なんだか忙しく過ごしているうちに
4月も終わろうとしています。

4月の月例はあきらめました。
その代わり、昇段試験はがんばりました。
コンサート曲は、連休に練習する予定。
とりあえず落ち着かないと、試験勉強もできない!

弟が退院してきました。
水曜日に急に入院ということになり、
「過労か?」
と思っていたら、もっとひどい話でした。
まぁ、彼はラッキーガイなので、へんな首輪を
つけていますが、今はぴんぴんしています。
症状や経過に関しては人から聞いた話なので
よく分からないのですが、かなり危ない状況

だったみたいです。
急に倒れました、死にました、ということに

ならなくて本当に良かったです。

「ガンダーラに行かなくて良かったねー。」
と言ったら、
「オレが生きたいのはそのガンダーラじゃない。」
「死ぬつもりは全くないけど、死にかけたわ。」

と返ってきました。
その調子で、私よりずっとずっと長生きしてください。

父方の親戚で早死にの人が何人かいて、
父の兄が48歳で亡くなっています。
私ももう伯父の年齢だなぁ。
いつ死んでもおかしくないのかなぁ、なんて
思っていたのですが、まさか弟か!
驚きました。

事故死や病死で若くして亡くなった知り合いが
何人かいます。
「寿命だったんだよ。」
そんな言葉で片付けていましたが、親はともかく、
弟が死んだ時にそう思えるのか?
いろいろなことを考えてしまいました。
 

私たちの父親は、丁度私たちくらいの年齢の時に
ひどいうつ病になりました。
ある日連絡もなく帰って来なかったので、何度も何度も
電話をかけたのですが、次の日ひょっこり帰ってきて
「死のうと思ったけど、死ねんかったんや。」
という言葉で、病院に連れていくことになりました。

脳のMRIを撮ったところ、小さい脳梗塞の跡が
たくさんあり、それが悪さをしているという
話を聞きました。(父は今もぴんぴん生きているので、

彼もある意味ラッキーガイです。)
私がうつ傾向になりがちなのは、気質というか
遺伝というかそういうものなのですが、
それでなくても脳の血管の病気は遺伝が
あるのかもしれない。
気をつけないといけないと思いました。

欲張りだと言われるかもしれませんが。

4月末に春の昇段試験の提出があります。
月の半ばには習字の月例課題の提出があります。
5月には小さなコンサートを予定しています。
6月の終わりには資格試験があります。

 

今、どうやって練習時間・勉強時間を

作っていこうかと悩み中です。

 

しばらく習字はお休みするか、とも考えたのですが、

芸事は続けないと確実に下手になります。
とても悲しいお話なのですが、仕事で文字を
ほぼ書かなくなったので、メモ程度の文字でも
うまくかけなくなってしまった自分を自覚しています。
毎日疲れているのか、はたまた老眼なのか、
書いている文字がぼやけるのです。

新聞や本はくっきり見えるし、日常生活に
支障はないのですが、自分が書いている文字が
本当に見えにくいのです。
100均で一番軽い老眼鏡を買ってきて書いてみますが、
書いた後でものすごく気持ち悪くなります。
(たぶん、メガネが合わない?)

こないだ久しぶりに手紙を書いたのですが、
たった3枚の便せんを書くのに3時間かかりました。
毎週あほの子みたいに長文の手紙を書いていた
私はどこへいってしまったのでしょうか…

 

とにかく毎日疲れているようで、家に帰ると
気を失うように眠ってしまいます。
土曜日で少し取り戻して、日曜に引きこもって

回復する…という感じなのですが、

3月が毎週末予定が入ってしまい
「これでは私は死んでしまう!」
と思いました。
私の友人は私より10歳以上年上で、土日の
昼しか会えない人ばかりなので、どうしても

会おうと思うと自分に無理がかかってきます。
ある人には11月から「今度会いたいです。」と

言いながら「会う会う詐欺」みたいになっており
全然会えていません。

人には会いたいんだけど、本当に疲れるんです。
更年期ですか?私!
(もともとものすごく疲れやすいんです。)
「まだ若いのに…」と言われるので、
困ったなぁ、と思っています。

切実に疲れない体か、眠らなくても大丈夫な体が
ほしいです。

想像もしない世界に突入した感じがします。
もうすぐ半世紀ですってよ。
20代で死ぬと思っていたので、倍以上生きたことに

とにかくびっくりしています。

今はやはり「生かされている」のか。

親戚に早世した人が多いので、私もそんなものかと
思っているのですが。

父親が珍しく「誕生日おめでとう」と言ってきて

「お前、今年で54になったんか?」

と聞いてきました。
お父さん、あなたの娘はいつの間にそんなに
年を取ったんですか?
まぁ、自分の誕生日を間違える人なので
そのくらいで驚いていてはいけないのです。

そんなおとぼけな父が
「何かほしいものはないか?」
と言ってきました。そんなことを言うのも
初めてなので驚きました。
ほしいものはたくさんありますが、お金で
買えないものばかりですし、何より本当に
ほしいものは自分で買うのです。
「両親ふたりが元気でいてくれれば、
 それだけで十分だから。」
と伝えました。
むしろ毎日私を支えてくれる両親に、
私が何か買ってあげたいくらいですが。
そんな壮大なものを買えるだけのお金がないですし、

たぶん「いらん」と言うことでしょう。
なので、私もがんばって元気でしあわせに
生きるようにがんばります。

 

夕飯にカニを買ってきてくれたそうですが、

ごめんなさい。
お昼に感情がうわーっと高ぶることがあって、

おいしくカニを食べられない状態なのです。
カニは明日いただくことにします。
もう少し暖かくなったら、今度こそ一緒に
黒部のトロッコに乗りに行きましょう。

 


いろいろと悩み事が尽きないので、相談に
行ってきました。
前にも行っているのですが、どのように
解決していけばいいのかが全く分からず。
そして解決しても無駄なのでは?という
あきらめに似た気持ちもあり、ついつい今まで
ひっぱってしまいました。
手を離すことはいつでもできた。
でもそれをしなかったのはなぜだろう?
責任感?自責の念?使命感?
何だかよく分かりません。

私は私なりによくやった。

少なくとも後悔だけはしないような
生き方をしていきたいです。

しかし長生きをしたいとは思わないですが、
明日死ぬとしたらちょっと嫌だなぁ。
まだまだ精一杯生きているとはいえない…。

最近の私のことなど書こうと思います。

 

先日、ひょんなことで駐車料金を払わずに済んだので、
この小銭でも世のため人のために役に立てたいと
何に使おうか考えました。

 

募金しようかとも思ったのですが、24時間テレビの
募金を着服したとかそういう話を聞いているので、

良く知った大手の募金であっても信用できないな、と

思っています。
高校時代に、他校のJRCの子たちと仲良くなったので

一緒にあしなが育英会の募金とかしたことがあり、
今もあしなが育英会にはささやかながら募金をしては
いるのですが…。

考えたのは、この500円は私が自分の喜ぶことのために

使って、私が世のため人のために活動するのが
いちばんいいのではないか?ということです。
私にできることって何だろう?
公園のゴミを拾うとか、公共施設のボランティアとか

まぁ、いろいろなことが考えられますが、

ぼちぼち考えることにします。

 


昨年は本当にしんどい1年でした。
1月は物産展中の留守番がものすごく負担だったらしく、
それがキッカケで体調を崩してしまいました。

 

2月から4月までまともにご飯も食べられなかったし、

とても苦しい日々でした。
体重が10キロ近く減りました。
(ある意味、良かったのかも?)

とりあえず、テレビや新聞などのメディアから離れて、
辛い気持ちになるのを避けました。
 
4月・5月はいきなり毎日8時間労働になり、
体が全くついてこず「正社員は向いてない」ということを
思い知りました。
 
辛くなってきたので詳しくはこの辺でやめておきますが、
10月から年末は本当に精神病みかけていて
全部捨ててどこかにいってしまいたいとすら思いました。

そんな中でも自分が偉かったのは、頼まれていた
公民館まつりの役をちゃんとやり切ったこと、展示の
作品を出したことです。

昨年は本当に辛い状況だったのに、競書誌に作品が9回も
載って「自分、よくがんばった!」と思いました。
(10回だったら、新年会で花束をいただけるのですが、
それはまたがんばろうと思います。)
 
年末には展覧会の作品を書き上げて出品しました。
「今回はもう、お金捨てたようなもんやなぁ。」
と思うくらいボロボロになって書き上げた作品です。
習字の作品とは言っても、やはりすぐには書けないのです。
何回も何回も書いています。
今日、先生から電話があり、その作品は非常にいい賞を
いただいたというお話でした。
私もがんばりましたが、やはり教える人がすごいですし、
教える人に出会わせてくれた人にも感謝です。
まだ実感はないのですが、仕事でかなりすり減らされてしまった
自己肯定感を取り戻した気がしました。
 
とにかく昨年は「余白」が少なかったので、
今年は意図的に余白を作って、好きなことしてだらだら
過ごしてやろうと思います。
…って毎年思っているんですけどね。