「そんなの常識でしょ?!」
この言葉を小さい時から何度耳にしたことだろう。
子供の時は、常識がないと言われることは恥ずかしいことなので、こう言われないように勉強したり、こう言われそうな質問は人に聞かなくなったように思います。
大人になって、少しは自分にも自信が持てるようになってから、自分の意見を言ったり、わからないことは素直に聞くようになると、再びこの言葉を言う人間にたまに出会うことがあります。
子供の時は、この言葉を言われることが恥ずかしいことでしたが、今ではこの言葉を言う人間の方が可哀そうになってきます。
今なら、知恵もついてきたので、「そんなの常識でしょ?!」と言ってくる人間をやり込めることもできますが(争いたくないのでわざわざしませんが……)、こういう人間が、人が自由に話しあったり、わからないことを素直に聞きあえる環境を壊しているんだよなと残念に思います。
そもそも「常識って何か?」ということを真剣に考えれば、この言葉ほど簡単に使ってはいけない言葉だという言葉だということに気付くはずです。
医者にとって医学的なことは当たり前の常識です。
しかし、眼科には眼科の常識があり、外科医には外科医の常識があってもいいように思います。
まして患者様からしたら、そんなことを常識といわれても困ってしまいます。
主婦にとって「コシヒカリ」はお米の名前だと知っていたり、野菜の値段を把握しておく事は常識かもしれません。
しかし、同じ主婦でも、お米を食べない人や、子供が病弱で料金よりも有機栽培、無農薬にこだわって料金を気にしないで購入している主婦がいたとしたら、その人は常識のない人間なのでしょうか?
そもそも、「コシヒカリ」を知らないことで非難される必要はあるのでしょうか?
日本の総理大臣の名前を知っているのは常識だとしたら、フルネームで知らなければ常識がないのでしょうか?
名字だけではダメなのでしょうか?
PCというのはパソコンの略だということを知らないのは常識がない人でしょうか?
PCを知らないことで誰かに迷惑をかけることはあるのでしょうか?
そもそも、物事を知らないということは恥ずかしいことなのでしょうか?
知っている人が知らない人に教えてあげて、「ありがとう」「どういたしまして」で完結すればいいだけではないでしょうか?
人が生きていくうえで大切なことは、多くの知識があるということよりも、お互いを思いやって生きていくということの方がより大切だと思います。
そもそも、すべての事を知っている人間はいません。
社会の中で人が生きていくうえで、人として守らなければならない常識はあります。
しかし、知識として知らないことで、他人から非難されるような常識ってあるのかなと思います。
何か、限定したことを知らないということで誰かに迷惑をかけているわけでもないのに、「そんなの常識でしょ?!」と他人から非難される必要はないのです。
自分が知っていることは常識で、自分が知らないことは知らなくても当然の事、という驕りの気持ちが「そんなの常識でしょ?!」という言葉の影には含まれています。
「そんなの常識でしょ?!」という人は、自尊心がとても強く、常に他人より自分が優れていることを認めさせたい人間なのです。
普段、自分の事をなかなか認めてもらえない人間か、常に自分の事を認めさせたいという欲望が、「そんなの常識でしょ?!」ということで自分の欲望を満たそうとしているのです。
常識というのは何を知っているかということのように思われていますが、本当の常識というのは、自分の持っている知識を消化したうえでどんな生き方をしているかではないかと思います。
学校のテストではないのですから、何かを知っていること自体には何の意味もありません。
その知っている知識を、誰かのため、社会のため、自分の成長のためにどう生かしていくかが大切なのではないでしょうか?
人間関係を円滑にしていくためには、何かを知っているということには、そんなに価値はありません。
相手の事を思いやる、相手の嫌がることは言ったりしたりしないということこそ常識なのではないでしょうか?
あなたの周りにいる「そんなの常識でしょ?!」というかわいそうな人を発見したら、「他人をおとしめて自分が優位に立とうとしている心の貧しい人を発見」と思って憐れんであげてください。