権による化学兵器の使用は、

「疑惑」でしかなかった、

というのがオバマ政権時代の結論だったのだろう。

 

【蛇足】

「レッド・ライン(最後の一線)」は、口先だけでノーベル平和賞を取った元・オバマ大統領の口先だけのうまい文句なのか、そもそも理屈通り、「疑惑」だったのか?

 

 

アメリカのシリア攻撃は、

正しい選択というよりは、

単純に、

前政権とは逆のことをすること、

それが目立ちたがりの米・トランプ政権の意思決定になるのかもしれない。

 

それは、

オバマ大統領ができなかった勇気のある意思決定=決断だが、

この決断に100%賛成することはできない。

ただ、

今回の疑惑的ではっきり見えない化学兵器よりも、

北朝鮮が実験的に発射するミサイルの脅威の方が、

はるかに大きくはっきり見えるようになったことは100%間違いない。

 

【蛇足】

・今回の化学兵器「疑惑」によってトランプ大統領が意思決定したシリアへの軍事介入は、中国・習近平主席との会談時(4/6~4/7)に行われたので、北朝鮮と安全保障条約のある中国へ何らかの期待、間接的な何らかの意思表示があったのだろう。

・大量破壊兵器の疑惑をイラク戦争のきっかけにした米・ブッシュ政権時代のように、トランプ政権も疑惑を単純に利用する可能性が高い。

 

平和ボケのゴジラ映画〜「シン・ゴジラ」

昔の「ゴジラ」の映画ならば、

怪獣を早くやっつけようとしただろう。

 

昔ならば、

怪獣が剽軽な子供っぽい段階(脱皮してゴジラになる前)ならば、

早々に駆除されただろうが、

「シン・ゴジラ」では…

すぐには防衛できない日本政府の失策の中で、

徐々に怪獣が脱皮して強いゴジラに成長してゆく。

 

 

「シン・ゴジラ」では、

東京湾に出現した怪獣(脱皮前的に成長中のゴジラ)が、

大田区に上陸してから体を傷つけない安全な道を選んで品川区へ向かう。

 

【蛇足】

確かに親(シナリオ書いた方)は子供(脱皮前のゴジラ?)を守る努力をする。

 

その怪獣は、

安全な道をシナリオ上選んだようで、

建物をあまり破壊しないように、

死傷者をあまり出さないように幹線道路を中心に歩き出す。

 

怪獣は、

動きながら、マンション等の建物を少し崩壊しながら、

数百台の自動車を破壊して、

住民等の死傷者(死傷者数は…不明)も出すが…

この破壊行為を放置する時間が長い日本政府がいかにも現代っぽい状況だ。

 

怪獣が出てから映画内の時間=シナリオ上では2時間、

映画上映時間では20分くらいたっても、

怪獣に向かって警察も銃を撃たず、

自衛隊もまったく攻撃しなかった。

 

昔の映画ならば、

早々に戦闘機による攻撃を仕掛けただろうが、

今回は戦闘機ではなく攻撃性が弱い攻撃ヘリが出撃し、

しかも、

住民が攻撃する怪獣の周辺にいたためヘリの攻撃も中止してまう。

 

怪獣が都内大田区ではなく、

米軍基地のある横須賀に向かったら、

米軍の戦闘機が自然に早々に攻撃しただろうから、

ゴジラになる前の早い段階で退治されただろうから、

30分で映画は終わっていたかもしれない。

 

「シン(新)・ゴジラ」というよりは、

信(シン)じられない妙なゴジラ映画だった。

 

 

「普通」の国になるアメリカ〜日本も「普通」の国になる?

ここ五十年以上、

アメリカの政界は百年前の大昔よりも、

「国外問題」を助長しながら重視してきた。

 

【参考】

・アメリカはイギリスからの独立戦争後(1776年)、西欧からの移民を中心に領土開拓で拡大して、南北戦争(1861年〜1865年:この戦争直後、日本は明治維新になる)後に現代のアメリカの国境線(国内の概念)が明確になる。「国」内の範囲が明確になった19世紀後半に「国内」「国外」の線引きが生まれ、アメリカはイギリスの海外進出の手法=植民地化等を模倣して海外進出をはじめてゆく。

・アメリカは先住民等を弾圧して構築した西欧等の移民による国・社会で、ここ半世紀はメキシコ等から多様な移民が増加している。アメリカでは、歴史が浅く、古い歴史のある母国からの移民国家なので、西欧諸国や日本等で伝統的に存在している「国」や「国益」の概念が希薄だった。歴史を蓄積したことで、形式的な概念だった「国」が実質化して、米・トランプ政権の唱える「アメリカ第一主義」が生まれつつある。「国」は、先進諸国の多くの国では「普通」の概念でしかなく珍しくないが、目下、アメリカでは構築中の概念だろう。

 

 

アメリカでは、

「国内問題」で最も重大だったのは移民問題だったが、

「国外問題」を重視したことで移民が増大し、

人口増加で人口減少問題だけは問題にならなかった。

 

アメリカへの移民は、

メキシコ等の南米からだけでなく、

東欧、中東等からの移民も増大し、

都市部を中心に移民が集中したことで、

アメリカの「国」の文化にも影響を与え、

南北戦争的な新しい分裂、

国民のためか?移民のためか?国内重視か国外重視か?

が起きつつあるようだ。

 

 

21世紀初頭まで、

国外問題を国内よりも重視してきたアメリカは、

第二次世界大戦時代〜東西冷戦時代から西側の中心国になって、

多くの戦争・紛争・内乱に関与してきた。

また、

海外からの労働者、移民等が国内に大きく流れ込み、

「国内問題」の主人公になる自国民を無視または軽視したことで、

「普通」の国ではない動きがさらに出てきた。

 

東西冷戦後のアメリカでの外交問題としては、

東側の中心国だったソ連(現ロシア)に対しては、

自由化・民主化されても対立的に抵抗してきたが、

東西冷戦時代に米中友好で密接な関係になった中国に対しては、

共産主義社会を認めただけでなく、さらに、

中国の資本主義導入による帝国主義化、軍事大国化を認めて、

間接的に政治・経済的に中国を支援してきた。

 

【蛇足】

1920年ごろ、旧・ソ連等がつくった国際的な共産主義組織・コミンテルンによって、中国・共産党と日本・共産党はほぼ同時期につくられたが、当時、中国よりも日本での共産主義運動の方が盛んだった。1970年頃からのアメリカの中国・共産党への自由放任的な支援は、さらに間接的に日本・共産党を政党等として日本が許容することも導いたと言える。

 

 

自由放任的にアメリカが支援してきた中国は、

国内的な問題では、

チベット、ウィグル人等の少数民族弾圧等で漢民族の領土を拡大し、

国内の「人民」には人権も与えず、民主化の動きも弾圧している。

 

中国の国外では、

領海拡大のために、

東シナ海(尖閣諸島など)、南シナ海(人口島の要塞化など)に侵攻し、

また、

世界各国で金・便宜等をばらまいて経済的支配を拡大している。

 

ここ半世紀、

中国の領海・領土侵攻、経済的支配の拡大についても、

アメリカは国連等での国際問題にもせずに、

中国の帝国主義的「自国主義」の動きを放置してきた。

 

日本もアメリカの動きに同期・同調し、

国内で左翼的な思想を百年以上許容していたこともあって、

共産主義国家・中国の政治=非人権的、侵略的な意思決定に自由を与え、

その結果、

中国の悪しき軍事大国化をなかば放置してしまった。

また、

日本の多くの学者・メディア関係者は、

アメリカに加えて中国を「大本営」的な情報源として重視して、

中国等が間接的に支援する反日的な言動・行動を国内で生みだし、

自虐的な日本社会をつくってきた。

 

しかし、

アメリカは「普通」の国になりつつあり、

今後は中国に対しても、

「普通」の外交、「普通」の関係、

「普通」の主張などを普通に行って行くだろう。

 

旧・西側陣営の中で日米安保を最優先してきた日本は、

アメリカの「普通」化で同盟関係の希薄化や解消も想定しつつ、

日本も「普通」の国になってゆくことを当然考える時代になっている。

 

さて、はて、

「普通」の国とは何か?

 

戦後、ここ50年以上続いた日本の時代は、

江戸時代のような、引きこもり的な妙な国、

軍事大国アメリカに安全保障を一方的に依存できたことで、

アメリカ依存の「普通」ではない「平和」な国だった。

 

今は、

さながら江戸時代末期〜明治時代初期のようなので、

今後は、

「普通」を普通に考えて、

日本と諸外国とのギャップを埋めるために、

諸外国を客観的に見つめてゆく必要がある。

 

さて、はて、

理想とすべき「普通」の国は…?

それは想像しにくい難しいイメージになるが、

最低限度の「普通」さはわかりやすい。

 

思うに、

日本国内での「反日主義」は、

「日本第一主義」とは真逆であり、

当然、その背後には「外国(中国等)尊重主義」的な動きがあるので、

諸外国同様にこれを「普通」に想定して反日主義を蔑視するのが、

「普通」の考え方だ。

また、

国際問題を生じない「普通」の国益を模索し、

この尊重すべき国益、国民の生命・資産等を防衛するために、

「普通」の軍を持つことは、

「普通」の国そのものの姿だ。

 

その意味で、

今の日本が「普通」の国ではないから、

「反日主義」の言葉に普通の国益を乗せて、

今の日本の針路を変えて「普通」へと脱却するのは、

正しい普通の道だろう。

 

「普通」の国、社会になるには…

政治を担う政治家等が「普通」になる前に、

民主主義国家、日本では、

「国民」「社会人」が「普通」の国をイメージできる、

「普通」の人になるしかない。

 

【蛇足】

・「普通」の国を人々が当たり前に自然に抵抗なくイメージするには、学校教育、メディア等で洗脳的な、専門的な仕事をしている業界が「普通」の業界になる必要があるが、実際、日本ではこれらの業界が「普通」化を積極的に否定する大きな力、「普通」の自由を抑制する露骨な動きがある。そもそも、日本のメディア産業は、浅はかな商売中心で、その他の普通の諸産業とは異なって歴史もなく、また、調査的な独自の報道がなく、明確な商品・サービスが少ないので(勝手につくったウソの情報はあるが)、異常性がつきまとう。

・20世紀で最大規模の犠牲者を出した共産主義国の歴史(共産主義思想の現実化)を考えずに、また、中国等の現代的な帝国主義の領土・領海拡大を考えないことは、思想上、右(中国等)も左(共産主義等)も考えない浅薄だが「中庸」のような、子供っぽい寛容の精神なのだろうが…それでは、左右の実態を把握できる「普通」の中庸、「普通」の知性は生まないだろう。低レベルな「中庸」の見方でも、極端な左・右思想を共に実現して諸外国に圧力をかける中国は、中国史だけでなく世界史にも残る不思議な国に見えるだろう。

・「政治」「国内・国際問題」等の社会問題に関する知見・知識は、先進諸国でも、人類全体でも決して高いとは思えないが、先進諸国では日本のレベルは非常に低いかもしれない(世間体重視で関心度は高く見せるだろうが…)。その結果、民主主義社会である日本で、投票行為で選ばれる議員(政治家)のレベルの低さが露骨に出てしまうことがある。

紛争中の南スーダン〜「戦闘」想定は当たり前だが…

現在、10ヵ国以上の多くの国々から「軍」が派遣されている国は、

中央アジアのアフガニスタンと、

アフリカの南スーダン。

 

昨今、

西欧圏に近く豊かさもあるシリアの移民・難民が国際的な問題になっているが、

西欧圏から遠く貧窮がどん底的なアフガニスタンやスーダンでは、

移民・難民が国際問題になることはない。

 

 

21世紀で歴史上最大規模の死傷者を出して、

内戦が起きたのはスーダン(南スーダン)。

 

スーダンの中央地域で巨大な石油資源があったこともあり、

諸外国の影響(植民地支配的な介入?石油メジャーの介入?)も受けて、

スーダンの南部で内乱がおきて、

国土が南北に分割されて2011年に南スーダンが独立した。

 

南スーダンでは、

今も紛争は続いており、

移民・難民よりも多くの死傷者数が出ており、

国連報告書によると現時点でも、

約100万人が餓死寸前状態にある。

 

現代の国連PKOの目的である「住民の保護」よりも、

自国の派遣した「軍」が戦闘に巻き込まれることを回避するという、

妙な派遣の前提を築いている国は非常に珍しいことだろう。

 

最大規模の内戦が起きた南スーダンに、

今、20ヵ国以上が「軍」を派遣している。

これらの派遣した自国の「軍」が、

「戦闘」に巻き込まれないことを想定すること、

それは夢のような妙な想定でしかなく、

PKO等で派遣している世界各国の中だけでも、

日本だけが持つ夢のような、妙な妄想的なイメージだ。

 

【参考】

・国連平和維持活動(United Nations Peacekeeping Operations:略称してPKO)。東西冷戦の終結後,国連の役割の高まりとともに、国際社会が対応を求められる紛争の多くが国家間の紛争から国家内の紛争および国内紛争と国際紛争の混合型へと変わった結果,国連のPKOの任務も多様化している。

・南スーダンに自衛隊をPKOとして派遣させたのは民主党(現・民進党)政権。

 

 

日本は、

軍事の知見がない「文民」を中心に、

「軍」をあいまいな軍=「自衛隊」と呼称して、

諸外国に対しても明確に説明できない妙な定義を前提に、

自衛隊を南スーダンに派遣している。

 

【参考】

「文民」は政治家、官僚、一般国民などであり、「軍人」でない人のこと。

英語の”civilian”(シビリアン)の訳語として「文民」は生まれ、戦後に制定した新しい日本国憲法等で初めて使われ始めた日本語。

 

 

日本以外の国々は、

「軍」の派遣において、

「軍人」の当たり前の意見を取り入れて、

「戦闘」が起きることを当然想定している。

これを当然のことして想定できないような安全地帯ならば、

軍がゆく必要はまったくない。

 

この当たり前の現実的な想定によって、

派遣する軍自体が率先的に自主防衛できるのが普通の「軍」だ。

その意味で、

「軍」ではない、日本の「自衛隊」は、

未熟な「軍」=未完の自衛隊=未衛隊だろう。

 

南スーダン=戦闘が起きやすい地域に、

日本の変な「軍」=普通の自衛もできない自衛隊を派遣すること自体、

異常な想定下での妙な派遣でしかないだろう。

 

【蛇足】

南スーダンに派遣している自衛隊は、道路等の工事を行う施設部隊だが、このメインの部隊を護衛する部隊も若干派遣している。これらの部隊の人々は、地球上でもっとも危険な地域、南スーダンで命をかけた任務になっており、ストレスがもっとも高まる危険な任務だろう。

 

 

この異常で夢のような派遣を定義しているので、

この奇妙な派遣の前提を崩しかなねいのが実際の現場。

 

思うに、

現場での”戦闘”的な事実があったときに、

素直に事実を記した「日報」がありのままに情報公開できないのは、

単純な「隠蔽」というよりは、

派遣の前提があまりにも現場から離れた夢物語だからだろう。

 

日本の「自衛隊」を諸外国と同じ「軍」として、

最低限、名前の通りで「自衛隊」として素直に定義しないと、

「未完の自衛隊=未衛隊」でしかない。

 

現代の「自衛隊」は、

国内では安全だろうが、

国外の危険な紛争地帯の中において、

率先して自衛できない専守防衛的な危険なルールで縛ったら、

致命傷になる危険も高まり、ストレスも溜まる。

 

「自衛隊」を世界共通の普通の「軍」にすることは、

「戦後日本」を脱却して、

日本再生に必要な、不可欠な最大のインフラの道だろう。

 

【蛇足】

普通の「軍」として「自衛隊」を再生せずに、海外に「自衛隊」を派遣することは、海外で自衛隊への攻撃が最優先される可能性も高く、集団殺人に近い犯罪行為かもしれない。

 

 

森友学園問題〜安倍政権打倒のための低レベルな工作?

財務省等の行政機関は、

勝手な行政手続き、勝手な判断(行政権の濫用)をしないように、

行政機関内での狭い情報に限定せずに、

広く情報収集等をして適正な判断をすることになっている。

 

たとえば、

許認可や公的資産の売却の場合、

この種の流れを見ると、

 

個人・団体等→相互に情報収集←財務省等の行政機関の判断

→許認可等や公的資産等の民間への売却等へ

 

「個人・団体等」は、

民間の個人、営利企業の民間法人等だけでなく、

組合等の団体、他の行政機関、公的な関係団体、昔は国営会社だった法人など、

いろいろだ。

 

「個人・団体等→情報収集←財務省等の行政機関の判断」の中で、

審議会等でも出た詳細な客観的な数値的な情報、

文字化できる明確な条件等だけでなく、

高度な判断=「忖度」(相手の気持ちを推測)して意思決定することは、

民間での取引、売買等の場でも当然行われる慣習的な行為だろう。

 

 

大昔〜昔から、

JR(旧・国鉄)、NTT(旧・電電公社)、JT(旧・専売公社)等の旧国営企業、

電力会社・ガス会社等のインフラ事業を行う会社だけでなく、

渋谷の一等地にあるNHKや築地の朝日新聞本社などのメディア産業等にも、

露骨な営利事業ではない公益的な立場を尊重的に「忖度」したことで

相手に有利な公的資産の売買があった。

 

行政機関がかかわる許認可や公的資産の売却等の方法について、

国会で議論するならば、

さらに事例や範囲を拡大して、

一般化できる法令等を議論する必要がある。

 

国会では、

事例を広範囲に広げて新たな許認可基準や売却基準、

これらのプロセスでの情報公開等の法令化等、

一般的な基準等の全般的な方向性を国会で議論すべきで、

また、

詳細については予算等の委員会で議論すべきだろう。

 

国会と委員会や審議会、地方自治体の議会で、

個々扱うテーマについては、

法令化等で制度化しにくい基準なので、

個々の議会で何をテーマにして時間・労力(税金等も)をかけるか、

ここに議会のモラル=慣習的な姿、

政党・議員等の性格等を如実にあらわすことになる。

 

そもそも、

森友学園問題は個別の問題でしかないので、

国会ではなく、

豊中市議会、大阪府議会=地方自治体の議会で議論するテーマだ。

 

今、目の前で見えてきたのは、

国策的な議論を棚上げする行為であり、

地方自治体レベルのテーマを国会の俎上にあげたことだ。

そこに、

国会のレベルの低さ、品位のなさ、

そして、

その実態を説明しないメディア、政治評論家等のレベルの低さだろう。

 

【蛇足】

・森友学園問題は、国際的な問題でないため、海外では大きく報道されていない。ただ、安倍政権打倒の動きがこの問題の目的にあるため、海外でもっとも第一面的に報道しているのは、反日政策を明確にしている中国だけだろう。

・日本の対中国政策として力を入れたTPPについて、TPP担当大臣の甘利明氏を政権から追い出すために工作的な疑惑(使用された紙幣のコピー等)が出た。そこには、都市再生機構(UR)をめぐって秘書の仕事にかかわった口利き疑惑で、本人、甘利氏の政治活動に悪い影響を与えるメディア等への工作が背後にあったと思われる。今回の森友学園問題も、甘利氏の疑惑と同様に、安倍政権打倒を目的にして、「秘書」だけでなく本人との関与も想定させる口利き疑惑的な状況(似たストーリーを持つ工作的な疑惑)になっている。

・日本は先進諸国では唯一ともいえるレベルで、政党に共産党等の左翼組織を許容して税金まで投入している珍しい国。日本は、思想の自由を世界でもっとも許容し、国益を損失する反日・左翼的な活動等も自由にできる珍しい国だから、外国勢力から下請的に受注して国内で活動できる個人・工作グループも生まれてしまうのだろう。

・国土・人口の割合から見て小さな国でしかない日本が、地球上でトップレベルの知力、豊かさを持って繁栄している理由には、元寇の役(中国の侵略)等や植民地拡大を目指した西欧の外国勢力に抵抗しただけでなく、伝統的な思想に加えて多くの新しい思想を独自に解釈して許容することで人材を豊かにしたことにも主因があるからだろう。

しかし…ここ50年くらい日本の成長性が停滞し続けて、また、中国等の領海侵略的な動きや国内での反日的な行動を誘っている理由としては、従来必須にしっかり存在していた国益や道徳の概念が希薄になったことで日本が弱体化したことに大きな主因があるからだろう。

 

 

 

奇妙な国会と奇妙な日本の株式相場

経済政策等の国策の議論を棚上げして、

森友学園問題をテーマにした奇妙な国会になっているが、

最近、

日本株式(下記:日経平均の日足チャート)でも変な相場が続いてきた。

 

 

ここ半年くらいの日経平均のチャート(上記)を見ると、

昨年11月9日は、

米・トランプ政権樹立で暴落して翌日暴騰して、

二ヶ月弱上げ続けたが、

今年に入ってから約3ヶ月間は小幅な上下変動を繰り返してきた。

 

大口投資家や無国籍な国際金融業に連動する日経平均は、

一見、平凡な相場展開だが、

個々の株は日経平均の動きに連動せずに、

下げているものもある。

 

最近では珍しく、

昨日3月22日の下げ幅は、

急激なドル円高に同期した大きな下げになり、

今日は下げ止まって少し上げた。

 

珍しい動きは、

転換点周辺かもしれず、

そろそろ奇妙な動きが変わるかもしれず、

さて、はて、

新年度からはどうなるか?

 

実際、ここ3ヶ月の小幅な上下変動は、

定期的、ルーチン的な平凡な動きにすぎず、

大きな上げ下げ、一方向への長期間的な動きが、

奇妙な動きなのかもしれない。

 

国会で、

森友学園問題のような、

平凡にも達しない低レベルなテーマを出すことは、

国会の歴史に残る奇妙なことだろう。

 

 

 

国・社会の移民の差=多層化→都市と郊外・田舎の地域差

多くの先進諸国等の国内では、

都市部で外国人が増えて、

都市部と他の地域でいろいろな問題、

地域差が出ているようだ。

 

アメリカでは、

10人に1人以上が不法移民になっている大都市が10以上あり、

100人に5人くらいなら、

さらにもっと多くの都市が該当する。

 

トランプ政権は反移民政策を打ち出したが、

その政策をなかば拒否している都市が300以上もあるようだ。

 

これらの大都市で大手メディアは存在していることから、

地元のニーズ・便宜等を得て反トランプ勢力=民主党側を応援したことは、

間違いないだろう。

 

 

イギリスの首都ロンドンでは、

住民の3分の1以上が外国生まれで、

イスラム系の人々も多くなっており、

移民的な外国生まれが10人に1人くらいになっている都市も多いようだ。

 

壊れてしまった住み慣れた故郷を離れて、

移民・移住する行動によって、

去った故郷だけでなく移住した国・社会でも、

「こわれゆく世界」(映画『こわれゆく世界の中で』)

にかかわってゆく可能性がある。

 

【参考】

映画『こわれゆく世界の中で』(Breaking and Entering、2006年・イギリス映画)は、ユーゴスラビア紛争(1991〜2000年の紛争でユーゴは8ヵ国に分裂)でボスニアからロンドンに移住した母親(イスラム系)と息子(犯罪に走る少年)がでてくる。

主人公の若き建築家のウィルは、リヴとその娘と共に暮らしていたが、リヴの娘は自閉症で、それが原因でウィルとリヴとの間に緊張が生まれていた。そんな時、キングス・クロス(倉庫等の多い地域で再開発中の場所)にあるウィルの事務所に強盗が入る…3人の家族と移住した二人の家族をテーマにしている。

 

 

 

ここ四半世紀で移住する外国人の母国は、

移住先の国々の歴史と政策に深く関係しており、

イギリスは関係の深い国々や植民地にしていた国々、

ドイツはトルコ等、

アメリカは南米諸国等、

日本は中国大陸(中国・朝鮮半島二国)の方々が多い。

 

かつて、

日本でも「1,000万人の移民」を謳う政策案が出たが、

それは、

アメリカやイギリス等を模倣した外国人受け入れの「グローバリズム」で、

ここ四半世紀、日本に住む外国人も増えてきている。

 

諸外国同様に、

日本で外国人の移住・移民を増加させる政策の目的は、

国内の人口を増加させて、安く若い労働力を確保することで、

また、

日本に誘導する母国は国内での失業等の問題があるからだ。

 

外国人を受け入れる多くの国にとって、

経済力の貧弱な社会・母国で不幸な生活をしている人々を救うことは、

二の次、三の次的な目的だろう。

ただ、

日本は伝統的に平等主義があり、

「第一」以上にするだろうが…。

 

一般的な外国人の受け入れのグローバリズムは、

個々のミクロ的には、

諸処のビジネスと深い関係があり、

マクロ的には、

貧富の差、安全度の差で世界をさらに固定的に拡大的に二極化して、

昔の奴隷制度を円滑に現代的に「再生」すること、

それが目的なのだろう。

 

この不幸な外国人受け入れのグローバリズムの動きを回避するには…?

 

国連等の国際機関に力(ノウハウ・資金等)を与えて、

さらに、

豊かな国々は、

移民・移住してくる母国・母国的な社会の「再生」を描いて、

国際貢献に力を入れるべきだろう。

 

【参考】

・今、日本に住む外国人は約220万人(その半数以上が「外国人労働者」)で、その半数以上が中国人と朝鮮人(韓国・北朝鮮)で、日本に住む中国人(約70万人)の半分以上の方々が東京と首都圏に住み、また、日本に住む朝鮮人(約70万人→日本国籍にした方々は約20万人超?)のうち半分以上の方々が関西(特に大阪)に住んでいる。昨年から日本で急激に増えたのはベトナム人(約17万人)だが多くが住んでいるのが首都圏か?どこか不明。

 

【蛇足】

・大阪(豊中市)での森友学園問題には、野党側が国会で問題視する背景に他の地域では見えない地域差的な原因もあるのだろう。

・沖縄での基地反対運動と同期した反日的な運動のために、沖縄復帰後から沖縄に県外から大挙して集合している左派的な活動家等と、昨今の中国寄りの工作資金等の集まりには、日本国内での地域差をあらわしている。

 

「悪魔の手」から救済〜日本独自資本「再生」

資産の価値を決める経済市場でのバブル&バブル崩壊を、

大地震や大津波のような天災だと単純に定義することは、

単純なごまかしでしかない。

 

1985年頃から仕掛けられて暴騰し、

1990年頃にかけて暴落した日本株は、

まさしく経済的な核爆弾=バブル&バブル崩壊。

 

その頃から、ここ四半世紀、

日本独自の金融資本は、

急激に国際化の流れに飲み込まれて、

弱体化してきている。

 

サブプライム&リーマン・ショックの影響…

その直接的な悪影響は日本になかったものの、

国内の民間金融資本は、

消極的で主体性が持てない状況になっている。

 

日本の金融資本の経済史でその動きが明確に明白に見えるならば、

ここ四半世紀で異次元的な状況になっていると見えるだろう。

 

【蛇足】
・日米での円高・ドル安政策=プラザ合意(1985年)があり、その頃から国際金融業界の日本での取引拡大(先物・デリバティブ取引の規制緩和等)が始まった。

これらの外国資本の動きが拍車をかけて1990年前後のバブル&バブル崩壊がおき、その後、さらに企業・グループ間での株式持ち合いが崩されて(ドイツ等は株式持ち合い制度を防衛したが)、外国資本の日本支配は拡大してゆく。

・バブル&バブル崩壊後〜20世紀末、外国資本勢力の拡大と同時に、オウム真理教によるテロ的な「悪魔の手」がたくさん生まれて多くの被害者も出ている。

 


昨年11月9日、
アメリカ大統領選でトランプ氏が大統領になった日、
日本の株式(下記:日経平均)は大きく暴落して、

翌日は大きく暴騰した。

 

誰の手が暴落&暴騰を仕組んだのか?

 

 

日経平均株価が2日間で上下した暴騰・暴落の差は、

1,700円くらいはあっただろう。

2日間での日経平均の平均値は17,000円くらいだから、

10%を占める発作的な暴騰&暴落だ。


日本株のこのような発作的な動きは、
先物取引等で外国資本が拍車をかけ、
貧弱な日本国内資本も単純に同調して、
ミニ・バブル崩壊&ミニ・バブル的な動きだっただろう。

 

これは国際金融資本が出した「悪魔の手」の中で、

慌てて動いて元に戻った短絡的な相場観のように見える。

 

【参考】

アメリカで世界有数の資産家でもある投資家ジョージ・ソロス氏らは、反トランプ=民主党・クリントン候補を支援し、トランプ政権樹立を好機と考えて売り的な投資(暴落を目指した投資)行ったが、その後、1ヶ月くらいで大損(約1,000億円以上)している。昨年11/9の日本株の暴落にソロス氏らの手が入ったことは確かだろう。

 

 

ここ四半世紀で、

日本で少額・小口な個人的株式投資が大きく減少しているが、

それも仕方ないことかもしれない。

 

また、

ここ四半世紀で、

日本が外国資本に相当支配されてしまった、
という見方は正しいだろうが、
逆に、
日本国内の独自の民間資本そのものが主体性を失って、
外国資本に右往左往される受け身的な市場をつくっているようだ。

 

自由経済の市場において、
金利、為替、株価などの数字が、
天災のような摩訶不思議な「神の手」で決まると思っているようだが、 
実際、貪欲な外国資本に利用されることになる。

 

サブプライム&リーマン・ショック後、

自民党等の従来の保守派が撤退して、

2009年〜2012年の民主党(現・民進党)政権が生まれた。

民主党政権は、

放置主義的な無策=金融・財政縮小政策を生み、
増税論を固めてデフレを定着させたので、

まさしく「悪魔の手」に支配されていた時代(今も…?)だろう。

 

【蛇足】
サブプライム&リーマン・ショック(2007〜2008年)で2008年ごろから、日本以外の先進諸国、中国は金融緩和政策(ドル安政策等)を実施して経済危機を乗り越えようとした。当時、経済危機の可能性が低かったたためか、国際貢献政策のためか、日本だけは民主党(現・民進党)時代に金融緩和政策(円安政策)を実施しなかったために円高・デフレ政策になった。

サブプライム&リーマン・ショック後、アメリカ等の多く西欧諸国が金融緩和政策で再生し、2013年からやっと日本も安倍政権以後、世界共通的な普通の経済政策(特に金融緩和政策)を行っている。

 


バブル&バブル崩壊から2012年まで約四半世紀、
日本の金融市場は、
独自の投資判断等を棚上げして、
欧米・中国などの外国資本の動きに受け身的に従う奴隷民になっているようだが、
安倍政権の誕生で、
日本銀行等の政府系資金(日本独自の主体性のある資本)の活用が始まり、
「悪魔の手」を操作する無国籍的な外国資本勢力に抵抗を始めている。

 

【蛇足】
・イギリスの学者アダム・スミスは、多くの人々が関与して動いている巨大な経済を動かす手を「神の手」ではなく、単に「見えざる手」と言った。

アダム・スミスは道徳感情を経済学よりも大事にしていたこともあって、「見えざる手」の第三者的な解釈として、「見えざる手」を持つもののは神であって、その神は悪魔的な神ではなく道徳観のある神だとも考えられている。道徳観もなく莫大な利益を追求する国際金融業の神的な手には悪魔の手も存在するだろう。

・20世紀以初頭後、世界を席巻した「共産主義」は、間接的には社会福祉制度の拡充、税金による富の分配等で修正資本主義的な社会を生んだが、直接的には「悪魔の手」となって、諸文化・伝統の全否定による人類の価値の破壊、共産主義国家やテロ的な組織によって数億人規模の多くの被害者を生んだ。

 


バブル&バブル崩壊の前まで強かった、

日本の独自資本を再生することは、
日本経済を再生するために最大の課題だろう。

 

 

ここ百年、
アメリカは自国の国益を第二・第三と低位に定義し、
多くの国民を犠牲にした多くの戦争に関与していた。
また、
東西冷戦後は、
グローバリズムで無国籍的な国際金融業界も豊かにしてきた。

 

アメリカ・トランプ政権が唱える「アメリカ第一主義」は、
約百年で構築してきた反保守的思想を破壊することだろう。

 

長年のアメリカ史から見れば「アメリカ第一主義」は、
アメリカの政界・経済界では比較的新しい概念だろうが、
日本等の先進諸国では当たり前の伝統的な概念だろう。

 

アメリカ以上に長く連なる日本の歴史から見て、
ここ70年以上喪失しつつあった「日本第一主義」を少しでも再生すること、
「再生」する中でも四半世紀前くらいまで、

日本経済が最後まで維持してきた、
国内の金融資本的な分野を再生することは、
今後の明るい日本の未来をつくるだろう。

 

【蛇足】
「日本第一主義」を再生する場合、まったく同じものを単純に模倣して再生しないことは、歴史的な教訓を重視するきまじめな日本(日本人)の伝統的な「再生」の手法だろう。

かつてのように、真珠湾攻撃(アメリカを第二次世界大戦に参戦させたきっかけ…アメリカも巻き込まれた日本の攻撃)のように日米共に諸外国(特にイギリス等)に利用されて、約300万人(遺族等の精神的負担等を入れれば千万人以上)の国民を犠牲にした、軍拡的で悲惨な国粋主義の風潮を徹底的に抵抗することは当然なことだろう。大きな惨禍を経て戦後日本の反保守化的な勢力=反日・左派的な勢力の許容は、アメリカでの反トランプ勢力の許容的な動きにも似ているようだ。

 

 

小説「騎士団長殺し」〜”真実”殺し?

現代的な科学的&歴史的&文学的などなど、

さまざまな複合的、総合的な思考の結果、

その舞台が100年前でも現代的な「小説」が生まれてくる。

 

創作過程の中で、

信仰的で文学的な勝手な妄想を抑制させる、

さまざまな影響が昔よりも今は出てくるようだ。

 

小説家が作品を生む思考は、

文学や科学等の諸分野の知識・経験を融合したものだが、

ベテラン的な有名作家の場合は、

頭脳と手が単純に結びついた自動的・機械的な執筆で、

自動的な妄想化で作品を書くこともあるだろう。

 

村上春樹氏の小説「騎士団長殺し」で、

日中戦争時の南京虐殺のイメージを単純に妄想して、

その妄想(単純な大ウソの模倣)が生んだ虐殺数の大きな数字は、

全体の文字数から見れば些細な文言=小さなウソ

だと認識しているのかもしれないが、

妄想的な小さなウソを他にも多く集めていると思われてしまうと、

作品世界は崩壊してしまう。

 

良識を持った文学的な思考で、

妄想的な物語=フィクションの小説が生まれるが、

妄想的な思考は妄想で終わりかねない。

妄想的・自動的な執筆は、

比較的、知力・体力を浪費しないで大作を書けるが…

 

小説は、

再版されて長く社会に生き残ること=「反証」への抵抗で、

この繰り返しの抵抗=批評等の中で、

文学的な価値が継続的に生まれてゆく。

 

反証とは、

科学の分野で使われるウソの証拠出しであり、

小説にも、

その物語自体とそれを読んだ読者に、

反証を複雑に繰り返すプロセスを持った流れがあり、

読むこと自体、

反証に抵抗して進めて行く知的行動だろう、

 

文字・文章の流れをもった小説等の文学作品は、

勝手な妄想や何らかの信念の結果でもあるが、

わかりやすいウソを残さないように努力すること、

ウソを反証して真実を見つける気持ち、

その気持ちへの執念を持った思考の成果も多い。

 

しかし、

村上氏にとって、

「小説」は、

読みやすい、わかりやすい日本語で書けば、

”南京虐殺”等のような単純なウソが入っても、

所詮、大ウソだらけの妄想的な物語だから、

問題はないという信念があるのかもしれない。

そうなれば、

南京虐殺ネタと連ねて書いているナチスのユダヤ人虐殺も?

ウソになりかねないが…。

いずれも氏にとっては、

妄想=小説の中だけでは妄想上のウソではないのだろうが…。

 

氏は、

創作している作品について、

単純な妄想の成果でしかない妄想小説だと認識しているので、

反証的な動きが作品の評価に介入するイメージもないのかもしれない。

 

大ウソの物語にウソをたくさん入れても何ら問題はないという、

ことなのだろうが、

妄想を妄想で終わらせる、

妄想(イデア)をメタファー的に実体化できない妄想、

こうしたウソの文字集団=大ウソの小説の単純な創出は、

物語全体の価値を貶めて、

作品の文学的価値を落としかねない。

 

【蛇足】

多くの普通の方々は、妄想的な会話はせずに、また、妄想的な文章は書かないが、ベテランで有名な作家・村上春樹氏の場合は、妄想の成果=小説でも、発行部数等の営業的な問題はないのだろう。

 

【参考1】

アマゾンでの読者評価(2017/3/9時点↓)はかなり賛否両論的な状況だ。

 

 

【参考2】

・米・マサチューセッツ大学名誉教授(英文学等)のピーター・エルボー氏は、書き手がまずは心に生まれた純粋な思考イメージ(イデア)を自動的に書いて行くこと=「フリー・ライティング」(Free writing)の重要性を唱え(その後の改訂的なチェックも重要)、下記の著作でも最初の方の項目に「Free writing」をまとめて述べている。ただ、「10分間の”Free writing”」だが。なお、著作などでは、2語ではなく、「Freewriting」で一語にしている。

・思うに、村上春樹氏の創作も、書く前に知力・体力を投入する構想的な企画や個々の歴史的な検証はせずに、改訂チェック時も「フリー・ライティング」を重視していると思われる。

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