こんにちわ
ヤスコロリです
このブログは
美容師で内観実践者
自称 西日本ニックネーム協会会長の
ヤスコロリが
心優しいあなたに
自由と、自分らしさと、感動を伝えるために
毎日綴っております
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7月23日 日曜日 くもり
7時30分起床
一度5時くらいに目覚めたら
ソファーで寝落ちしてた
そこから布団のところに行って
2時間くらい寝たので
なんか変な感じ
でも久しぶりに7時間寝れた
疲れてたからまだ寝たかったけど
メルマガ書く時間が無くなるので
頑張って起きた
早起きできなくて
毎度タクシー出勤だった
過去が懐かしい
メルマガは
書くこと自体が楽しくて
そのために時間を作るのは
全然苦じゃない
これが
息をするように
やりたいこと
ってやつなのかもしれないな
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思い返せば
小学校低学年から
作文は得意だったし
好きだった
でもどちらかといえば
先生にウケる内容より
クラスの友達に読まれて
喜ばれるのが好きだった
ふつうは書かないようなことを
作文に書いて驚かせるのも好きだった
先生の評価を気にしてなかったので
国語の成績は別に良くはなかった
でもあのころの私は
純粋に文章を書くことを楽しんで
思ったことを素直に表現できていた
ように思う
それが思春期を過ぎたころから
あまり面白い文章を書けなくなって
いつの間にか書くこと自体やめてしまった
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私は人の能力を見出すのが得意だ
本人が
とるに足らないこと
短所だと思っていることのなかに
その人の才能を見つけることが出来る
会ったばかりの人の
好きなことや得意なことを言い当てて
「なんでそんなこと解るの?」
って気味悪がられることも多い
そんな私から見れば
あらゆる人の中に
可能性の畑が見える
畑の雑草を取り払って
必要な分だけ肥料をやれば
なんらかの作物が必ず育つ
不作の時もあれば
育ちが悪い時もあるかも知れない
でも作物は必ず芽を出して
自ら育とうする
よく観察して
勉強して
根気よく付き合っていけば
いつか豊作のときをむかえる
それはたまたまでも
奇跡でもなくて
その人の努力と忍耐力の
たまものだ
そんなとき人は謙虚で
感謝にあふれて
その人の存在は
周りの人を幸せな気持ちにさせる
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畑の管理がずさんだったり
そもそも一度も自分の畑に
行ったことのない人を見ると
私は他人事ながら残念な気持ちになる
「私はこれでいいの」
その言葉が嘘なのは
響きですぐに解る
「すべての人には可能性がある」
世の中にはそんな美しい言葉が
履いて捨てるほどあふれているけど
私が言ってるそれとはまるで違う
世の中にあふれる「可能性」は
「その人」のことを
まるで見ていない
畑がある土地の特性も条件も
まるで無視して
一坪いくらで売れますよ
これが世の中でいうところの
その人の「可能性だ」
私が見ているのは
その畑から育つであろう作物の価値だ
その畑を運用して身につく経験や知識の価値だ
「これでいいの」という人は
一坪いくらの値段を聞いて
がっかりした経験があるんだろう
もしかしたら
自分の畑でとれる甘いトウモロコシを
一度も食べたことすら無いのかもしれない
もしかしたら遠方にある自分の畑に
一度も行ったことすら無いのかもしれない
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私は自分に
人に喜ばれる文才があることを
すっかり忘れていた
私の畑は草ぼうぼうで
キツネの住みかになり
どこが畑かも解らないくらいだった
私も
一坪いくらの値段を聞いて
畑に興味を失っていたクチだ
こうやって毎晩ブログを書いて
毎朝メルマガを書いている過程で
私は少しづつ
自分の畑の魅力を思い出していった
長年放置されて
やせ細っていた畑は
耕され、雑草を取り除かれ
少しづつ本来の姿を取り戻しつつある
「私はこれでいいの」
そういう彼女をよくよく見ると
彼女が本来持っているものを磨けば
未来は明るく楽しいことしか無い気がしてくる
慰めで言ってるんじゃない
私はいつもそこを強調する
私たちの住む世界は
あなたが思うよりずっと
広くて
複雑で
可能性に満ちている
あなたが
がっかりしたのは
あなたが実は
期待していたからだ
自分の明るい未来を
思い描いていたからだ
坪単価では測れない
あなたの可能性が
どれほどのものか
私は私の才能で
表現し続けたいのだ
おせっかいなのは
知っている
私は
食べたくないのに
食べろ食べろっていう
親戚のおばちゃん
みたいなものかも知れない
でもなんでそんなに
しつこいかと言うと
自分が食べて
めちゃ美味しかったからだ
ではまた!