皆さん、小学校の時は何して遊びましたか?
学校の休み時間は主にドッジボール、
「天大中小」というボールゲーム(下図)
かくれんぼの変形「盗人と探偵(通称ヌスタン)
「水雷艦長」(ジャンケンと鬼ごっこが混ざったような遊び)
をよくして遊びました。
運動(球技)は特に下手な方で、近所の子供達で作った野球チームでは
いつもライトで補欠だったし、
サッカーに乗り換えて日曜スポーツクラブに入っても、
スターティングメンバーに選ばれて対外試合に出してもらったのに、
バックスで守っていた自分に味方がパスしてくれたけれど、相手の
プレッシャーが強くキーパーにパスしたつもりがオウンゴールしてしまい。
即交代。2度と使ってもらえなくなり退部。
走るのは好きだったけど体が小さく、女子でも体の大きい子のストライド
の長さに対抗できなく、リレーや徒競走ではパッとしなかった。
小4まで泳げなかった(泳げて10メートルか15メートル)ので、
親に頼んで近くの市民プールの水泳教室に通わせてもらった。
バタフライは出来なかったけど、クロール・平泳ぎ・背泳ぎは出来るようになり、
平泳ぎなら結構長く泳げるようになった。
小学生6年の時には潜水で100メートル(50メートルプール1往復)を
達成して自分的には満足して水泳は辞めてしまいましたが。
鉄棒も逆上がりが小5までできなくて、放課後遅くまで練習してた
思い出があります。(手のひらにマメができて潰れるくらい)
そういえば、小学校5、6年と同じクラスだったナガタ君は
地元のリトルリーグでピッチャーで4番。その後、中学は報徳中へ行き、
そこでもピッチャーで4番だったのに、報徳高校ではライトで試合に
でたりでなかったり。やはり、才能のある人が集まる高校では勝ち上がる
のは難しいのでしょうね。でも、同年代に金村(元近鉄)投手を擁した
報徳は夏の甲子園で全国制覇。ナガタ君自身も卒業後、中京大学を経て
報徳の野球部監督となり、何度もチームを甲子園に導く名監督になったので
野球を教える才能はあったのだろうね。
その後も侍ジャパンU-18の監督をしたりしているし、Wikipediaで検索できる
ような人と同じ空気を吸っていたと思うと、数少ない自慢したくなる同級生の
一人だ。
