自分史 〜小学生時代〜 その3  遊び・スポーツ編 | ぴーやんのブログ

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日々の出来事や読んだ本の感想などを気が向いた時に更新してます。
自分史も始めてみました。

皆さん、小学校の時は何して遊びましたか?

 

学校の休み時間は主にドッジボール、

「天大中小」というボールゲーム(下図)

かくれんぼの変形「盗人と探偵(通称ヌスタン)

「水雷艦長」(ジャンケンと鬼ごっこが混ざったような遊び)

をよくして遊びました。

 

運動(球技)は特に下手な方で、近所の子供達で作った野球チームでは

いつもライトで補欠だったし、

サッカーに乗り換えて日曜スポーツクラブに入っても、

スターティングメンバーに選ばれて対外試合に出してもらったのに、

バックスで守っていた自分に味方がパスしてくれたけれど、相手の

プレッシャーが強くキーパーにパスしたつもりがオウンゴールしてしまい。

即交代。2度と使ってもらえなくなり退部。

走るのは好きだったけど体が小さく、女子でも体の大きい子のストライド

の長さに対抗できなく、リレーや徒競走ではパッとしなかった。

 

小4まで泳げなかった(泳げて10メートルか15メートル)ので、

親に頼んで近くの市民プールの水泳教室に通わせてもらった。

バタフライは出来なかったけど、クロール・平泳ぎ・背泳ぎは出来るようになり、

平泳ぎなら結構長く泳げるようになった。

小学生6年の時には潜水で100メートル(50メートルプール1往復)を

達成して自分的には満足して水泳は辞めてしまいましたが。

 

鉄棒も逆上がりが小5までできなくて、放課後遅くまで練習してた

思い出があります。(手のひらにマメができて潰れるくらい)

 

そういえば、小学校5、6年と同じクラスだったナガタ君は

地元のリトルリーグでピッチャーで4番。その後、中学は報徳中へ行き、

そこでもピッチャーで4番だったのに、報徳高校ではライトで試合に

でたりでなかったり。やはり、才能のある人が集まる高校では勝ち上がる

のは難しいのでしょうね。でも、同年代に金村(元近鉄)投手を擁した

報徳は夏の甲子園で全国制覇。ナガタ君自身も卒業後、中京大学を経て

報徳の野球部監督となり、何度もチームを甲子園に導く名監督になったので

野球を教える才能はあったのだろうね。

その後も侍ジャパンU-18の監督をしたりしているし、Wikipediaで検索できる

ような人と同じ空気を吸っていたと思うと、数少ない自慢したくなる同級生の

一人だ。