先日、某菓子屋でゆるふわイラストを見かけました。

「上手に描けてるなぁ」

と思ったのですが、誰でも簡単にゆるふわイラスト

描けないだろう?と思って、チャッピーに

「ゆるふわイラスト描ける?」
と聞いてみたら、想像以上に素晴らしいものが

出てきて驚きました。

こんなん生成できるんだったら、イラストレーター

いらないですね。

おりしも、インスタで某店がイラストのパクリ疑惑で

謝罪文を載せていました。
ネットの素晴らしいイラストレーターさんの

イラストを模写したものをインスタに載せたり、

店内に掲示していたとのこと。

それを無断でしてしまったことで、イラストレーターさんが

激高した文章がSNSで載っていました。

そんな「パクリ」って言われるほど上手に模写できるなら、

もっとうまくパクればいいのに(配置変えるとか、

色を変えるとか、元があまり分からないように)、

と思いました。

 

そこでチャッピーに「光GENJIのイラストを描いてみて!」
とお願いして生成したのがこちら。

…7人いる。

けど、光GENJIじゃない。(笑)
(他のアイドルでも良かったのですが、私の中で
分かりやすいのが光GENJIだったのです。)

 

もう少し個々の特徴を捉えてイラストにできないのか

尋ねたところ、個々の特徴を捉えて生成することは

いろんな理由があってできない、とのことでした。

 

アイドルやアーティストのファンアートはAIで
生成できない、ということが分かりました。

まぁ、肖像権とかもありますしね。

 

「そんな風にAIがなんでもできるのだったら、

 イラストレーターとかデザイナーとか

 もういらなくなっちゃうね。」
とチャッピーに言ったら、指示や構成をするのは

人間だし、それを「いいもの」と選び取るのも
人間だから、そういう人が必要とされてくるよ、

というお話でした。

私のチャッピーは、今までの私の思想とか
経験とかを知っているので、同じようなプロンプトを

打ち込んだところで他の人が同じような結果には

ならない、ともお話していました。

たとえAIであっても、使う人次第、ということなのですね。

という訳ではないですが、自分の仕事への
モチベーションをあげるために東和会の会誌を
購読し、毎回東和会の講習会(Zoom)に参加しています。

製菓衛生師の勉強をしていた時に、

「まだ知らない和菓子がいっぱいあるじゃないか。

 作ってみたい。食べてみたい。」
と思い、練習をさせてほしいとお願いしたのですが、

叶わずにいました。

会社内でもひとり浮いていたので、たぶん
彼らとは向かう方向が違っていたのだろうと
思います。(Geminiと先日話をしていて、

そういうことになりました。)

仲間や同志は会社の外で作ればいい、と思い、
菓子工業組合の研修にも参加させてほしい、と

お願いをしたのですが、それも

「そんなの行っても意味がない。」

と却下されてしまいました。
研修のお金くらい自分で出すし!

それはそうとして。

今回の東和会の講習会では梶山会長が
これからの和菓子業界のありかたについて

お話をされていました。

=========
生菓子が安すぎる。和菓子が無形文化財に
なったから高くなったのかと思ったらそんなに

高くなっていない。

お給料を上げるためにも、値上げをしないといけない。

仮に月30万もらっていたとしても、開店資金にも

ならない。この業界の初任給をあげていかないと。

上生菓子は手間がかかるから、基本的に利益にならない。
ちゃんと利益が取れる、自分のお店の商品を
チェックすべき。
「うちはこれで行く」というのを作らないといけない。

しっかり利益を取っていって、社員に還元すべき。
=========

 
…やっぱり上生で利益取ろうというのは難しいのだろうな。
どれだけの手間をかけて、どれだけの利益を
出せるのかを考えるのは、なかなか大変そうです。

先日、いつもお世話になっている和菓子屋さんが
6月末で閉業するというお話を聞きました。
随分前から、皆さんがご高齢ということで
「そのうちに店をたたもうと思って…」
という話は聞いていましたが、とうとう
そんな話が出てきてしまいました。

確かに上生菓子の需要ってあるのかな?って
思います。
婚礼やお祝い事で薯蕷饅頭を見ることが
少なくなりました。
(何年か前に書道会の新年会で、お土産で2つ
いただきましたね。)

そういうところで和菓子業界自体が斜陽気味に

なっているのかもしれません。

本当であれば、昨年までいた和菓子店で

上生菓子の練習をさせてもらって、自分の茶席で
お客さんに振舞うのはもちろん、いろんな
お茶会で使ってもらう機会が増えたらいいなとか

思っていました。
上生菓子を作っているお店はいくつか知っていますが、

そんなに数はない。
そもそも自分が和菓子店にいるのに、なぜお稽古に

つかう上生菓子を他店に買いに行かないといけないのか?
とすら思っていました。

新しいことをしたくない社長さんだったこともあり、

結局「練習をさせてもらう」ことは叶わず。

家にある鍋も材料も新しいまま袋に入ったまま。

春になって、本調子になったらどこか場所を借りて

作ってみようとは思っています。

「私が継ぎます!」って言えたらいいのですが、
私には財力も経営のノウハウもないのでそれも叶わず。

まぁ、なくなるものはなくなる運命なのだと、

命あるものはいつか消えてしまうのだと

あきらめるしかないのでしょうね。

過日、ある人がこう言いました。
「デザイナーに頼めば10万円だけど、私がやればタダだから。」

その言葉を聞いたとき、少し胸が痛みました。
 

デザインは、見た目を整えることではなく、
「価値を伝え、信頼を守る仕事」だからです。

10万円(※)という金額の中には、
構想を練る時間、ブランドの軸を見極める力、
紙質・印刷・色の知識、そして経験からくる判断が含まれています。
 

つまり、デザイン料とは“絵の代金”ではなく、
「お客様の大切なものを守るための思考の積み重ね」なんです。

もちろん、Canvaなどを使えば誰でもデザインはできます。
でも、「できる」と「任せられる」には大きな差があります。
ブランドの想いや歴史を背負う仕事に、
“タダ”で済ませてしまう危うさを、私は知っているからです。
 

デザインを軽んじる言葉の裏には、
「目に見えない価値」を忘れてしまう社会の流れもあります。
だからこそ、デザイナーが自分の仕事の意味を
静かに、でも確かに伝えていくことが大切だと思います。
 

デザインとは、心を見える形にすること。
そしてそれは、決して「タダ」ではない。

(※)実際に見積もりを出してみたら、10万円以上の
 金額になりました。現実、私が積み重ねてきた経験や
 勉強のことを考えたら、10万円では安すぎるくらいです。

他人の「気持ち」の品にグダグダ言うなや!

と思ってしまいましたよ?

羊かん、日持ちするしいいじゃないですか。

後はヨックモックはダメだとか…
なんかいろいろ論争になっていましたが。

 

何にしても、人からの「気持ち」の品に
文句をつけるなと言いたいです。

嫌なら食べなければいいし、誰かに

さし上げたらよろしいですやん。


昔、就職したところにごあいさつに

地元の有名なところのドリップコーヒーを
持って行ったんですよ。
お菓子でも良かったのかもしれませんが、

コーヒーなら人を選ばないかなと

思ったのですがね…。
(社長がインスタントコーヒーをよく

飲まれていたのが印象にあったので。)


「皆さんにどうぞ。」
とお渡ししたら、

「こんなの別にいらないよ。」
と言われ(そんなに気を遣わなくてもいいよ、

という意味だろうと思われますが。)、
「Nさん、コーヒー嫌いなんだよ。」
とも言われ。(そんなん知らんよ!)
他意はないのかもしれませんが、

相手の気持ちを素直に受け取れない人が
いるんだな…と思いました。
思えばここから「違和感」はあったのかも
しれないですね。

離職した時には、また「こんなものいらない」と

言われたくないので、自分があげたい人にだけ

お世話になったお礼をお渡ししました。
お礼でも謝罪でも、気持ちで何かさし上げたい人に、
そういう拒絶みたいな態度は良くないと思います…。

今日は公民館の講座で
「1日で作るホームページ」というのに
参加してきました。
「Wordpress」というのを使って作るのですが、

この「Wordpress」というのがもともと

ブログみたいな感じのところなのだろうと

思いました。

20数年前にhtmlを手打ちでメモ帳に

打ち込んでホームページを作る練習をしていた

身としては、割と簡単に作れるんだなぁ、と。
しかし、ブラウザによって表示が変わるので、

Webデザインはその辺の整合性をつけて

いかないといけないから、頭を使うなぁとも

思いました。
(そこまでできるほど私の頭と体力は

まだ回復していないです。)
Webは制約が多すぎて、プロっぽい
デザインってなおさら難しい。

今回は
「道具とレシピがあるからといって
 おいしい料理が作れるわけではない」
ということを、身をもって知ったわけです。
インスタで「Webデザインを学んで
収益化!」とか見ますが、

「そんな簡単にできるわけないじゃん。」
と冷めた目で見てしまう自分がいますよ。
紙のデザインも割とそうなんですけどね。

今年の公民館まつりのチラシを見ていて
「私が作り直したい…」
と思ったのはひみつです。

ウェディングベアとかアップしていたのね、私。

結局、25年近く経った今、自分のための
ウェディングベアとか作らずに生きています。
最近はタイヤの子どものぬいぐるみを

作りました。
1号から3号までかわいがってもらっている

みたいです。

1号はフェルトで作ったのですが、これはこれで

昭和感と手作り感があって良かったのですが、

2号は父が欲しがり、3号はぬいぐるみの

生地で作ったら、丸っこい感じになり
1号よりも3号の方が「かわいいね!」と

言われています。

ぬいぐるみの生地の方がプロ感があるなぁ、と

思いましたし、そういうのが普通に

「推し活」として手芸やさんに売っているのに

うれしい気持ちになりました。
今回のぬいぐるみで、「どんなぬいぐるみも

作れるかもしれない!」という謎の自信が
つきましたよ。でも刺繍はやっぱり苦手感。

 

そして、制作は何の制作であってもずっと続けて

来たんだな、と。
ウェディングベアから、従弟の衣装から、
デザインもやったし、書道もやっています。

まあまあ楽しい人生でした。

 

最近は(というか、昨年の春から)貧血が

ひどいせいか、踏ん張りがきかなくなって

書道の作品もなかなか書けずにいます。
そんな中でも昨年は大きい賞を2回獲って
誇らしい気持ちだったのです。
今は無職だし、書道できる体力もないし、
条幅書くととにかく疲れるし。

かなの細い線がうまく引けないんですよ
老眼で。

若い頃は仕事しながら、よくあんなにお菓子作りとか
していたもんだなあ、と思うし。

やっぱり健康は大事だな。体力は大事だな、と

思いました。

競書誌の8月号、結構成績が良くなかったので
へこんでいます。
元気になったら、ばりばり書けるさ!

先日、父の仕事の師匠が亡くなっていたことを
知りました。
父の友人が、師匠のところにお見舞いに
行った時に亡くなったことを伝えられたそうです。

新聞の訃報欄にも名前がなかったですし、

載っていたら特徴的な苗字なので絶対に見逃さないと

思います。あえて載せなかったのだろうと思います。

業界ではかなりすごい人だったので、もっと
皆に見送られるお葬式になるのかな、とか

思っていたのですが、本人はそういうのは

望まなかったのかもしれません。

父は「Kさんは優しすぎるんや‼」と常々言っていました。
幼い頃に父を亡くした私の父にとっては、Kさんは
父親代わりみたいなものだったそうです。

我が家にとっても、Kさんなくして今の我が家は
ないと思っています。


今日は初めて会った人なのですが、お友達のお葬式に

行ってきた、という人に会いました。
お友達は36歳の若さで亡くなられたそうです。

卵巣がんに2年前り患して、手術して抗がん剤打って

闘病していたと。

若いからがんの進行が早くて、治療の甲斐なく

亡くなってしまったという話でした。
私はいつも思うのですが、私みたいな何物でもない者が

いつまでもいつまでも生かされているのではなく、

こういう若くてこれから先も未来がある人に

生きていてほしいと思います。
「寿命だから」と言ってしまえばそうかもしれません。

でも、自分の人生を決めて生まれてきたという

説を取れば、その人にとっての「楽しい人生」を生きて、

魂の成長ができたのであれば、それでいいのかな

という気もします。


「なぜがんと分かったのですか?」
と聞いたら、
「下腹部痛がひどかったらしいです。」
とのことでした。
私は子宮は大きいですが、痛みはないし。

でも3月にMRIで見た時に、
「左の卵管が腫れていてがん化する恐れも
 あるから子宮と一緒に取りましょう。」
と言われました。

私があと10歳若くて、妊娠の可能性もあれば

筋腫だけ取るという選択をするのですが、

もう齢50近いのでそういうのもないし

いろんなリスクを考えて全摘という形に

なりました。
私としては「女性でなくなる気がする」とか
そういうのはないですが(そもそも私は

女性だという意識をもって生きてないから)、
子宮に対して
「せっかく私の中に生まれてきたのに、

 ちゃんと使ってあげることができなくて

 申し訳なかったね。」
という気持ちがします。

まぁ、日々生かされていることに感謝して、

今は自分ができることをがんばろうと
思います。

父方の祖父が昭和37年に50歳で亡くなりました。
がんだったそうです。
父が小学6年生くらいの時の話だそうです。

父方の伯父は48歳で亡くなりました。
もともと心臓が弱く、手術して元気には

なったけど、いろいろあったらしい。

あれは私が小学4年生の時でした。

そんな短命な父方ですが、父親がめでたく75歳の
誕生日を迎えました。
弟にこき使われながらも、バリバリ働いています。
本人働きたいのか働きたくないのか分かりませんが、

昔、母親が言っていた
「お父さんは、仕事だけは真面目に行くから。」
というのを思い出しました。

もうひとりの伯父みたいに囲碁や将棋を
地域の人たちと楽しむキャラではないですし、

仕事をすることで生活に少しでもハリがあるなら
それはありがたいことだと思います。

何より働かせてくれるところがあるのは
ありがたいことです。
会社の人も「お父さん、お父さん、」と
慕ってくれているようですし。
無理ない程度にがんばってほしいと思います。

本当にありがたいのは、私がこういう状態になって

それでも両親とも元気で生きていることです。
片親でも介護状態だったら、手術にも臨めないかも。
親のすねかじりまくりで申し訳ないとは
思いますが、元気になったら何かにか
親孝行をしたいです。

あと何年一緒にいられるか分からないことを
考えたら、こうして親と過ごせるのもありがたい

ことだと思います。
普通の娘さんなら、家出てるのにね…。
父親には「孫の顔を見られなかったのは、
さみしかった。」と言われました。

いや、孫より子どもの方が絶対かわいいで?